鬼踊 -ヒト-12
焼き肉臭を放つ未成年女子四人が夜の歩道を歩いている。夜十時近くなると他に人影はなくて、車もたまに通るくらいだ。
戸舞流華と茅野奈緒が並んで話をしていて、その後ろに紋水寺莉乃、その少し斜め後ろに私。
三人の背中を眺めながら、お店での会話を思い出した。
たくさん嘘を吐いた。
いつからかは覚えていない。でも、気付いたら私はそうなっていた。
私のものは私のもの。別にお前のものも私のものなんて言わないけど。
好きな漫画も、ゲームも、若菜も、コタロウも、ピンク雄猫も、何故か浮かんだ雨森さんも。
私のものは、私だけのもの。
教えたくない。
興味を持ってほしくない。
共有したいと思わない。
私は昔話が好き。
でも、自分の話をするのは苦手。特に、自分の昔話は。
それすらも自分だけのものにしたい、そうであってほしいと願っているから。
これは独占欲なのだろうか。
だとしたら歪んでいる。
好きなものだけならいざ知らず、どうでもいいことや、さっさと忘れてしまいたい過去まで大事に抱え込んでいるのだから。
あぁ、嫌だな。思い出しちゃった。
多分、今夜は夢を見る。
私が左足とお母さんを失った時の。
ずき、と左足首の辺りが痛んだ。
気のせい。幻肢痛みたいなもの。そう言い聞かせても、痛みは消えるどころか増していく。歩くことが困難なほどに。
思わず足を止めて左足を見下ろす。
「結羽?」
前を見ると、紋水寺莉乃が不思議そうな顔で私を見ていた。その声で、先頭を歩いていた二人も振り返る。
「莉乃、どうしたのーーってうわ! どしたの、結羽ちゃん! すっごい汗!」
たたたっと戸舞流華が駆け寄ってくる。それに続いて、他の二人も。
足の痛みはピークに達していた。足がゆっくりと切断されていく感覚。身体の中を刃物が行ったり来たりする感覚。骨を削る感覚。
吐き気を感じたのは一瞬だった。
脱力感。
左足から崩れて、そのまま吐瀉物を地面に撒き散らした。
「うわっ」という声。飛び退く気配。
さっき食べた肉? 多分違う。これだって、私の意識が作り出したものだ。きっと、寸分違わず、一年前と同じものなのだろう。
「だ、大丈夫!?」
茅野奈緒の声。駆け寄ってきて、私の背中に手を当てた。
その感触にぞわっと背筋が凍って、思わず右肘で払う。直撃はしなかったけど、「きゃっ」と驚いた声が聞こえた。
「大丈夫だから、触らないで」
「ご、ごめんなさい」
最悪だ。ここ半年であの時のことを思い出すことはあっても、発作自体はすっかり治まっていたのに。
「流華、そこのコンビニでタオルとか手袋買ってきて? あ、あとお水も」
「え? う、うん。分かった」
そんなやりとりのあと、紋水寺莉乃が近付いてきて傍でしゃがんだ。
「大丈夫?」
「だから、大丈夫だって。別に、珍しいことじゃないし」
「珍しくないなら余計に大丈夫じゃない」
真剣な声色。
くそ。つい余計なことを口にしてしまった。
「とりあえずどこかに座った方がいい。そこの花壇にでもーーーー」
そう言いながら紋水寺莉乃が伸ばしてきた手を反射的に払った。
「大丈夫」
「駄目。大丈夫じゃない」
馬鹿にしてんのか。私が大丈夫だって言ってんのに。
「大丈夫だって言ってるでしょ」
「徒花が吐くなんて、どう考えたって普通じゃない」
普通じゃない?
そうだよ。私は普通じゃない。私は鬼。人でも徒花でもカフカでもない。特別。
強くなきゃいけない。
気付かないうちに、私は弱くなった?
