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時は少しさかのぼる。
「冗談じゃないわよ!」
ユリア=バークは怒っていた。貧乏貴族でも貴族であることには変わりない。年に一度はこの「浮空城」へと使者を出さねばならなかった。いつもは庭師(兼先生兼家事手伝い兼執事)の老人が行くのだが、今年は先日はしごから落ちて骨折してしまい、ユリアと父のガイセールがくじを引いて、ユリアが使者役を背負わされたのである。
貴族(落ちぶれ)のバーク家は、父一人娘一人、それにお付きが一人の計三名から成り立っていた。仕方がないといえば仕方がないが、いっそ貴族をやめてしまえとユリアは思う。実際、生活は一般人と変わらない上、出費(今のような)が多いので、一般人よりもむしろ貧しい。
今までだらだらと貴族などやっていたからこんなことになったのだ――いくら壁を蹴ってみても腹の虫がおさまらない。茶金の髪が大きく揺れて、肩口を越えて胸元に流れた。
「出しなさいよー! 帰る! 帰るー! もう帰るー!」
なぜ彼女が、今浮空城の、王ですら入れないとされる神聖な場所で、地団駄を踏んでわめいているのかというと、
「神の、花嫁ですって!? 冗談言わないでよ!」
イケニエとして見初められてしまったためである。
たった一週間(年に一度)の滞在の予定が、気づけば神殿の最深部に近い神域に放りこまれて軟禁されるものに変化してしまった。ひとえに周囲の動向の所為だが、ユリアには拒否権が与えられていなかった。
一生涯幸せに暮らせる栄光の地位――百年に一度、神に捧げられる娘として選ばれたのだ。そこそこ可愛いというだけで、特にとりたてて言える特徴もない自分が、他に十七名ほどいた美女たちよりも《神の花嫁》に相応しいとして認定を受けてしまった。
詳細は知らないが、「栄光」と「一生食うに困らない」のと「生涯贅沢三昧」ということだけ知識にある。
プラス面しか知らないのだ。花嫁という単語から、ユリアはマイナス面を引き出して叫んだ。
「だからって……! 神さまとやるなんてイヤよ! わかってんのかこらあっ」
どかっ!
豪奢な扉は、少女が蹴り飛ばしたくらいでは開かない。多神教ゆえに様々な神々の彫刻を施された白い扉は、微塵も揺るがずそこにたつ。
扉の外で、高位の神官が聞こえた声に肩を揺らした。はしたない、と思いはすれども、ありえなくもない内容なので、うら若い乙女に哀れさえ抱いた。人の世に戯れに降りる神々は、気高く美しく、力にあふれてはいる。しかし人ではないゆえにひどい戯れを仕掛けてくることがある。《神の花嫁》はつまりていのいいおもちゃのようなものかもしれない。
神と人との間のゲーム。
それは神々の王と人の王が仕掛けたものだ。
今更どちらも、やめようとは言わない。
《神々の王》に捧げられた少女は、出られない部屋で二日目の朝を迎えた。
そして。
「やぁお嬢さん。今度のイケニエは君、ユリア=バークかい?」
くすくす。
ユリアの前に、事態の変化が訪れた。
ぎょっとして騒ぐのをやめたユリアは、宙に浮いた青年のセリフに耳を疑う。
「ところでユリア……外に出たくはないかい?」
美しい青年はそう言って、ユリアにそっと耳打ちをした。
神殿の神域で七日過ごした後に神のものとなるはずだった娘は、その日を待たず、忽然と姿を消した。
後には何も残されていない。