鬼踊 -オニ-3
「あ、あなた!」ダルマババアの声に顔を向ける。「一般人にこんなことしてーーーー」
「はいはい、うっさい」
手に力を入れると、ダルマババアは「うごっ」と苦しげな声を出して両手で私の手を掴んだ。二人揃って爪とか立ててくるけど全然平気。都合のいい時だけ一般人になるような雑魚が私に偉そうなこと言ってんじゃねーよ。
首を掴んだ右手を少しずつ上げていく。ダルマババアは更に暴れるけど無意味。地面から足が浮くと何度も蹴ってきたけど無意味。でもうざいから爪先で小突いて右足を折っておいた。
「あぎゃっ」と大きめな声が漏れたから首に力を追加。
うん。大人しくなった。
ニコニコと嗤う。いや、笑う? どっちだろ。
「ねぇ、人に残された救いの道はカフカになるかカフカに殺されることなんだよね? じゃあさーーーー」
左腕に違和感。口を止めて振り向くと、前腕にボールペンが刺さっていた。当然、それを握っているのは比較的美人なーーいや、この形相じゃあ美人とは言えないかーーおばさん。奥歯を腐化。ヘドロを舌で転がしながら棘の形で硬化して、吹き矢みたいに発射。おばさんの腕に命中、そのまま貫通して、一センチくらいの穴を開けた。
おばさんの目が見開き、口を塞いでいる手に荒い息と少量の唾液がかかった。
汚いなぁとワラいながらダルマババアに向き直る。話の途中だったもんね。
「じゃあさ、あんた達が言う悪魔に殺された人間はどうなるの?」
ダルマババアは顔中から汗を噴き出しながら首を横に振った。何がNOなのか。意味が分からない。喋れるくらいに手の力を緩めた。
「ね、教えてよ。私達に殺された人間はどうなるの?」
ダルマババアは変わらず首を振る。
「ゆ、許して。ごめんなさい」
「いや質問に答えてよ。私達に殺されたらどうなるの?」ワラったまま問う。
「あなたを怒らせるつもりはなかったの」
「なら質問に答えろ」
「わ、分からないの。それは教えられていないから」
「なーんだ。そうなんだ」
「ねぇお願い。もう離して。足が凄く痛いの。きっと折れてる」
「知ってるよ。折れてるのも、凄く痛いのも」
二人を地面に叩き付ける。そのまま両手を腐化させて拘束した。私ってばカフカみたいなことしてるなぁ。
おばさんが落とした赤い傘を拾って差した。手元でクルクル回しながら二人を見下ろす。
首部分を拘束されたダルマババアはなんとか喋れる筈だけど痛みが酷いのか荒い呼吸を繰り返すだけ。顔の下半分をヘドロに覆われたおばさんは元気に足をバタバタさせて、ヘドロをなんとかしようと指先でかきむしっている。
あららー。せっかくの微美人が台無し。爪まで剥げちゃってる。
うん? あ、鼻の穴まで塞いでた。苦しいのか。
馬乗りになって右手で頭を押さえてから一度腐化。もう一度硬化ーーーーしようとして、ちょっとしたイタズラを思い付いた。
傘を横に置く。
空いた左手で頬を掴んで無理矢理口を開かせて、っと。
そこにヘドロを流し込んだ。
おばさんの目が見開く。うご、おご、とえづいている。
「飲みたくないの? 多分、成分とかはおばさんが大好きなカフカと同じだよー?」
残ったヘドロで口を塞いで拘束した。
あはは。いつまで我慢出来るかな。
おごおご言っているおばさんから腰を上げ、傘を差してから隣のダルマババアを見た。
「ゆ、許してーーーー」
「はい、これ見て」
ポケットからスマホを取り出してダルマババアに見せる。
「一回だけ好きなところに電話させたげる。さ、どこに電話する?」
「で、電話……?」
「そ。どこでもいいよ。最期に子供と話したいとかでもいいし、死にたくないならSOSの電話をしてもいい。あ、でもどこに電話したら助けてくれるんだろうね。警察なんかじゃあ絶対に私には勝てないし、勝てるとしたらすっごい強いカフカか……それかスッゴい強い徒花くらいかなぁ」
ダルマババアを見下ろす。
「ねぇ、どうする? 神眼教にでも電話してみる?」
ダルマババアは泣きそうになっていた。あ、泣いた。あはは。いい大人がみっともない。
「お願い、もう許して……」
「だーかーらー。死にたくなけりゃ誰かに助けを求めなよ。ほら。誰に電話する?」
ダルマババアはついに嗚咽を漏らし始めた。うわぁ。ドン引きだよ。人のこと散々好き放題言っといて、少し反撃されるとこれか。
「お願いします……」
「だーかーらー」
「徒花部隊に……電話を……」
ぶはっ。
「え? 徒花部隊? 正式名称ってなんだっけ?」
「た……、対カフカ部隊、です……」
「いいの? おばさん達が悼んで感謝してる相手を殺すような人達だよ? そこに助けを求めるとか、許されるの? 私、好きなところに電話していいって言ったんだよ? おばさん徒花部隊が好きだったの?」
「うぅ……」
まーた泣き出した。泣けば済むと思ってんのか。
「ま、いいけどね。好きなところに電話させてあげるって言ったのは私だし。あ、特別サービスで、私が殺せない徒花を呼んであげようか?」
ダルマババアは何度も頷く。
「りょーかーい」
ピポパ。
ダルマババアの耳にスマホを近付けてから『発信』をタッチした。
『おかけになった電話番号は現在使われておりません』
ダルマババアの目が見開くのを見ながら私は首を傾げた。
「あれー? おっかしーなぁ。仕事用のスマホだから繋がらないってことはないと思うんだけど……。死んだりしてない限りは」
立ち上がって見下ろすと、ダルマババアはわけが分からないという顔をしていた。
「ねぇ、おばさんは知らない? 雨森美海っていう徒花のこと」
ダルマババアの顔が硬直した。やっぱり知ってるんだ。
「あ、そうだ。もう一つ質問があるんだけど、いい?」
返事はない。ただ、さっきよりも荒くなった呼吸音だけが聞こえた。
「神眼教は、悪魔を殺したらどうするの? 祈りを捧げる? 名前を付ける? それとも、祝杯でもあげる?」
「し、知らなーーーー」
「知らないわけないよね。二週間前はどうだったのかって訊いてんの。一般人を守りながらなんとかカフカを殺した雨森さんを神眼教信者が殺した時のことをさ」
「ゆ、許して。お願い。もう辞めるから。神眼教を抜けて、あなたにも二度と近付かないから」
右足を小突く。ダルマババアは獣みたいな声を上げて手足をピクピクさせる。
不意に、異変に気付いた。ダルマババアじゃない。隣のおばさんだ。
雨音と一緒にすっかりBGMと化していたおごおごという口ごもった声が止んだ。
目を向ける。
おばさんの形が崩れた。
ヘドロ。あ、核だ。
飛んできた棘を避けながら右手を腐化。刀を形成し、横に振り抜いた。
人間からカフカになるまでの核は無防備な上に脆い。
容易く砕けてヘドロが蒸発していく。そしてそこにはおばさんの死体だけが残った。
へー。カフカになりきる前に殺すと人のかたちは残るって本当なんだ。
っていうか。
今の腐化って偶然?
