1
*
たたん、たた……ん。
一台の馬車が路傍にとまる。簡素だが、全体が黒塗りで、ひどく威圧感を放っていた。扉のところに銀にも光る白のラインで、流麗な紋様が描かれている。
「よし。ここから私が行く」
黒い鎧をつけた馬が、白い飾り布を揺らしながら前足をかいて小さくいななく。それをいさめ、御者が「行ってらっしゃいませ」とささやいた。
国境沿いではあるが、エレノアの村は平和だ。隣は大国ノヴェスタ=リー=ガイストだが、ここ数十年は侵攻されたことがない。十数年前のヴェスティア国王の御代でも、丁度山脈が控えているためにエレノア側から戦争を開戦することはなかった。西隣の村は被災したが、エレノアは経路に組み込まれないままですんでいる。
小鳥の鳴き声に眠りをさえぎられ、少年は寝返りを打とうとして枝からずり落ちかけた。
「うっわ……! 危ねぇ」
割合、大ぶりの枝を選んで寝ていたのだが、とっさにしがみついた枝は木の葉を散らして妙な音を立てる。そのまま折れてしまうのでは、と体をこわばらせたが、何の変化も起きず、少年はため息をついた。森の中だからわかりにくいが、本来は二階建ての家屋の屋上が見えるような高さである。さすがに、構えもなく落ちたら、ただではすまない。
「昼寝してたから、罰でも当たったかな、こりゃ」
かけ声をかけて再びよじ登り、少年は枝にちゃんと腰を掛けると、もう一段上の枝に引っかけた剣を取る。布で軽く鞘を巻いているが、柄にいくらかの宝玉が埋まり、木漏れ日をあびて光る部分は複雑な模様が丁寧に彫り込まれていた。およそ実用からほど遠い姿で、一見して少年が持つのには似つかわしくない豪勢な剣である。
少年は薄汚れた木綿のシャツの埃を払い、ベルトをかけて剣を背に背負った。そして、ぽい、と身を投げ出す。
「――下で寝よ」
草が立てる音も、風がかき消してしまう。
きれいに着地し、少年は伸びをしながら、丘へ向かった。
男は正装をしていた。
白地に黒みを帯びた赤のラインが入る、裾の長い衣装だ。腰には使い慣れた剣――彼の場合、それは二本ある。尻の下で交差するような帯剣の仕方は儀式でしかしないが、今日は邪魔だと思いつつも律儀にさげている。
そう。
ついに、このときが来た。
男は、身体中がわきたつのを感じていた。
このヴェスティア王国にある神聖騎士団で、最も強いと言われた男――『彼』がこのエレノアに隠棲していると知ったのは、今から丁度一ヶ月ほど前のこと。男は『彼』をヴェスティア王国へ――正確には都へ――連れ戻す任務を負っていた。こんな片田舎で埋もれて良いほど、安い男ではないと思っていたし、国王陛下直々の命でもある。(実際には、戻ってきてくれれば便利だなという言葉しかなかったのだが)
引き受け、激務の合間をぬってやってきたのだ。
しかし。
分かっているのは、村の名と位置だけだ。あとは、そう大きくない村である、村人に訊けばすむことだ。……と思っていたが、よく考えると、村人が『彼』の正体や本名を知らない可能性もある。
「おい、そこの少年!」
隠棲していて、これまで所在が分からなかった以上、『彼』の名すら知られていないのかもしれない。あまり目立ってしまうと逃げられる恐れがあり、馬車を遠めの路上に停めてきたのだが、いっそ派手に村内に入り一気に仕留めてしまったほうがよかったかもしれなかった。
失礼でないように、としてきた正装自体、異様であり目立つのだが、彼はそういうことには無頓着な男だった。
村の手前の民家は空き家だったので、そこから丘の側を通って人の多そうな家々の連なりに近づくことにする。途中、丘に人影を見つけた。
「おい!! 聞こえてないか!!」
丘に出て、男は一人ひっくり返っている少年に向かって叫んだ。
冬枯れの草のような、淡い金髪が風にあおられている。気持ちよさそうに閉じられたまぶたが、男の大声で一瞬、動いた。しかし、男の期待は裏切られ、少年は目を開くことはなかった。
背を向けたやや遠くに村が見えていて、左手には巨大な山脈が緑の腹をせり出している。
野を渡る風が、夏の空気を運んできた。まだ春と夏の境目にある季節である。空はまるで、まるく塞がった青い椀の中のようだ。男は少年の脇にしゃがみ込んだ。
寝たい気持ちが、分からないでもない。
が。
「人を訪ねる! 教えてくれ!!」
鍛えあげた体から、地を響かせて、声がとどろいだ。
さすがに耳元で叫ばれると寝ていられない。少年は脅かされた子猫のように飛び上がった。
「いって……ぇ! なんなんだよっさっきからっ!!」
涙目で額と耳を押さえ、少年は男を睨みあげた。まだ成人もしていないような子供相手にひどいことをしたなと可哀想に思いながら、男は問いを口にのぼらせる。
「すまないが、マイラ=ガイズという男を知らないか? もしくは――村一番の剣士を」
