鬼踊 -ヒト-8
サンドイッチが運ばれてきた。オーソドックスなBLTサンドだ。口に運びながらパンフレットを見る。
そこにも記載してあるように、神眼教にとって腐化は浄化であり、カフカになること、またはカフカの手によって死を迎える(つまり殺される)ことは人間に残された数少ない救いの道らしい。
ならさっさと殺されちゃえって思うんだけどね。何故かそういう人に限ってゴキブリみたいに生命力が高いっていうのが世の常だ。
パンフレットを読みながら食事を終えてカフェを出た。時刻はお昼の三時。スマホを取り出して、管轄地図を撮った画像を表示する。付いている赤丸は今までカフカが出現した場所を示している。徒花部隊設立から七年も経ってるんだからあちこち赤丸だらけ、と思いきや、意外と出現場所は限定されている。やっぱり人が集まる場所っていうのは強くて、さっきの大きな公園とか駅とか学校、大きな会社なんかがそれに該当する。
下見はしておきたいけど、人がたくさんいる場所には行きたくないなぁ。カフェの店員さんにも鬼踊だってバレてたし。
あーあ。こういう時にカフカが出てくれたら行き先なんて考えなくて済むのに。でも仮に現れたしたとしても、私のスマホには警報が来ない。近くに出現したら一般人用の警報で分かるだろうけど。
上を見ながら周りを見る。
あ、やっぱりスピーカーがあった。カフカが出るとあのスピーカーからジリリリリっていうすごい音が
『ジリリリリリリリリリ』
鳴った。
私がカフカ出ろなんて思ったからかな。ちょっと罪悪感、というかなんというか、もやっとした。でもすぐ高揚感に掻き消される。
『カフカが出現しました。場所は扇野第二中学校。近隣住民の方はーーーー』
扇野第二中学校? なんか聞き覚えがあるような。
スマホの地図を眺める。どこだろう。いいや。ナビアプリを使おう。
アプリを開いてから目的地を設定。ここから十分くらいの場所。じゃあ直線距離で走れば五分で着くかな。
えーと、こっちの方向か。
地面を蹴って屋根より高く跳ぶ。身体の一部を腐化、硬化して宙に足場を形成。それを繰り返して宙を駆けていく。屋根の上を跳んでいけたら手間もかからないし体力的にも楽なんだけど、うるさいとか屋根が抜けたらどうするんだとか汚れるとかいう苦情が来るから仕方ない。まぁ実際私も踏み抜いちゃったことあるし。
中学校が見えてきた。でも騒ぎが起きている様子はない。
校庭に人影が一つ。
紋水寺莉乃だ。
あっちも私に気付いた。
校庭に降りて、ゆっくり歩いて近付く。周囲に目を走らせると、カフカがそこで死んだんだろうなって感じで地面に残った染みと、胸とか頭にぽっかり穴が開いた死体が五体転がっていた。
と、紋水寺莉乃の肩越しに見える校舎から、たくさんの人間が飛び出してきた。制服姿だったり、死体と同じサッカーとか野球のユニフォームを着ていたり。
あらら。現場保存は鉄則なのに。一応殺人事件なわけだし。
こっちに再度振り向いた紋水寺莉乃も、テレビとかでよく見せるボーッとした表情ではなく、少し困ったように眉間に皺を寄せていた。
「こっちから行くしかないでしょ」
現場を荒らされないためには。
紋水寺莉乃はこういうことに慣れっこの筈だけどーーいや、だからこそ飽き飽きしてるのかもしれない。ふぅ、と小さく溜め息を吐いてから、生徒の群れに向かって歩いていった。でもすぐに足を止めると、私の前まで来て、
「あなたも来て」と言った。
「え、なんで」
「一人で相手するの大変。それに、あなたに気付く人も出てくると思うから」
「えー」
伸びてきた右手が私の左手を掴む。突然の行動、体温に驚いている間に、紋水寺莉乃は駆け出した。
校舎から出てきた(馬鹿)生徒の行動は、紋水寺莉乃の元に来る、あるいは現場の写真をスマホで撮るというどちらも迷惑な二パターン。
『校庭に出ている生徒は自分の教室へ戻りなさい』という放送が流れても見事なくらい意に介さず、サインとか写真撮影を求め続けていた。紋水寺莉乃が言ったように私もそれに巻き込まれたわけだけど、そのうち教師が校舎から出てきて生徒達を連れていった。
