鬼踊 ーヒトー3
玄関チャイムの音で目を覚ました。「んー」と呻きながらクッションに顔を押し付ける。
カチャッ、という解錠音。ここの鍵を持ってる人は、私以外だと班長と隊長、家政婦さんの三人しかいない。となると十中八九隊長だろう。
「結羽ちゃーん?」
ほら。
廊下を歩く足音。リビングのドアノブが下がる音。
「うわっ、汚い」
うっさい。
「結羽ちゃん、寝てるの?」
うつ伏せのまま顔だけ向ける。
「寝てた?」
「うん」
「どこか出掛けてたでしょ」
「なんで?」
「服がちゃんとしてる」
鋭い。
「部屋着がなくなったから、仕方なく」
「あ、そうなんだ」
ちょろい。
「スマホのGPS反応がなくなっちゃったんだけど、もしかしてまた壊した?」
左手を挙げてキッチンを指差す。隊長の姿がそっちへ消えて数十秒後に「うわぁ」という声が聞こえた。
「結羽ちゃん、これ駄目だよ。自腹になっちゃうよ」
「給料から引いといて」
「もー」
隊長は私の横にかがんで目線を合わせてきた。
顔を見れば分かる。
この子は弱い。
肉体的にも、精神的にも。隊長の器だなんてとてもじゃないけど言えない。雨森さんの方がずっとそれらしい。
「何かあったの?」
「別に」
「本当に?」
「支部にいなくていいの?」
「あはは。全然大丈夫だよ」隊長は笑ってから部屋を見回した。「久し振りに来たけど相変わらずの汚部屋だねー」
「明日には掃除するから」
「家政婦さんが?」
「うん」
「もー」
「何が『もー』?」
「自分でやりなさいってこと」
「めんどい」
「もー」
「もー」
「もー!」
「もー」
「真似しないで!」
「はいはい」
寝返りをうって仰向けになる。お腹が、ぐぅ、と鳴った。
「お腹減ってるのになんでラーメン捨てちゃったの?」
「美味しくなかった」
「おぉ、グルメ舌だね」
「まあね」
本当に美食家なら端からカップ麺なんて食べないと思うけど。
「グルメ舌な結羽ちゃんのためにお寿司でも出前取ろっか」
「おっ、隊長の奢りですか?」
「こんな時だけ隊長扱い……。まぁいいけど」隊長はスマホを操作してから「上二つね」と言った。
「了解。あ、私が電話する。私の家だし、それ仕事用でしょ」
「じゃあお願いするね。えっとお店の番号は……」
十桁の番号を打って発信。
「あ、もしもし。出前お願いしまーす。特上二つー」
「ええぇぇぇ」
「あ、やっぱり三人前でー」
「ええぇぇぇ」
「はーい。じゃあお願いしまーす」
「ええぇぇぇ」
「電話中は静かにしてよ。常識でしょ?」
「結羽ちゃんに言われるとかええぇぇぇ」
「たった千五百円の違いでしょ」
「二人分なら三千円だよ!?」
「あ、三人前頼んだから大体五千円の差か」
「そーだよなんで三人前頼んだの!?」
「私お腹ペコペコ」
「私は割りともういっぱいいっぱいだよ……。あぁ、一万円のお寿司買ったなんてお父様に知られたら絶対怒られる……」
「大丈夫、隊長」
「え……?」
「お腹いっぱいなら、全部私が食べてあげるから」
「もー!!」
ソファに寝転がりながら玄関の会話に耳を傾ける。
「こちらご注文の特上三人前です」
「うぉ、おっきい。ありがとうございます。ゆ、結羽ちゃーん、お寿司持ってー」
しょうがないなぁ、と起き上がって玄関へ。容器(本当に大きかった)を受けとると、出前のおっさんが「では一万円になります」と言った。
「はーい。カードでお願いしまーす」
金色に輝くカードを財布から出す隊長。
「あ、申し訳ありませんが、カードでのお会計はちょっとできなくて……」
「えっ」
見つめ合う隊長とおっさん。
隊長の顔が私に向く。って、
「えっ」
「持ち歩いていい現金はお小遣いの五千円までって、お父様が……」
おっさんの顔が私に向く。こっち見んな。
「分かった。私が払うから」
因果応報ってやつだろうか。自業自得の方が近いかな。
「ご、ごめんね」
「謝らないで」
罪悪感がチクチクする。
「わ、私もあるだけ出すから! 千百円! ほら!」
五百円玉二枚と百円玉一枚。
おっさんの目が哀れみを帯びた。
「いやもういいから。ごめん。勝手に特上とか頼んだ私が悪かったって」
ヤバい。腐化するレベルで良心が痛い。
「ごめんね、結羽ちゃんが好きなネタあげるから」
「マジでもうやめて」