鬼踊 -ヒト-14
そんなことを考えながら眠ったせいか、カフカに襲われた時のことを夢で見た。
お母さんが私の左足にギザギザの刃を当てたところで飛び起きて、吐き気を感じると同時に嘔吐した。反射的に背中を丸めて、床に吐瀉物をぶちまける。
吐きながら嗤った。
嗤えば、鬼になれば、もう何も感じないから。
咳き込みながらも吐き気はスッと引いて、喉と鼻の穴に不快感だけが残った。
洗面所で顔を洗ってうがいをしてからリビングに戻る。ちゃっちゃとゲロを片付けちゃおうーーってうわっ。コントローラーに直撃してるじゃん。また買い替えなきゃ。何回目だっけ。でもゲロ直撃で壊すのは初だ。いつもは、ゲームが上手くいかなくてイライラして投げるか握り潰すかの二択だから。
吐瀉物を処理してから、ベランダの窓を全開にして換気する。
ソファ付近に消臭スプレーをこれでもかというくらい吹き掛けてから、仕事用のスマホを持って窓際へ避難。時刻を確認すると、まだ日付も変わっていなかった。ぼんやりとした眠気はあるけど、全身に感じる妙な怠さからして、無理に寝ても悪夢を見て短時間睡眠を繰り返すことになりそうだ。
外に出てみようかな。気分変えたいし、コントローラーも買いにいかなきゃいけないし。
箪笥を引いてスカートを取り出す。あー、風冷たいし上着羽織った方がいいかな。
スカートを穿いてから隣のクローゼットを開けて薄手のパーカーを羽織った。薄灰色で、丈も裾も少し余る。服は少しブカブカなくらいが個人的には好きだ。きっちりしてると、どこか窮屈な感じがする。タイトパンツとか絶対に無理。まぁ田舎の不良みたいなブッカブカファッションも真似したくないけど。
カラコンをしてから玄関に向かおうとして、ふと、ドアや鍵の開閉音に戸舞流華や紋水寺莉乃が気付いたら面倒だなという考えが浮かび、ベランダから外に出て戸舞流華と紋水寺莉乃の部屋の電気が消えていることを確認してからそっと飛び降りた。
小道に着地。ベランダを一瞥してから歩き出す。
深夜徘徊。警察に見つかったら面倒だから、大きな通りは避けるルートでゲーム屋に向かう。人通りはあまりなくて、たまに酒臭い大学生とかサラリーマンとすれ違うくらい。こっちをじろじろと見てくることはあっても声を掛けられることはなかった。
二十分くらい歩いてゲーム屋に到着。ゲーム屋っていうかゲームや本も売ってるレンタルショップだけど。
店内に入り、最初に漫画コーナーをぐるっと一周。最近はゲーム漬けだったから、集めてる漫画の新刊が二冊出ていた。帰ったらスマホで買おうと決めてゲームコーナーへ。こっちは漫画と違ってコントローラーだけ手にとってさっさとレジへ行った。
店員のおじさんに「中学生? 早く家に帰りなよ」と言われたから「これ買ったら帰る」と返した。
店を出る。うーん。どうもまだ帰る気にはなれない。もうちょっとフラフラしたい気分。でもなぁ。パトカーを気にしながらフラフラしてもリフレッシュ出来ないだろうし。
なんて考えながら空を見上げていると、ポケットの中でスマホが鳴った。警報じゃなくて着信音。画面に表示されている名前は『類家隊長』。
うげ。バレた。
「もしもし。お疲れ様です、隊長」
『珍しく殊勝な挨拶をしても誤魔化されんぞ』
怒ったような呆れたような声。
『まぁ仕事用のスマホをしっかり携帯している点だけは誉めてやろう』
「どーも」
だってカフカが現れたときは真っ先に知りたいし。
『早く帰れ。こういうことが多いと寮に住んでもらうことになるぞ』
「はーい」
しょうがない、帰ろう。
溜め息を一つ吐いてからスマホをポケットにしまうと、それを待っていたかのように四人の男ーー高校生か大学生くらいーーが近付いてきた。電話中、視界の隅にチラチラ見えて鬱陶しいなぁって思ってたけど、私に用だったらしい。
「こんなところで何してんの?」
挨拶もなしに馴れ馴れしく話し掛けてきたから、もしかして知り合いかと思ったけど、扇野に男の知り合いはいないはず。せいぜい支部の運転手くらい。
右手のビニール袋を軽く上げて「買い物」と返す。
私が徒花だって気付いてないのかな。
「へー、何買ったの?」
あ、これ気付いてないな。ならバレる前に逃げよう。
「ゲーム」踵を返しながら言う。「早く帰ってやりたいから、じゃあね」
「ちょ、ちょい待ってよ」
言葉と同時に二の腕を掴まれた。顔だけ振り返る。多分、不機嫌は隠せてない。
「今からカラオケ行くんだけど一緒に行かない? もちろん奢るから」
「私十四だけど」
「大丈夫大丈夫。知り合いがバイトしてるから何も言われないよ」
うーん、しつこい。
「今の電話親からで、早く帰れって言われてるから」
手離せ。
「いいじゃん、親なんか放っておけば」
「とりあえず手、離して」
「ん」
素直に離してくれた。よっしゃ。
ダッシュ。もちろん、人にしては早い程度に力を調整して。
「あ、ちょっ!」という声が後ろから聞こえてきたけど追い掛けてくるつもりはないらしい。
ナンパとか初めてされた。私も大人になったってことかな。それともさっきの男達がロリコンだったのか。
一分くらい走り、小道に入ってからスピードを緩めた。
歩きながら空を仰ぐと満点の星どころか月すら見えない曇り空が広がっていた。梅雨だからしょうがない。むしろ今降ってないだけツイてーーーー
ポツン、と、鼻先に雨粒が当たった。いきなりアンラッキー。
休憩時間終わり、とでもいうように雨の勢いは増していき、あっという間に土砂降りとなった。
帰ったらまたシャワー浴びなきゃ。
でも。
なんか気持ちいいな。
眠たくなるくらいに。
歩みを更に緩めて、気分のままフラフラと歩く。端から見たら酔っ払いかも。でも、なんか身体に力を入れることが怠い。
『いいじゃん、親なんか放っておけば』
放っておいてる。もう、一年も。
でもしょうがない。お母さんは私の顔を見ると普通じゃいられなくなるから。でも逆にいえば私の顔さえ見なければ最低限普通でいられる。それなら離れるしかない。
しょうがない。しょうがない。
テーブルに置いてあった二枚の手紙。
一枚は若菜から。
もう一枚は、お母さんから。
時間が経って症状が大分良くなったから一度会いたい。
シンプルな便箋にびっしりと細かい文字が並んでいたけど、要約するとそういうことだった。
次の公休は二週間後。
それまでに考えとかなきゃーーーーあぁもう、面倒くさい。
何も考えたくない。
そう思うと眠気は更に増していく。
面倒くさい。
考えるのも歩くのも。なんかもう全部。
足を止めて塀にもたれ掛かる。身体から力が抜けていって、ズルズルとその場に座り込んだ。
大粒の雨が身体を叩く。
どうして、こんなに眠たいのだろう。
どうして、こんなに心地いいのだろう。
だからしょうがないよね。
しょうがないことだらけのこの世界で、これだけがしょうがなくないなんてことはないでしょ。
頭の重みで横向きに倒れる。
手を枕にしてから、ゆっくりと瞼を閉じた。