鬼踊 -ピエロ-3
謹慎が言い渡されたのは翌日だった。
隊長が遠回しに伝えてきたことを簡潔にすると、勝手な行動が今まで許されていたのは、なんだかんだカフカ討伐や市民救出という結果を出せていたから。今回みたいにいいところがないだけじゃなくて暴走ともいえる戦い方をすればこうなるのは当然のことらしい。
しかも二度目ということもあって一ヶ月の謹慎。
キツいなぁ、なんて考えながら青い空を見上げた。
平日昼間の公園は相変わらず閑散としている。一週間に一度。毎週水曜日だけは外出オーケー。自分ルール。
「結羽、また来たの?」
前を見るとコタロウが立っていた。まぁ気付いてたけど。
「一週間ぶりだっていうのに冷たい言葉だね」
「だってまだ謹慎中なんでしょ?」
「コタロウ、正論ばっかりの人間はモテないよ」
「真っ当な言葉を正論なんて言葉に言い換えて否定する人間にはなりたくないね」
ぐぬぬ。
「そ、そんなこというなら私帰ろっかなー」
「それがいいよ。謹慎中なんだし」
ぐぬぬ。あ、でもそんなこと言いながら隣に座るコタロウ可愛い。
「それでさ」コタロウはどこか言い淀むように口を開いた。「謹慎が終わったら、もう今までみたいに一人で戦いまくるのは止めなよ。他の徒花の人達みたいに、呼ばれた時だけ仲間と一緒に戦えばいいじゃん」
コタロウは真っ直ぐに私を見る。
「善処します」
「真面目な話」
それは分かってるんだけどさ。約束できないし、嘘も吐きたくないし、悲しい顔も見たくない。ならおどけて誤魔化すしかないじゃんか。
大型カフカとの戦闘。
あの時、コタロウは市立病院にいて、出入り口が詰まったことで渋滞した廊下から戦闘を見ていたらしい。つまり私が無様に負けるところもバッチリ見られちゃったわけだ。あー、もう。最悪。だからこんなこと言ってくるんだろうなぁ。中型が相手なら心配する暇もないくらい余裕で倒せたのに。
「そんなに戦うのが好き? 楽しいの?」
「楽しいよ」
「どういうところが?」
「うーん。なんだろう」
「非日常、非現実的な感覚?」
「あぁ、そんな感じかも」
「麻薬中毒者みたい」
「会ったことあるの?」
「ドラマで見たよ。昼にやってるやつ」
「あれは子供が見るものじゃないよ」
「お母さんにも言われた。でも、じゃあいつになったら見ていいの? 二十歳? 十八歳? 十六歳?」
「自分が大人になったって思ったらでいいんじゃない?」
「じゃあ僕はもう大人だ」
「そういうこと言ってるうちは子供だと思うけどね」
「大人ってズルい」
拗ねた様子が少し可笑しい。
「私だってまだ子供だよ。コタロウと四歳くらいしか違わない。昼ドラだって見ない」
「ふーん。なんか大人の余裕って感じのセリフ」
「良ければ結羽お姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ」
「結羽おばさん」
「女の子にそういうこと言ううちはお子様だね」
「大人になったり女の子になったり、大人ってホントにズルい」
口先の尖った横顔を少し眺めてから視線を下げる。足のリハビリは続いているらしいけど、松葉杖はもう使っていない。でも、動かしづらいのか、あるいは痛むのか、歩く姿を見なくても足音を聴けば分かるくらいに重心がズレていた。ずっとこのままだと、そのうち右足か腰を悪くする。
「な、なに?」
気付くとコタロウが私を見ていた。
「ううん。なんでもない」
でも言わない。
どうして?
なんとなく。
ジリリリリリリリ、という、反射的に苛立つような音で目を覚ました。当然、アラームの音じゃない。基本的に目覚ましなんて掛けないし、掛けたとしてももっと柔らかくて優しい感じの音色に設定する。
警報。
ソファの横に落ちていたスマホを、殆ど眠ったまま拾い上げて腹立たしい音を止める。謹慎中の今、夜中のカフカ出現なんて安眠妨害以外のなんでもない。
スマホを枕元に置いてから寝返りをうって横向きになる。身体を丸めると、あっという間に落ちていく感じがした。
『ーーにカフカが出現。中型ーーーーーーー出撃ーーーーーーー繰り返します。千川ーーーーーー』
千川?