そのタイミングで支部のワゴン車が到着。カフカ討伐の連絡は既に届いていたらしく、そのまま私達の近くまで入ってきた。ドアが開き、中から降りてきたのは支部に駐在している婦警さん三人と後処理班三人。運転席には知らないおっさん。
紋水寺莉乃は婦警さんの一人を呼び止めて「銀山班は?」と訊いた。
「カフカ討伐完了の連絡を受けたので帰還したそうです」
「そう。ありがとう」
「いえ、お疲れ様です」
ビシッと敬礼する婦警さん。私の視線に気付くと、こっちにもビシッとやってくれた。
「ていうか出撃命令があったわけじゃないんだ?」
紋水寺莉乃は頷いた。そうだろうとは思ってたけど。
「流華の付き添いで近くにいたから。四足歩行の小型だっていうし、隊長に連絡してから来た。あ、ちゃんと許可もとった」
当たり前だ。連絡をしても許可が出なきゃここにいるわけがない。まぁそもそも連絡すらしない私が言えたことじゃないけど。
ていうか。連絡をすれば許可をもらえるんだ。
私なんかいつまで経っても『駄目』の一点張りだったのに。
そんなに戦闘力の差があるだろうか。いや、私だって少なくとも、四足歩行の小型くらい倒せる。片腕もいだ状態でも楽勝だ。
紋水寺莉乃が許されるってことは戸舞流華も、っていうわけだ。
ズルい。
ムカつく。
あ、でも、つまり。
二人と同じくらい強いんだっていうところを見せたら、私も単独戦闘の許可が降りるってことだ。
よーし。ちゃっちゃかカフカを殺しまくって、雨森さんモドキの隊長にアピールしなきゃ。
「紋水寺せんぱーい!」うん? 「あ、何だよ? 離せよ冨田!」
大声のした方向を見ると、坊主頭の男子が教師に捕まっていた。紋水寺莉乃の横顔を見る。
「知り合い?」
「うん、一応」
まさか彼氏? と思ったけど、反応を見るに違うらしい。まぁ見るからに釣り合わないしね。不細工じゃないけど、可もなく不可もなくって感じの容姿。
紋水寺莉乃に付いて男子に近付く。
「うっす、紋水寺先輩! ご無事そうでなによりっす!」
男子は教師に拘束されたまま頭を下げる。近付いてみると意外と小さい。私よりは背が高いけど、紋水寺莉乃よりは低いくらいだ。えーと、紋水寺莉乃の身長が確か百五十五センチだから、男子は百五十センチちょっとくらい? 中一なのか二なのか知らないけど、どっちにしろ小さめだよね、これ。
「あの、離してあげてください。知り合いなので」
「え?」
「舎弟っす」
「知り合いなので」
教師は意外そうに目を丸くしてから男子の拘束を解いた。でもやっぱり心配なのか、一歩下がった場所で目を光らせている。ふぅん。さてはこの男子、問題児だね。見覚え……というか身に覚えがある光景だ。
「健、現場には来ないようにって前も言った」
「うっす! だから今日は倒したのを確認してから来ました!」
背筋を伸ばしながら言う。てか声デカっ。
「どっちにしろ来たら駄目。討伐が終わってもしばらくは一般の人は立ち入り禁止だし、私だって支部に行かなきゃいけないし」
「す、すいません! でも紋水寺先輩達に言いたいことがあって…………あれ? 今日も戸舞先輩は一緒じゃないんすね。えっと? そっちの人は……ん? どっかで見たことあるような……」
「鬼踊の空木結羽さん。来週から私達と班を組むの」
「あぁ! あの一匹狼の!」
指をさされた。失敬な。
「うす! 楠健です!」
「どーも初めまして。私のことなんてよく知ってるね」
「知ってるっすよ! どんな相手だろうと一人で戦うクールな徒花なんて空木さんくらいっすから!」
「クール?」
「超クールっすよ! みんな言ってますから!」
「そうなんだ。ふ、ふぅん。へぇー」
な、なんだ、なかなかいい人じゃん。やっぱり声大きいけど。
「健、余計なこと言わない。一人で戦うのってすごく危ないんだから」
「うっす! すいません!」
「空木さんも、駄目だからね」
「はーい(いやでーす)」
「なんか小さく聞こえたような」
「気のせいじゃない?」