だから、また、こんな。
「結羽、そこに座ーーーー」
「触んな!」
再び伸びてきた手を払う。
「大丈夫だって言ってんだからもう帰れよ! これ以上私に構うんじゃねえ!」
叫び終えると同時、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。だけどどこか迷いを感じさせる足取り。声が聞こえたのかもしれない。
「り、莉乃。買ってきーーーー」
「三人とも帰って。あとは一人でやるから」
「で、でも空木さん……」
「早く帰れって! じゃなきゃ私がここでーーーー!」
「奈緒」
紋水寺莉乃の声が響いた。
「帰ろう。流華も」
茅野奈緒は戸惑うように私と紋水寺莉乃を交互に見てから、ゆっくりと立ち上がって歩き出した。戸舞流華もその横に付く。
その場に残った紋水寺莉乃は何か言いたげな目で私を見ていた。
「何? 気分悪いから見下ろさないでくれる?」
「今、奈緒になんて言おうとしたの?」
「言わなきゃ分からない?」
数秒間の沈黙の後、紋水寺莉乃は片足を引きながら口を開いた。
「それは、何があっても口にしたら駄目。それを言ったら、あなたは人でも、徒花でも、カフカですらなくなる」
なにそれ。
ちょうどいいじゃん。
私は鬼なんだから。
「ぶっ殺してやるって言うつもりだったの」
嗤う。
「文句ある?」
紋水寺莉乃は何も言わず、しばらく私を見てから踵を返して二人の背中を追っていった。
翌朝。早起きしてゲームをするという健康的なんだか不健康なんだか分からない時間を過ごしていると隊長からメールで呼び出された。
まぁ息抜きも必要かとゲーム休憩ついでに隊長を訪ねると、案の定、用件は昨晩のことだった。
「嘔吐したと聞いたが本当か?」
「それってセクハラ?」
「本当のようだな。だが体調はいいようだ」
冷静に分析されてしまった。若菜なら絶対に狼狽えてくれるのに。
「白水隊長から聞いたが、同じようなことが以前もあったそうだな。訓練生の頃に何度か。部隊に上がって外で生活を始めた後はすっかり治まったと報告していたらしいが、それからずっと続いていたということか?」
随分詳しく聞いたな。
「いいえ。本当に治まってたんだけど、何故か急に催しちゃって」
「心当たりは本当にないのか?」
「肉を食べさせられまくったことくらい」
「記憶のフラッシュバックによるものではないか?」
「って、白水隊長が言ってたの?」
一秒だけ間が空く。
「あぁそうだ。君の過去も聞いている」
「あっそ。でもそれは全然関係ないよ」
「カフカに襲われ左膝から下を失ったそうだな」
ずき、と左足が痛んだ。
隊長がそのことをわざわざ口にしたのは私の反応を見るためだろうか。でも、まだ大丈夫。少し痛むだけ。
「下校中だった君は自宅の近くでカフカに襲われた」
ずきずき。
「地面に流したヘドロを固めることによって自由を奪うというカフカの常套手段にかかってしまった」
ずきずきずき。
「あは。まぁあの時は普通の女の子だったからねー」
「徒花は既に到着していたが、たった一人だったため自由が利く一般人の避難を優先していた」
ずきずきずきずき。
「その状況に気付いた君のお母さんは、君を救うために現場へ向かった」
ずきずきずきずきずき。
「その手に、ノコギリを持って」
ずきずきずきずきずきずき。
「君の足を切断した後、すぐに病院へ。手術の結果膝から下を失うことになったが、一命はとりとめた」
ずきずきずきずきずき。
「一方、現場でカフカに捕らえられていた一般人は全員死亡した」
ずきずきずきずき。
「結果的に、君のお母さんの決断は正しかった」
ずきずきずき。
「だがその体験が原因で精神を病まれる」
ずきずき。
「それから君とは一度も会っていないそうだな」
ずき。
鬼の顔で嗤う。
「私の過去を口に出すことでフラッシュバックを起こすか実験ってわけ?」
「鋭いな」
「で、結果は?」
「私が見る限りは変化なしだが、君本人はどうだ?」
「全然平気」
昨日気付いた。
あの時のことを思い出しても、鬼でいれば何も感じないことに。あぁ、痛みは感じるけど、これは幻痛だろうし。
吐き気を催すこともない。
頭や心の中がぐちゃぐちゃになることもない。
今の私は、壊すことしか考えていない鬼だから。
一つのことだけを考えていればいいんだ。こんな楽な状態が他にあるだろうか。
「だが原因不明にままにはしておけん。常駐医のカウンセリングを受けてもらう」
「今から?」
「あぁ。何か用があるのか?」
帰ってゲームしたい、と言っても『なら仕方がない』とはならないだろう。
私は諦めて首を横に振った。