鬼踊 -ヒト-6
そんな風に高を括っていた三日後。マンションを訪ねてきた若菜が口にしたのは、謹慎延長でも減給でもなかった。
四月からの転勤命令。
蛍山支部に勤めるのは二月いっぱい。三月中に扇野支部管轄内のマンションへ転居し、四月一日から向こうでの仕事が始まるらしい。
あと一ヶ月ちょっと。最長でも二ヶ月したらここを出ていかないといけない。
「厄介払いってこと?」
若菜は慌てた様子で首を横に振る。
「ち、違うよ! 少なくとも、私はそんなつもりじゃ……」
「知ってるよ。結局あんたは上の操り人形だもんね。パパが決めたからしょうがなく、でしょ?」
「私だって反対したんだけど……」
「はいはい。どーもありがとうございます」
「だっ、大体、結羽ちゃんが悪いんでしょ! やめてって言ってるのに勝手なことばっかりして!」
「うっさい出てけバカ!」
言葉と同時に投げたテレビのリモコンは隊長の額にジャストミートした。ほら、この程度も避けられない雑魚の癖に。
隊長は額を抑えて涙目で私を睨んでから「バカッー!!」と言って部屋を出ていった。
あのポワポワお花畑脳味噌ちゃんはきっと気付いていない。この時期に扇野支部に呼ばれるというのがどういうことなのか。
一週間前、戸舞班の吸花が、他班のヘルプとして参加した任務で殉職した。私が埋めるのはおそらくこの穴だろう。
そう考える理由は、戸舞班の噂と徒花部隊の現状。
全能の戸舞流華と万能の紋水寺莉乃。世界的に見てもトップクラスの徒花が二人いるにも関わらず、戸舞班に配属された徒花は全員殉職している。その全員が、戦闘に参加することのない吸花であるにも関わらず。一年ちょっとくらい前だったか、そのことが噂になって結構な騒ぎになったことがあった。その時は三ヶ月くらい経って噂の勢いがなくなってきた頃に三人目をいれて活動を再開。一般人もその話題には飽きていたらしくて、それをどうこういう人はほとんどいなかった。結局、みんな、騒ぐタネが欲しいだけなんだ。
そしてその時に配属された吸花も一週間前に死んだわけだけど、全能も万能も関わっていないところでの殉職だったからか、一般人もマスコミも大した反応をしなかった。
そんな一連の反応を見たとき、もしこれが戸舞班としての任務だったら、凄い勢いで報道されるんだろうなぁ、と思った。プロウダ国のせいで、ただでさえ徒花部隊への反発が大きい時期だ。上の人達としては、戸舞班への批判が再燃することは何としても阻止したいところだろう。
そんな時に私を見つけた。いや、もしかしたら前々から目をつけられていたのかもしれない。
いくら注意しても一人で突っ走ってしまう徒花は、上の人が大事に大事にしている全能と万能と組ませるには最適だろう。
カフカが現れました。
他の二人が着く前に鬼踊が勝手に倒しました。
鬼踊が死にました。
勝手に戦って勝手に死にました。
全能さんと万能さんには何の落ち度もありません。
短く笑う。
まぁ、別にいいや。
勝手にやっていいっていうなら、今までみたいに勝手にやるだけだ。
さよならを言う相手はコタロウくらいだった。あ、そういえばピンク首輪の雄猫も来てくれたから『にゃー』ってさよならを言った。
引っ越す頃にはコタロウのリハビリも終わって普通に歩けるようになっていたけど、平日の昼間に公園で話をするという生活は変わらなかった。
引っ越し当日。マンションからタクシーで空港へ。そこから飛行機に三時間乗る。
生まれて初めての飛行機は少しドキドキしたけど、すぐに慣れてしまった。
空港には扇野支部から迎えがきていた。一般人のおば……うーん。お姉さん? おばさんかな。
そのアラサーの人は江利山ちはると名乗った。扇野支部で事務をしているらしい。名前忘れちゃいそうだな。事務員に興味ないし。
丸っこい軽自動車に乗って扇野支部へ向かう。そこでこっちの隊長さんと話をしてから新居へ、といった予定になっている。話長いのかなー。面倒くさいなぁ。こっちの隊長さんはあっちの隊長よりずっとまともな人だろうし。