『彼』――マイラ=ガイズほどの男が、隠れたとはいえ剣を手放すはずがない。教える立場であれ、何らかの形で、剣に関わるはずである。
少年の傍らにある、布でぐるぐる巻きにされたものが剣であると一目で見抜き、男は、この少年が『彼』を知っていると見当をつけた。
少年は面倒くさそうに眉をひそめ、息を吐いて、目をそらす。
「うるさいと思ったら。――おっさん、マイラ探してんのか」
あまりにいやいや、といった呟きかたで、男は「少年がマイラを知っている」ということよりも「マイラが呼び捨てられた」ほうに頭が働いた。
「貴様!! マイラ殿を呼び捨てに!」
「おっさんも呼び捨てたろ、最初」
髪と同色でやや濃い色の目を細め、少年はうんざりと吐き捨てる。
「ったく……マイラもちゃんと身辺整理してから引っ込めっての。何回バカどもが訪ねてくれば気が済むんだ」
「くっ……! 貴様、さっきから聞いていれば、『剣聖』のことを好き放題に……!」
半ば伝説化したマイラ=ガイズを思うあまり、男は叫ぶ。しかし相手が子供だという理性が働き、手は出ない。なにより騎士たるもの、無力なものへ暴力をふるうなど言語道断である。
男はひとつ、深呼吸した。
「あぁ……すまんな、つい熱くなった。私はライザ=ナノルグ=ファスという。私はマイラとは同期でな、間近であの男をみているからつい……。それで少年、マイラがどこにいるか知っているようだな、案内してもらえるか」
「やだ」
即答し、少年は再び横になった。草がのどかにさやさやと鳴る。
ライザはあっけにとられたが、すぐに気を取り直して低く続けた。
「私はヴェスティア国王に頼まれて来たのだ。マイラ殿の強制召喚が都で決定されている。国王陛下ご自身はどちらでもよいとの仰せだが、これは委任会での決議なのだ」
つまり、国王の勅命といってはいるが、実質は上司に言われて来た、ということだろうか。あまりに大きい名前の出現に、少年は薄目を開けて男を睨んだ。
「あんたさぁ……バカ正直なのかな」
詐欺にしてはうさんくさすぎるし、どうもこれは素であると判断した。
「何だって、おっさんなんかが国王なんていうお偉いサンに頼み事されてんだよ」
とりあえず男の発言を真実として扱い、しかしだるそうに言葉をひきつなぐ。
「あんた一体なんなんだ? 名前は聞いたけどさ」
筋肉のついた身体で、まるで神官のような衣装を纏う男は、どこか得体の知れなさをたたえている。できれば関わり合いになりたくない。
少年はこの場をどうやって切り抜けようかと思案する。
一方男のほうは居住まいを正し、律儀に少年に応答した。
「私は、神聖騎士団の第三部隊隊長だ。『おっさん』ではない」
「ん?」
騎士?
と、いうことは。
「強いのか?」
少年が急に目を見開いた。輝きを宿したその眼差しに、男は思わず腰を引く。
「ま、まあな」
「んー……でもいっか、どうせマイラより強いやつ居ないし」
ぱたり。
いったん起こした体をやる気なく伏せ、少年は再度目を閉じた。
ライザは「村で聞いたほうがよかったな」と後悔し始めていたのだが、しかし折角見つけた証人である、逃すのも妙に惜しかった。
それにこの少年が先程見せた目の輝き――それがどうにも気にかかる。
ふと、ライザは少年の側に無造作におかれた包みに目がいく。剣を持ち、マイラを知っており、自分に向かって「強いのか」と目を輝かせて聞く少年。
ライザは自分の腰に手を当てた。剣の柄を握るために。
「……少年、私と手合わせをして、私が勝ったらマイラ=ガイズのもとへ連れていってくれるか?」
「何だって?」
「無論、私は手加減しよう。どうだ」
「……あんた、しつこいな。俺以外にも村にはマイラを知ってるやつらが山ほど居るんだ。なのに」
「少年、貴様、剣が好きだろう」
にや、とライザは口の端を曲げた。
「私もだ。貴様が先程見せた目、確かに剣が好きだと言っていたぞ」
「イヤ別に好きとかじゃないけど。ただ、必要だしそれなりに楽しいしマイラに負けっぱなしってのが気に入らないだけで」
言いつつ、少年はひょいと身体を起こした。肩を回し、それから自分の剣を見る。
「それに……俺の剣は抜けないんだ、悪いけど」
「ならば私の剣を一本貸そう」
少年が所持するものは飾りの多い剣で、実戦用ではないらしい。ライザはそう判断すると、二剣の内の一振りを少年に向かっていきなり放った。鞘ごとではなく抜き身で放り投げられた剣を、少年は慌てて手中におさめる。
「危ないな……! 大事にするもんじゃないのかよ、分身みたいなものだろ」
地面に突きたつよりも早く、自らを傷つけずに柄を掴んだ少年に、ライザはただ笑みを返す。
