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鬼踊 -ヒト-4



 一ヶ月が経った。コタロウの足のギプスが取れて、クリスマスが来て、年が明けた。

 その間にコタロウと会った日数は十日あるかないかくらいだと思う。私は人のいない平日の昼間にしか公園に行かないから。

 クリスマスの頃に公園に行って、何故か小学生とか中学生がいっぱいいて、あぁそうか冬休みかって気付いてからは一度も行ってない。

 一月十日。昼の十二時前。冬休みってもう終わった頃かな。ソファに仰向けで寝たままスマホを眺めて、そんなことを考える。

 キッチンからは香ばしい匂いと包丁の音。仰向けのまま首を反らしてそちらに顔を向ける。

「アキさん、ここら辺の学校ってもう三学期始まってる?」

 カウンターからひょっこり顔を出すアキさんの真ん丸顔。

「始まってますよ。あぁそうそう。昨日ね、学校だってこと私も息子もすっかり忘れてて、学校から『今日はお休みですか?』なんて連絡がかかってきたから『えー!?』『あー!』ってなってね、急いで息子を起こしに行ったらあの子ったら呑気に電気の紐でシュッシュシュッシュボクシングの真似事してるでしょ? もう私あまりに呆れて笑っちゃった。それで『今日から学校でしょ!』って言ったら目を丸くしたあとに布団にドサッて倒れ込んで『ノックアウトされたから今日はもう立てません』なんて言うのよ。おかしな子でしょ? それからはもうてんやわんや。車で送っていったから始業式の途中から参加できたみたいなんだけど、あんまりに急いでたからランドセル持っていくの忘れてて、家に帰って玄関を開けた瞬間その日二度目の『えー!?』ってなってーーーー」

 まぁつまり三学期は始まっているらしい。それなら御飯を食べた後にでも行ってみようかな。コタロウが来るかは分からないけど。

 一週間ぶりにちゃんとした料理を食べてからマンションを出た。いつもは大体歩いていくんだけど、今日は何となくバスに乗った。公園行きじゃなくて駅行きだけど。

 座席に座るとスマホ(新品)を取り出して徒花SNSを開いた。トップページに記載されている昨日の任務数。年を越して十日も経つと年末の忙しなさが嘘のようにカフカの出現は落ち着きを見せている。まぁそれでも偶然が重なって忙しくなることもままあるけど。

 途中のバス停で腰の曲がったお婆ちゃんが隣に座った。座席は腐るほど空いてるのに、と思っていると、案の定話し掛けられた。

「今日はどこかへお出掛け?」

「うん。エキコー……駅の公園に暇潰しに」

 まぁ私もテレビに出たことだってあるし、蛍山支部の中じゃあ一番有名な方だっていう自覚もあるから、プライベートな時に話し掛けられてもこうして嫌な顔一つせずに対応するくらいは出来る。

 なんて考えていたけど、どうもお婆ちゃんの話し方を見るに、私が徒花だっていうことに気付いていないようだった。二つ目の質問が、今日学校は? だった時点でおや? と思って、行ってないと答えたら、じゃあお仕事してるの? と訊かれて確信した。っていうか今はカラコンしてないから目を見れば分かりそうなものなのにーーーー

「お婆ちゃん、もしかして目悪い?」

「あら。よく分かったね。眼鏡が壊れちゃって、今から眼鏡屋さんに行くところなのよ」

 やっぱり。色が分からないくらいだから、私の顔もぼやけているのかもしれない。

 言ってみようか。私は徒花だよって。鬼踊の空木結羽だよ、って。

 どんな反応をするかな。まず驚くことは驚くと思う。私のことを知っていてもいなくても。それからはどうだろう。

 いつかテレビで見た徒花へのイメージ調査で、良い印象を抱いている人は全体の六割。悪い印象を抱いている人は二割。残り二割がどちらともいえないという結果だった。年代別だと、下の年代ほど良い印象が多く、年代が上がるにつれて悪い印象が増えていくという結果になっていた。

 あ、そうだ。

「お婆ちゃん、私、眼鏡屋まで付いてってあげるよ。目、ほとんど見えないんでしょ?」

「いえいえ、大丈夫よ。いつも行ってる眼鏡屋さんは三辺さんべにあるの。そこまで付き合ってもらうわけには行かないわ」

 三辺は千川せんかわ駅から二つ隣の町だ。田舎にしては栄えてる(デパートとかある)町。駅も大きいし、最近自動改札が導入された。まぁ隣の県の駅の方がもっと大きいけど。

 蛍山支部の管轄内だし、行っても怒られることはない。

「いいよ、付いてく。さっき言ったみたいに暇だから」

「そうかい? ありがとねぇ」

 計画はこうだ。お婆ちゃんを眼鏡屋まで送る→別れ際に徒花だということをバラす→お婆ちゃんがそのことを色んな人に話す→お年寄りからの好感度アップ→全部私のおかげ。私の株急上昇。

 学生だった頃、生徒が人助けをしたら学校に連絡があって全校集会で称賛されるとかあったし、もしかしたらこのお婆ちゃんも蛍山支部に連絡するかも。そしたら謹慎明けてからの単独戦闘くらいチャラでしょ。あ、でも眼鏡屋に着くまでに鬼踊だって周りの人にバレて騒がれると計画が台無しになるからカラコンしておこう。