「少し疲れた?」その声に前を見ると、バックミラーの中で…………えっと、事務員さんと目があった。「ここから扇野支部まで一時間くらいかかるから寝ててもいいですよ」
「うん」と返して瞼を閉じた。全然眠たくなかったけど。
引っ越しはこれで二度目。徒花になって、元々住んでいた土地を離れて蛍山へ。一年も経たないうちに今度は扇野へ。
次はどこだろう。ううん。多分次はない。ここを離れるとすれば、それは私が死ぬときだ。
戸舞班の構成は『全能』『万能』『使い捨て』だから。
「着いたよ」という声で目を開けた。寝たフリはおしまい。
車を降りると、ぐるっとフェンスに囲まれた敷地が視界にはいった。どこの支部も外観は変わらないんだ。つまらない。地域ごとに特色を出せば良いのに。蛍山はホタルのマークをつけるとか、扇野支部は扇のマークをつけるとか、松雲支部は松の木と雲のマーク……あれ。なんか松雲だけカッコいい。ズルい。
事務員さんと検問所を通って敷地内へ。これも蛍山と同じだけど、基地の敷地はかなり広い。正直歩くのがダルいレベルで。一人で走っていっちゃ駄目かな。ていうか事務員さんに言われて車の中に荷物置いてるからまたあそこまで戻らないといけないのか。
「空木さん、学校は行くの?」
「ううん。行かない。もう一年以上行ってないし。あ、でも行かないといけないのかも」
「どうして?」
「だって、『使い捨て』の徒花はみんな『全能』と『万能』と同じ学校に通ってるんでしょ?」
「えっと、類家隊長から配属班を聞いたってわけじゃあ……」
「ないけど」
「じゃあ私からは何も言えないかなぁ。私も知らないことだし。でも、空木さんは十四歳。年齢的には来年度から中学三年生でしょ? 仮に流華ちゃん達の班に配属になったとしても、高校に通わせるような無理はいくらなんでも出来ないよ」
流華ちゃん。徒花歴五年のベテランということもあって、事務員さんとも仲が良いらしい。まぁ良い子っぽいもんね、あの人。私は嫌いだけど。
「あと『使い捨て』とかって流華ちゃんや莉乃ちゃんの前では言わないであげてね。あの子達、多分気にしてないようで気にしてるから」
「ん」
それからは会話もないまま歩いた。支部に入って隊長室へ。事務員さんがノックをするとすぐに返事はあった。
「はい。頑張ってね」
何を? と思いながら、開けてくれたドアをくぐる。
室内には事務机に腰掛けた隊長さん一人。私を見ると、机に手を付いてゆっくりと立ち上がった。
「ここで隊長をしている類家千香だ。よろしく」
「空木結羽……です」
「座ってくれ」
手で示されたソファに、言われた通り座った。隊長さんも向かいに座る。
「忘れないうちにマンションの鍵を渡しておく。暗証番号は0229。メモはいいか?」
「うん。閏年って覚えたから」
「確かにそうだな……。変えたかったら変えてもいいが報告はするように」
「ん」
鍵を取ってポケットにしまう。
「さて、仕事は四月一日、来週からになる。配属班は予想がついていると思うが戸舞班だ。色々噂されている班だが、気にせずに任務を遂行してもらえばいい」
そしたら全部私のせいに出来るもんね。
「だが、あの二人はテレビの出演などでなかなか忙しい。そういった時、他の班と組んでもらうことも多くなるだろう」
「別にいい」
どっちにしろ好き勝手するだけだ。
「一応言っておくが、単独での戦闘は認めないからな」
「駄目なの?」
「当たり前だ。マニュアルを読み返してこい」
読み返すも何も読んだこともない。あ、持ってきてもない。っていうか一人で戦わせるために呼んだんだと思ってたけど、この隊長さんは違うらしい。もっと上の人がそう考えてるってこと? めんどくさいなー。黙認してくれると思ってたのに。
「白水隊長からも無理をさせないようにしてくれと頼まれた。無理はするなよ。ただでさえ無理の多い仕事なんだ」
「はぁ」
「学校には通わないということでよかったな?」
頷くと、隊長さんは机の上に置いてあった封筒から一枚の紙を取り出して広げた。