手際といい、この反応といい、見込み通り剣の腕はかなりある。普通、剣を抜き身で投げれば、剣の心配よりも自分の怪我を心配するものだ。剣を習っていると言うことはマイラの教えも受けているだろう、マイラも面白い子供を育てているものである――そう考えつつ、自分も剣を抜いて構えた。
「じゃあ行くぞ!」
「おいっ、まてよ!」
踏み込んだライザに、少年が自分の剣を片足で弾き手に持ちながら声をあげた。
「俺はまだ、やるなんて言ってない!」
「守りが甘いぞ!」
若者と戦ってみたくなったライザは、自分の任務を忘れかけていた。少年も舌打ちしつつ、ライザの寄越した剣を構える。飾りの剣は背に負って、少年は鋭く打ち返した。
「やるな少年! だが、まだまだだッ」
「俺は『少年』じゃねえよッ! エリアン=スロイドだ!」
「成程! 覚えて、おこうっ!」
ガンっ、と剣が合わさって音を立てる。つばぜり合いになり、体格的に不利なエリアンが剣をすぐに横に逸らす。
「賢い選択だ! しかぁーしッ!!」
「なにハイテンションになってんだ、この変人!」
とって返すライザの剣先が、エリアンの肩先をかすめる。身体はかろうじてかわしきるが、背の剣がわずかに触れて鳴った。金属の触れ合う音を背に、エリアンは二、三転して距離をとる。
「ははは! 危うかったな!」
即座に下段に剣を振るうライザの目の前で、三本の剣が交差した。
「何ッ!?」
「――おっさん、なんてことしてくれるんだよ……!」
背にあった剣が抜けている。左手の剣を睨み付け、エリアン=スロイドは吐き捨てる。
「あんたが鎖を外したから! 今の俺じゃあ制御しきれないんだよ! こいつ、あんたが強いからって『遊び』たがってるんだ」
「ど、どういうことだ?」
右手はエリアンの意志に従っているようだが、左が妙な動きでライザのことを狙ってくる。
「だーかーらー。おっさん神聖騎士だろ、なら魔法剣士とか知ってるんだろ」
「あぁ! 剣も魔法も使う輩か!」
何度も打ち合うために多少少年の息があがっていたが、口数だけは減っていない。
「俺が、じゃない。剣が魔法も使えるんだ」
「剣が?」
踏んだ場数が違うため、二剣を使っているエリアンよりもライザのほうがずっと強い。
すべての攻撃をきれいに受け止め、ライザはふと首を傾げた。
「剣が――。それは、魔剣、ということか、まさか」
しまった。
エリアンは、右手の剣を手首を使ってひらめかせる。
気をとられたライザは、間一髪で刃を防いだ。エリアンがあからさまな安堵を見せる。
――左手の剣をたたき落とし、その勢いをそがれた右手の剣を、ライザはしっかりと受け止めていた。
「おいこのバカ! それ以上暴れやがったら晩飯も抜きだぞ!」
毒づき、少年は剣をひいて、ライザに返した。びくりとしたライザだが、エリアンは地に突き刺さった自分の剣に向かって言っているらしい。
「ったく! お前なんか拾うんじゃなかった……」
鞘に収め、エリアンは再び剣に布を巻き付けた。
「悪いな、あんた、二剣使いなんだろ? 俺がこいつを使えないばっかりに俺に剣を貸して本領発揮できなかったろ? ――おい! バルティス! 木陰にいるのは分かってるんだぞ!」
ばつの悪そうな顔をしたかと思えば、急に木に向かって叫び出す。
ライザは今度は何が起きるのかと成り行きを見守っていたが、次のセリフに面食らった。
「バルティス! お前の剣貸せよ!」
丘の向こうの木を見ると、おずおず、といったふうに、黒髪の少年が、首を振っているのが分かった。
「だ、ダメだよ……! 先生にダメって言われてるだろ」
「許可なく実践で立ち回ることなかれ、だろ。――でもよ、ならなんでお前、いっつも帯剣してるんだよ」
「ま、万が一のために」
「ふん」
黒髪の少年があからさまにびくつき、ライザの顔をじっと見た。助けを求められているとしても、どうすればいいのかライザにはまったく分かりかねる。
そうこうするうちに、エリアンが次の手を打った。
「今がそれ。万が一。だって俺は」
彼は真顔で宣言した。
「この人に命狙われてるから、今」
「はぁ!?」
バルティスとライザの二人の声がきれいに重なった。
構わず、エリアンはずかずかとバルティスに近づき、天使のような微笑みを浮かべる。
そうするとまるでどこかの王子のようだ、人当たりのいい、賢そうな少年に見える。
しかし。
「ね?」
半眼ですごまれ、バルティスは冷や汗をかいて、自分の剣を手渡した。決して女顔ではないのだが容姿であなどられがちな細身の少年は、それでも気合いだけは充分だった。
脅し取った剣を構え、にこりと笑うさまにはあどけなささえ残されている。それが、踏み込みの一瞬で冷徹そのものの顔に変わった。
――あぁ、マイラ……!!
ライザは、迷いのない剣を受け流しつつ思う。
お前一体どんなやつ育ててんだよ……!
と。