 バスを降りるとき、駅の階段を通るとき、電車に乗るときには忘れずお婆ちゃんに手を貸して、背中に手を添えた。年寄りはこういう細かい気遣いが大好きだ。

 電車の座席に座ると、お婆ちゃんは「ふー」と長めの息を吐いてから私を見て「あなたはお爺さんやお婆さんと一緒に暮らしているの?」と訊いてきた。

「ううん。どうして?」

「サポートが凄く上手だったから、そうなんじゃないかって思ったんだけど。それに、話し方が自然で、私みたいな年寄りに慣れてるみたいだから」

「あー、あはは。敬語はちょっと苦手なんだよね。職場の人にはたまに注意されるんだけど」

「そうね。職場では丁寧な言葉を使わないとね」

「うーん。でも一番の上司が敬語を使うなって言うんだよねぇ。班長は使えって言うんだけど」

「変わった職場だねぇ。最近はそんなものなのかしら。私が若い頃なんて、上下関係がすごく厳しくて、怒鳴られても殴られても反抗出来なかったのよ」

「えー。私ならやり返しちゃいそう」

 お婆ちゃんは可笑しそうに笑った。

「そうね。あなたはまだ若いみたいだし、今は仕事も生き方も自分で選べる時代だものね。殴ったりしちゃ駄目だけど、そうやって自分に合う仕事が見つかるまで色々な場所を回って見るのもいいのかもね」

 私には仕事にも生き方にも選択肢はないけど。あるとしたらせいぜい働く場所くらいか。それだって転勤を命じられたら断れないし。まぁそれはないと思うけど。

「でもね、どんな仕事をしていても、どんな生き方をしていても、耐えなきゃいけない場面っていうのは必ずあるのよ?」

「怒鳴られたり殴られたり?」

「えぇ。それに、理不尽もね。それだけは、昔から変わっていないからね」

「耐えられるかなぁ」

「あなたなら大丈夫よ」

「本当に?」

「優しい子だから。それに、強い子でしょう?」

「まぁ普通よりは」後者に限ってだけど。

「それなら大丈夫。受けた理不尽の分だけ誰かに優しくしてあげるの。あなたが今私にしてくれているみたいにね。そしたら、悲しいことなんて、全部吹き飛んじゃう。実際にやるとなると、とても難しいことだけど」

「そうなんだろうね。みんなそれができたんなら、カフカなんて存在しないもん」

「そうだね」とお婆ちゃんは少し悲しげに言った。

 電車内はスカスカだったけど駅のホームにはそれなりに人がいた。お婆ちゃんを支えながら電車を降りてホームを立ち去るまでの間、スーツ姿のおっさんにじろじろ見られたけど、声を掛けてくることはなかった。

「ここからはバス?」

 階段を降りながらお婆ちゃんに訊く。

「ううん。この近くだから、あとは歩いていくわ」

「もっと近くの眼鏡屋さんじゃ駄目なの?」

「古いお友達の子供さんとお孫さんがやってるお店でね、たまに顔を見に行くのが楽しみでもあるの」

「ふぅん」人の子供の顔なんて見て楽しいんだろうか。「お婆ちゃんは子供いないの?」

「いるけど、もうずっと会ってなくてねぇ」

 自動改札を通ってから再び並んで歩く。

「ずっとって?」

「もう六年か七年くらいだね。孫は四歳くらいだったかしら」

「孫もいるんだ。男の子? 女の子?」

「女の子だよ」

「へぇー。えっと、南口? 北?」

「こっち」

 南らしい。

「徒花になっちゃったみたいでね」

「えっ?」

 聞き取れたのに、思わず聞き返してしまった。

「孫が。一年くらい前にね」

「そうなんだ」

 駅から出て、お婆ちゃんが進む方へと付いていく。

「驚いて心臓が止まるんじゃないかと思ったよ」

 お婆ちゃんは笑いながら言うけど、それが無理に作った表情であることは一目で分かった。案の定、その表情はすぐに引っ込んで、どこか沈痛なものに変わる。

「お婆ちゃんは徒花のことが嫌い? だった?」

「嫌いとはいかないけど……、心から信用することは難しい、くらいは思っていたの」

「徒花は人じゃないから?」

「そうね、徒花の身体はまるっきりカフカと同じだっていう事実が大きかったのかしら。年を取って固くなった頭じゃあ、どうしてもそこを分けて考えることが出来なかったの。でも、人なのよね。孫と電話で話して、初めてそう思えたの」

「じゃあ今は、徒花のことが好き?」

 お婆ちゃんは少し考えてから首を横に振った。

「普通の人にも色んな人がいるように、徒花にも色んな人がいる。徒花だから嫌い、徒花じゃないから好き、じゃあなくて、結局は向き合っている相手と自分次第。硬い頭じゃあ、これくらいが限界なの」

 お婆ちゃんは笑ってから、前方を見て「あ、見えてきたわ」と言った。クリーニング屋の横にある小さなお店。あそこらしい。あ、よく見ると看板がある。かなり色褪せてて文字が見にくいけど。

 お婆ちゃんは店先で足を止めると私に身体を向けた。

「本当にありがとうね。こんなところまで付き合ってくれたうえに、話し相手までしてもらっちゃって」

「ううん」

 お婆ちゃんは手に持っていた巾着袋を探り始めた。

「あの、お婆ちゃん」

「うん?」

「お婆ちゃんは、その、私のことは好き?」

「もちろんよ。あなたみたいな優しい子と出会えただけで、ドジをして眼鏡を壊した悲しみも、自分への苛立ちも吹っ飛んじゃったわ」

 お婆ちゃんは優しく笑う。

 心がむずむずして、くすぐったい。

 満たされるとは違う。でも心地良い。気持ちいい。

「バイバイ、お婆ちゃん」

「あ、待って。御礼を……」巾着袋からちらりと財布が見える。

「ううん。いらない」

 もういいや。

 何もいらない。

 お金も、第三者からの称賛も。

 きっと、この気分を妨げるだけだから。

 踵を返して駆け出す。

 表情は自然と形作られる。

 戦場の外で。

 鬼が笑う。




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