それともーーーー。
唖然としているダルマババアに目を向ける。馬乗りになって、さっきのおばさんみたいに無理矢理口を開かせた。抵抗はあってないようなもの。
「大人しくして」
刀の切っ先を口内に突っ込む。抵抗が止まったのを見てから、刀を腐化させる。ダルマババアの口を無理矢理塞いで顎を上げる。
「さ、飲んでみて」
ダルマババアは視線を隣に向けてから私を見て首を横に振る。涙が飛ぶくらいに激しく。
「なんで? もしかしたらだけどカフカになれるかもよ?」
首を横に振り続ける。首もげちゃいそう。口を塞いでいる手に力を入れて固定する。
「腐化は浄化。カフカになることは救われるっていうこと。全部あんた達が教えてくれたことでしょ?」
奥歯を腐化。形成した棘を舌に乗せてダルマババアに見せた。
「三秒以内に飲み込まなかったらこれで頭を撃ち抜くから。悪魔に殺されるか神様の使いになるか自分で選びなよ。はい、さーん、にーい、いーち」
ゴクン、なんて音はしなかったけど、ダルマババアの喉を何かが通った。口を塞いでいた手に、脱力したような生暖かい息がかかる。
さぁ、どうなるかな。
立ち上がり、傘を拾って差す。クルクル。クルクル。
もう拘束してないけどダルマババアは立ち上がらない。まぁ無理か。足折れてるし。
クルクル。クルクル。クルクル。
おっ。
ダルマババアの身体が僅かに崩れると同時、棘が飛来した。傘を回しながら避ける。うん。雑魚い。雑魚はカフカになっても雑魚ってことかな。でもーーーー
嗤う。
今回だけは雑魚でいい。
それ以上に大きなものを手に入れた。
ぐちゅぐちゅと嫌な音を立てながらヘドロが膨らんでいく。
四足歩行タイプ。中型か。
形成されたばかりの前足が振り下ろされる。後方に飛んで避ける。攻撃遅っ。腐化したばかりだから? それともマジもんの雑魚?
これなら楽勝だけど、今殺しても大丈夫かな。また人の形に戻ったりしないかな。ていうかおばさんの死体食ってくれないかな。
そんなことを考えながら刀を形成していると、少し離れた場所で悲鳴が上がった。
そこには相合い傘で歩く中学生くらいのカップル。悲鳴を上げた女は両手で男にしがみついている。
カフカもそっちを見た。
うーん。本当は念のためにもうちょっと時間を置きたかったけど。
まぁいいか。
傘を投げ捨てながら、地面を蹴って首を跳ねる。向かってきた前足を切断。勢いまま懐に飛び込み、胸を見上げて刀を横に振った。
はい、おしまい。
崩れ落ちてくるヘドロを横に跳んで回避する。
本当にただの雑魚だったな。昨日の小型の方がまだマシだったんじゃ?
溶けて消えていく身体を眺める。よかった。ダルマババアの方は人に戻らなかった。カフカの形になればもうセーフってことかな。
振り返ってカップルを見る。まだ抱き合ったままその場で棒立ちしていた。
「さっさと帰った方がいいよ」
カップルは何度も頷くとぎこちない動きで歩いていった。これでいい。この場に残られて余計なことを話されるのは厄介だ。
スマホを取り出して、今度こそ支部に掛けようとアドレス帳を開く。
「あ、あの!」
うん?
振り返るとそこにはカップルの姿。なんで戻ってきてんだこいつら。
「何?」
「あ、ありがとうございました! 助けてもらって……」
男がそう言うと、女はペコリと頭を下げた。お礼言う時くらい男から離れろよ。
「別に、仕事だから」
それに私が作ったカフカだし。
二人はもう一度頭を下げてから今度こそ歩いていった。
その背中を眺めていると、さっき投げた傘が足元に転がってきた。拾い上げて肩に置く。二人の背中はもう消えていた。
スマホに視線を落として、アドレス帳の一ページ目に登録されている扇野支部を選択。
呼び出し音が響く中、傘を傾けて空を仰いだ。
雲に覆われた空。
雨は止みそうにない。
ま、梅雨だからしょうがないよね。