鬼踊 -ヒト-13
『先乃町商店街にカフカ出現。二足歩行。小型。現場の被害状況は不明』
五分前にスマホから聞こえた声。
眼下に見えるのは寂れた商店街。死体から流れる真っ赤な血で彩られて少し華やかに……なるわけない。むしろホラーだ。
梅雨入りして三日。今日も今日とて降っている雨が、血を薄く広く商店街中に広げていく。
状況不明って、完全に殺りまくりじゃん。
地面に降りて商店街を駆けていく。
休日の午後という時間帯のせいか人で賑わっていたのだろう。至るところに死体が転がっている。何十人殺されたのだろう。いや、もしかしたら三桁いってるかも。
雨音に混じって悲鳴が聞こえたと同時、遥か前方にカフカを発見。地面に尻餅をついている人達も。足を固定されてるわけじゃないみたいだけど、怖くて動けないのか、それとも足に棘でも刺されたのかな。
情報通り、二足歩行の小型。カフカにしてはかなりの小さくて、人間と変わらない大きさ。
腐化したままの両腕を鞭のように振っている。その先についているのは、人の頭サイズの硬化した手。ハンマー投げのハンマーが頭に浮かんだけど、あれより大分自由自在に動いている。
それで殴られた女の人の頭がどこかにすっ飛んでいった。小型の割には攻撃力も高い。やっぱり知能があるとそこら辺は補えるもんなんだね。
目線だけ動かして周囲を確認。他にカフカが出現している様子はない。
なーんだ。
つまんないの。
一点を見据えてスピードをあげる。
両手を腐化。二振りの刀を形成。
私に気付いたカフカがこちらに身体を向けて右腕を振る。ゴム人間かよってくらい間接部分がグニュンと伸びて、先端の鈍器が私の横っ面を狙ってとんでくる。
わざわざ回避する必要もない。地面を蹴り、更に加速。刀を振って間接を切断。
カフカがもう一方の腕を振る前に接近。
すれ違い様に刀を横に振り、カフカの身体ごと核を切断した。
ふぅ。やっぱり楽勝。
息を吐きながら周囲を見る。生きてる人が五人。放心状態だったり、傷付いた足を押さえて呻いていたり。
とりあえず救急車を呼んだ。カフカが現れた時点で出動待機はしているだろうからすぐに来るだろう。
さて、怪我人の応急処置もしないと。面倒だけど、これも徒花部隊の義務である。まぁ大抵は支部から一緒に来る後処理班とか別の班がやるんだけど、私の場合は一人きりだから仕方がない。無視するわけにもいかないし。
一番酷そうな人は誰かなぁ。みんな同じようなものだけど……あ、完全にあの人だな。一人だけ両足やられちゃってるし。ていうか他の四人は片足使えるならケンケンパしながら逃げれただろうに。あ、パは出来ないか。
ポケットからハンカチを取り出しながら大学生くらいの男の人に近付く。一応厚手のを二枚持ってきたんだけど全然足りない。まさかこんなに生存者がいるとは思わなかったし。
傷も出血も大したことないな。とりあえず止血----
「ちょ、ちょっと!」
うん?
振り返ると、負傷者の一人である三十代くらいのおばさんが私を見ていた。さっきまで放心状態だったのに復活したらしい。
「普通こういう時って女子供から助けるものでしょう!?」
他の三人は中年の男女。要するに自分から助けろということらしい。
えー。やだなぁ。二番目に手当てするつもりだったんだけど後回しにしちゃおっかな。
「この人が一番重症だから」
それだけ言って男の人に向き直った。後ろからギャーギャー聞こえてきたけど、それに付き合うのは時間の無駄でしかない。
「ハンカチかタオル持ってない?」
「い、いや。ない、です」
ハンカチくらい持ってろよ。日常的に使うでしょ。
心の中で文句を言いながら傷口を確認する。両脚に開いた小さな穴。げっ。片方貫通してんじゃん。自前のハンカチだけじゃ足りないな。とりあえず二枚使用。貫通している二ヶ所の傷口に当てて、ぐっと両側から押さえる。男の人が「ぐっ」と小さく呻いた。
「ちょっとこれ押さえといて。痛いだろうけど強めにね」
男の人が頷いたのを見てから立ち上がり周囲を確認する。シャッターが閉じた床屋の二階の窓から人影がこちらを覗いていた。女の子だ。歳はコタロウと同じくらいかな。
手を振ると手を振り返してきた。違うっての。
口をパクパク動かしてみる。それでようやく女の子は窓を開けてくれた。
「大人の人はいない?」今度はちゃんと声に出すと首肯が返ってきた。
「家にあるハンカチとかタオル貸してくれない? 後から弁償するから」
首肯。窓際から女の子の姿が消えて、屋内からドタバタと走り回る音が聞こえてきた。
怪我人に向き直り、ハンカチを持っていないか聞いて、結果三枚ゲット。それぞれの傷に当てさせる。薄手だから十分とはいかないし、傷が貫通してる人もいるからまだまだ足りないけど。
女の子が持ってきてくれたタオルをそれぞれの傷口に当てて、とりあえず止血はこれでいいだろうと腰を上げたところで戸舞流華と紋水寺莉乃がやってきた。