「扇野支部の管轄地図だ。外に住んでいると自らの足で現場に向かうことが多くなる。他の二人がいない場合は一人だしな。仕事が始まる前に一通り回っておいた方がいいだろう」
「うん」それは同意。スマホのマップも完璧じゃないから。
隊長さんは地図を封筒にしまって私の前に差し出した。
「これで話は終わりだ。江利山には私から連絡を入れておくから、入り口で待っていてくれ」
頷いて立ち上がり、隊長室を後にした。廊下を歩きながら、早く済んでよかった、と少し安堵を覚える。あの人、ちょっと苦手。雨森さんに似てるから。
入り口にいくと事務員さん……江利山さんはもう来ていた。
「早かったね」
「うん。無駄話なかったから」
蛍山支部に入隊した時なんか、隊長は鬱陶しいくらい話しかけてきたものだけど、やっぱりアレは特殊なんだろう。
「類家隊長はどうだった?」
歩きながら江利山さんが聞いてくる。
「どうって?」
「第一印象」
「厳しそう」
「あはは、正解」
「仕事は出来そう」
「うん、それも正解」
「融通利かなそう」
「あー、それはちょっと外れかなぁ」
「ふーん」
少しは融通が利く雨森さんって感じ? うーん。微妙。それに、この人がいう融通に単独戦闘は含まれていないだろし。
ふと、遠くに見える検問所に一台のワゴン車が停まっていることに気が付いた。江利山さんも同じタイミングで気付いたらしく「あら」と呟いた。
「帰ってきたみたいね。一時間くらい前にカフカが出て梅長班が出動していたらしいの」
「梅長仁美の?」
「うん」
検問所を抜けたワゴン車が私の横を通り過ぎていく。カーテンは閉まっていなかった。助手席に梅長仁美。後部座席には知らない徒花が二人。
「後ろに乗ってた二人はね」
走り去るワゴン車を見ていると江利山さんが口を開いた。
「芥なつちゃんと小見川碩ちゃん。なつちゃんは半年前に……えっと、霧崎麗さんって知ってる?」
「『女王』様でしょ?」
「うん。あの人の代わりに入った子。戦花だよ。それで、碩ちゃんは少し前に入ったばかりの吸花の子。なつちゃんが十八歳で、碩ちゃんが十七歳だったかな」
年上の後輩。いつものことだ。開花するのは若い人が多いけど、実際にちゃんと戦えるのはある程度精神的に成長してからだから。まぁそれは凡人の話だけど。
そんなことを考えていたからか、いつだかSNSの談論に参加していた籠田希恵のことをふと思い出した。新しいスマホが届いてから彼女のことを検索してみたのだ。
籠田希恵。
陣野原支部所属。
双花。
十歳。
そのプロフィール、というか年齢を見たときは、正直目を疑った。開花した年齢もあるけど、あの全能万能だって入隊したのは十二歳かそこらだ。
どんな天才児なのかと思って過去に参加した任務を見てみたけど、そこまで目立った活躍はしていないように見えた。もちろん、十歳で戦場に出ているってだけで凄いとは思うけど……。陣野原支部はそんなに人手不足なのか、というのが正直な印象。まぁ話題性が欲しかっただけかな。十歳を戦わせるっていうのは色々な意味でリスクが大き過ぎると思うけど。
「ねぇ、籠田希恵って知ってる?」
検問を抜けながら訊いてみる。口にしてから、いち事務員が詳しいことは知ってるわけないか、と思ったけど、返事は「会ったことあるよ」だった。
「どこで?」
「扇野支部で。あの子、公休を利用して、他の支部の徒花に会いに行ってるんだって。環ちゃんーー三星環ちゃんっていう徒花がいるんだけど、その子とSNSで友達になって会いに来てたのよ」
随分活動的なお子様だ。お金は有り余ってるだろうけど。ていうか物好きだなぁ。私なんて任務の報告でも支部になんか来たくないし、他の徒花にだって極力会いたくないのに。
「希恵ちゃんが気になる?」
「個人じゃなくて、そんな子供を戦わせる必要があるのかなって思うだけ」
「私からすればあなただって子供よ。出来れば戦って欲しくないし、戦うなら無理はして欲しくない。死んじゃうなんてまっぴらごめん」
「ふぅん」
良い顔したがりの偽善者。
ナチュラルに徒花を見下す差別主義者。
この人はどっちだろう。
どっちにしろゴミだけど。




