鬼踊 -オニ-1
空になった皿にフォークを置いてから何気なく周囲を見回した。
午後十一時前のファミレス。埋まっているテーブルは私を含めて四卓だけ。大学生っぽいカップル、ちょっとやんちゃっぽい格好の男子高校生(中学生かも)グループ、中年夫婦。
テーブルの上に置いているスマホが震えた。若菜からのメール。
『そろそろ帰宅してね』とのことだった。この辺りの地域では午後十一時をすぎると十八歳未満の子供は補導対象となる。それは法的に人間である徒花も同様だ。
『今から帰るとこ』と返信してからスマホをポケットに突っ込み、伝票を掴みながら席を立つ。
レジカウンターに伝票を置いて財布を取り出した時、ジリリリリリというけたたましい音が店内に響き渡った。伝票に手を伸ばしたまま固まった店員が強張った顔で私を見る。
スマホを取り出して警報を停止。代わりにカフカの出現を告げる声が響いた。中型カフカ。ここから近い。任務を受けたのは私が所属する班じゃなかったけど、まぁどうでもいい。
「聞こえてた?」
訊くと店員は頷いた。
「そのうち一般の警報が鳴ると思うけど、そういうわけだから、しばらく外に出ないで」
再度頷いた店員を尻目に踵を返すーーと、その前に。
財布から一万円札を取り出してカウンターに置く。
「お釣りあげる」
ファミレスを出ると方向を確認してから思い切り地面を蹴った。ここみたいな田舎は午後十一時を過ぎれば、国道にだって殆ど車が通らない。道路を突っ切る。五分もあれば現場に着くだろう。支部から出撃班が来るのは早くても十分後。寝ていた人もいるだろうから、十五分はかかるかもしれない。
十分間、一人で戦える。
それだけ時間があれば仕留められる。
自然と笑みが浮かぶ。
前方にヘドロの塊ーーカフカを発見。四足歩行。予定より大分早い。向こうからこちらに来てくれたらしい。見れば、ヘドロを撒き散らしながら一人の人を追っている。さっきのファミレスにいた高校生の同種。少し年齢は上だろうか。コンビニの前でたむろしていて巻き込まれたっていうところかな。ああいう人種は群れているものだから、他の人は殺されちゃったわけだ。
あ、踏み潰された。あ、頭喰われた。
カフカは周囲に人がいなくなったことを確認したことで落ち着きを取り戻したらしく、くしゃくしゃと獲物を食べ始めた。嫌いな生き物をよくあんなに食べられるものだ。まぁ人間に言われたくはないだろうけど。
目の前に立つと、カフカは顔を上げて私を見た。
首を傾げる。
どうしたんだろう。
あぁ、もしかして。
右手の人差し指を眼球に当てて、カラーコンタクトを外した。それを親指で弾いて捨ててからカフカを見上げる。
同じ赤い瞳。
今度こそ仲間だと認識したらしい。そして鼻先を近付けてきた。
その鼻っ面を殴打する。
大きく顔を仰け反らせて、カフカは鳴き声を挙げた。痛みを訴える悲しげな声。信頼していた相手に裏切られたような。
でもすぐに怒りが混ざった。
その気持ちは分かるよ。
理解と同時に高揚感が沸き上がる。自分が自分でなくなるような感覚。
馬鹿らしい。そう切り捨てた。
私にとって。
戦いにおいて重要なのは。
私が私のまま戦うこと。
一人で戦うこと。
楽しむこと。
それだけだ。
嗤う。
人はこの笑みを見て、鬼を連想するらしい。
失礼な話だ。そう思わなくもないけど、実は嬉しい気持ちもある。
私は昔話が好きだから。
「もー。結羽ちゃんってば勝手な行動はやめてって前から言ってるでしょー」
相変わらずアホっぽい口調だ、と思いながら「そうだっけ」と返す。
「そうだよー」
「記憶にございません」
「ちゃんと録音してるよー」
白水隊長様は机の引き出しからボイスレコーダーを取り出して再生する。
カチッ。
『結羽ちゃん、約束してくれる? もう勝手なことしないって』
『はい』
カチッ。
「ほらね」
勝ち誇った顔の隊長様。
「若菜、音量マックスで再生してみて」
「え? うん」
カチッ。
『結羽ちゃん、約束してくれる? もう勝手なことしないって』
『はい(いやです)』
「いやです!?」
「若菜に届かずボイスレコーダーにギリギリ届く声を発するという高度な技。つまり約束は無効。私は無罪」
「ぐぬぬ……」
「いや、隊長、騙されないでください」と口を挟んできたのは私の隣に立っている人。雨森班班長の雨森さんだ。「約束していようがいなかろうが、空木のやったことは明確な命令違反ですから」
「あ、確かに!」
ちっ。邪魔しやがって。
「今回はたまたま討伐できたからいいものの、対象を仕留めきれずに逃がしたりしたら一大事です」
「そ、そうだよね……。結羽ちゃん、分かった?」
「はい(知るか)」
「小さな声で知るかって言った! 私一応隊長なのに! 知るかって!」
「それで隊長、空木にはどのような罰を?」
「え? ちゅ、注意だけじゃ駄目かな?」
「初犯ならまだしも、こいつは常習犯ですから。あまり見逃すと他の隊員から不満が出る可能性があります」
「うーん。そうだよねぇ。分かった。考えとくね」
パパに相談するんだろうなぁ、と考えながら隊長室を後にする。そのまま立ち去ろうとすると雨森さんに呼び止められた。
身体を横に向けて顔だけ振り返る。雨森さんの側にいる班員二人と目があったけどすぐに逸らされた。照れているのだろうか。んなわけないか。
「何か用?」
「処分はおそらく一週間程度の謹慎だろう」
「ふぅん」
「これを機に少し落ち着け。単独行動を続けて生き残れるような仕事ではないぞ」
「だって邪魔なんだもん、他の二人。一人はまぁ吸花だからしょうがないけど、班長なんか戦花なのに弱いし」雨森班を一瞥する。「人間より強い徒花が戦ってるのと一緒で、弱い徒花より強い徒花が戦うべきでしょ。他の班の戦闘員で私より強い二人組がいれば別かもだけどさ」
「一人ではどうにもならない状況もある」
「例えば?」
「カフカが複数出現したらどうする? お前一人で相手出来るか?」
想像する。二体、いや、三体のカフカに囲まれている自分を。
やばいだろうなぁ。
でも、きっと嗤ってる。
胸を昂らせて、鬼の顔で。
「そんなに戦いが好きか」と、どこか呆れた口調で雨森さんは言った。笑みが浮かんでいた。この表情ばかりはどうにも押し殺すことが難しい。
「ねぇ、私のこの顔って、そんなに鬼っぽい?」
「今はそうでもないな」
「ていうことは戦ってるときはそうなんだ」
ふわぁと欠伸がでた。
「ねぇ、もう話終わり? もうこんな夜中だし早く帰りたいんだけど」