「そうかな」
万能は耳までいいらしい。首を傾げてから、あ、と口を開いて楠君に向き直る。
「健、先生を呼び捨てにしたら駄目だよ」
「うっす! わりぃな、冨田先生!」
「言葉遣いも直す」
「う、うっす! 努力します!」
「それで、言いたいことってなに?」
「あ!」と楠君は思い出したように声を上げてから学生服のポケットに手を突っ込んで、四つ折りにされたプリントを取り出した。
「実は四月末の発表会に出演することが決まったんす!」
バッと勢いよくプリントを広げる楠君。
演劇部の発表会のチラシらしい。題目は『草臥れた猫』。聞いたことない。まぁ演劇の話なんてロミオとジュリエットくらいしか知らないけど。てか演劇部なんだ。まぁ声大きいから合ってるのかも。
「そっか。おめでとう」紋水寺莉乃は無表情のまま言う。
「あざっす!」
「何の役で出るの?」
「通行人っす!」
めちゃくちゃ脇役じゃん。
「それって台詞とかあるの?」
「『えー!?』って驚きます!」
えー……。
「そうなんだ。頑張って」
「み、見に来てもらえますか!?」
見に来て欲しいかな、そんなちょい役。私なら多分やだけど。せめて名前くらいは欲しい。
「うん。行けたら行く」
行かない奴の台詞だ。
「うっす! 是非来て下さい!」
「じゃあ私、支部に行かなきゃいけないから」
「うす! 俺も練習に戻ります! お疲れ様でっす!」
そう言って楠君は走り去っていく。最後までうるさい人だったなぁ。
「舎弟なの?」
楠君の後ろ姿を無表情のまま眺めている紋水寺莉乃に訊いてみる。
「知り合い」
「ふーん」
まぁどうでもいいけど。
踵を返しつつ「じゃあ私もう行くから」と言うと、紋水寺莉乃の手がまたしても伸びてきた。
「駄目」
左手を掴んだまま短く言う。
「なんで」
「空木さんのことも報告しなきゃいけない」
「すればいいじゃん」
「どうせ呼び出される。それで怒られる。勝手に現場に来たから」
「げぇ」
「自業自得」
「まぁそうだけどさ。あ、紋水寺さんが私のこと黙っててくれればいいんじゃない?」
「莉乃でいい」
「え? あ、う、うん、莉乃、さん?」
「呼び捨てでいい」
「わ、分かったから、手、離してよ」
「駄目。黙っておくのは。ていうか無理。一般の人とか、他の職員さんにも見られちゃってるから」
「えー」
めんどくさいなぁ。
自分達が乗ってきた車を使っていい、という婦警さんの言葉に甘えて、私と紋水寺莉乃はワゴン車の後部座席に乗り込んだ。
発進。車窓の景色が流れ始める。
「結羽って呼んでもいい?」
「え?」
聞き取れたけど聞き返してしまった。
「空木さんのこと、結羽って呼んでもいい?」
「い、いいけど……」
なんなんだろう。紋水寺莉乃ってこんな性格なの? なんか気味悪いんだけど。真顔のまま変わらない表情が余計にそう感じさせる。
「今日の晩御飯はどうするの?」
「適当に食べようかなって」
「一緒に食べる? 流華の部屋で」
「ううん。いい」
「そう?」
心なしかしょぼんとした表情。
本当になんなんだ。調子が狂う。
「二人はいつも一緒にご飯食べてんの?」
「うん。放っておくと、流華はお菓子しか食べないから」
「へー。私でもコンビニ弁当とかカップラーメン食べるのに」
「それも駄目」
「空腹が満たされればよくない? 私達に人間ほど栄養は必要ないわけだし」
「でも、人間らしい生活しなきゃ」
「コンビニ弁当とかカップラーメンだけで生きてる人間なんてたくさんいると思うけどね。お菓子は知らないけど」
「確かにそうかも知れないけど……」
「ま、とにかく私はいい。ご飯の時間とか気にするのめんどくさいし、自分が食べたいときに食べたいし」
「太るよ?」
「太らないし」
無愛想で無関心。
私の中にあった紋水寺莉乃のイメージ。
テレビとかで見掛けた姿から形成されたものだったけど、それは大きく外れていたらしい。
うざいくらい話し掛けてくる。
昔、私の担当をしていた新人看護師みたいに。
話が上手いわけでもないところまでそっくりだ。