「あれー。もう終わってる」と戸舞流華。
「ごめん、遅れた」と紋水寺莉乃。
二人とも、学校の制服が雨で濡れて身体に張り付いている。
世間的には休日でも進学校の生徒は別。希望する生徒は授業を受けられるらしい。二人は成績は優秀だけど、任務やらテレビやらでなんだかんだ欠席、欠課が多く、その穴埋めとして出ているとか。まぁそこでもこうして任務が入ってしまうのだからどうしようもない感じだ。
「別に。楽勝だったから」と返してから状況を話していると周囲に人が集まってきた。近くの建物から出てきた人もいれば、明らかにどこかからわざわざ見に来た人達もいた。
これはいつものことだ。この二ヶ月、戸舞班三人でカフカを倒そうが、私一人で倒そうが、私がカフカを人に戻そうが、そういう人達の視線の先にいるのは七割方戸舞流華。そして残りの三割は紋水寺莉乃か死体(今日の場合は負傷者も含まれる)に向いている。
誰も私を見ていない。視界に入っていない。
まぁどうでもいいけど。
ようやく到着した後処理班と救急車にあとのことは任せて、私達は支部へ報告に行った。
単独戦闘だったけど現場の状況を説明するとお咎めなしとなり、その日はそのまま帰宅。
マンションに着いて真っ先にシャワーを浴びた。浴槽に浸かるのは週に一回。家政婦さんが来た日だけ。
浴室を出てリビングへ。カーテン閉めっぱなしの真っ暗な部屋の中で、ポーズ状態のまま止まったゲーム画面がキツい光を放っていた。
電気を点ける。家政婦さんが水曜日に来てから三日が経った部屋は、順調に足の踏み場がなくなりつつある。
箪笥を引いてパンツとTシャツを取り出して着た。
コントローラーを手にとって、テレビの前に置いてあるソファに横になる。この二ヶ月で最高難易度のクエストでも寝ながらクリア出来るようになった。これならコタロウに情けない姿を見せることはないだろうと、一昨日投函した手紙に、ゲームを買ったから協力プレイをやろう、と書いた。もちろん二ヶ月間みっちり練習したことは書いていない。
そうだ、手紙といえば。
クエストをノーダメージでクリアしてから不意に思い出して背後のテーブルに視線を向けた。
そこに置いてある二枚の手紙。そのうちの一枚は二日前に若菜から届いたものだ。
転勤前に口喧嘩して以来、メールすらしてなかったけど、なんで手紙。スマホ変わったけどメアドは変えてないし。
内容は、一週間後にこっちの方へ来る予定があるからその時に会えないか、というものだった。
返事はしていない。
あと五日以内。
こういう状況はあまり好きじゃない。あと何日以内に何かをしなきゃいけないとか、何週間もあとのスケジュールが決まっているとか、そんな状況。
自由が阻害されているようで、少し息苦しい。
コントローラーを床に置いてからテレビの電源を切った。
ソファに横になったまま、真っ暗な画面を意味もなく眺める。
眠気でぼんやりしてきた頭で、明日のことを少し考えた。
明日は戸舞流華が公休だ。ヘルプが来るとか私が行くとかいう話はない。まぁそれでも任務が入ることはあるけど、三人揃ってるときと比べたら確率はかなり低い。今日出動したことを考えると余程忙しくならない限り任務は入らないだろう。とはいえ梅雨の時期はカフカがよく出るから分からないけど。
『明日は実家に帰るのか?』
『うん』
報告の際、隊長と戸舞流華が交わしていた会話。
生まれて間もない頃から十歳まで児童養護施設で育ち、十二歳で徒花となった戸舞流華にとって果たしてそこは実家と言えるのだろうか。長く過ごした時間でいえば、施設、マンション、実家の順番だろうし。
これは『戸舞流華』でネット検索すればすぐに分かることだ。私が徒花になる前から知れ渡っていたし、戸舞流華を追ったドキュメンタリー番組でもこのことについて触れていた。番組内でインタビューに応えていた義両親は二人とも優しそうな人で、それでいてお金持ち特有の余裕も感じられた。
この二ヶ月、積極的に関わることはなかったけど、確信したことが一つ。
戸舞流華は全てを持っている。
金持ちで優しい家族、格好良い恋人、仲の良い友人、自由が利く職場、地位、名声、人望、そして純粋な力も。
幸せの条件が整っている。
私は何一つ勝てない。
いくらカフカを殺しても、その場に戸舞流華が現れただけで全てさらわれる。私に向けられる筈だった歓声も、得る筈だった名声も。全て吸いとられる。
何かしらの被災地に有名人がボランティアに来た時みたいに。同じ事をやってる人、それ以上に大変な作業をしている人がオマケみたいな扱いになる。
商店街でのことを思い出す。
戸舞流華を見て興奮してる馬鹿。サインをせびる馬鹿。握手を求める馬鹿。写真を撮る馬鹿。
人の面しか見れない馬鹿ばっかり。
ばーか。
あいつらみんな、カフカに殺されちゃえばよかったのに。