両手を枕元に付いて上体を起こし、スマホを覗き込む。
画面にはカフカ出現地点付近のマップが映し出されている。
千川駅公園。
見慣れた景色が頭に浮かぶ。そこから見えるコタロウの家も。
大丈夫。
きっと、コタロウは何にも気付かず寝ている。
でも万が一、騒ぎに気付いて窓からカフカを見ていたら?
その視線にカフカが気付いたら?
いつかの不良みたいに頭を噛まれるコタロウの姿が浮かぶ。
行かなきゃいけない。
行かずにはいられない。
部隊の規則も自分ルールも知ったこっちゃない。
私は私のやりたいように動く。
何物にも縛られない。
支部と私のマンション。公園に近いのは明らかに後者だったこともあって、誰よりも先に現場へ到着した。
深夜二時の公園に響く咀嚼音。クチャクチャ。
安心した。コタロウの家どころか周辺の住宅に被害はなく、カフカも既に落ち着きを取り戻しているみたいだから。
今のところ残ってる死体は現在進行形で食べられている一体だけ。あ、少し離れた場所に何体か転がってる。頭のない死体、背中に大穴が空いた死体。三体目の死体はちょっと弄ばれたのかな。両足が千切れてて、上半身に無数の細かい穴が空いている。足ちょん切られた後にプスプス刺されたんだろうなぁ。うえー。
死体が着ているのは遠目に見ても分かるダボダボの服。公園内に止められている自転車はあの人達のだろうから中学生か高校生ってところかな。子供じゃなくても夜に出掛けるなって言われてる御時世に何をやってるんだろう。
バスケットコートに着地。カフカがこっちに顔を向けた。二足歩行タイプ。体長は三メートルちょっとくらい?
笑顔を浮かべて手を振った。カフカは首を傾げながらも振り返してくれた。心なしか赤くて丸い瞳がきょとんとしているように見えて可愛らしい。でもヘドロで誤魔化せないくらい返り血を浴びている様子だった。口の回りもべったべただし。
ちょいちょいと手招きする。ひょこひょこと身体を左右に揺らしながら近付いてきたカフカに、水飲み場の水をぶっかけた。方向と威力は指で微調整。カフカは少し驚いたように身体を震わせたけど、腕を軽く広げたりして気持ち良さそうにしていた。ヘドロの癖に清潔がいいんだ。
大雑把に洗ってから水道を止めてカフカに近付く。
さぁ、綺麗になったところで殺そう。
右手で刀を形成。
カフカは大した反応を見せないどころか、狙いやすいように屈んでくれた。
よく分かんないけどラッキー。
歩いて近付いていくと、長い右手が伸びてきた。
なんだろう。
その手は私の頭に乗せられて、ゆっくりと、優しく、左右に動いた。
よしよし?
身体を綺麗にしたお礼?
良い子じゃん。
命を救った相手にさえちゃんとお礼が言えない人間も少なくないのに。
頭を撫でられるなんて。
何年ぶりだろう。
おっきな手。
嬉しいな。
だから笑った。
「バイバイ」
右手を斜め上に突き出す。
刀はカフカの胸から背中へと貫通する。
痛そうな声。
末端から溶け崩れ、気化する身体。
頭に置かれていた右手も形をなくし、気化しきらなかった僅かなヘドロが私の顔を伝う。
カフカが完全に消滅すると、周囲の住宅の灯りが点り始めた。人の声も聞こえる。
刀を腐化して身体に戻してから水道で頭を洗っていると複数の足音が近付いてきた。顔をあげてそちらを見る。揺れる懐中電灯の光。十人くらいの人。みんな中年くらいのおっさんとおばさん。
頭を振って水を飛ばす。うーん。髪切ろうかな。普段は結ってるからいいけどこういう時邪魔だし。まぁここまで急いで現場にくることなんて今までなかったけど。いやぁ、寝間着がなくて普段着のまま寝ててよかった。
足音が止まって「おーい」という声が聞こえた。なんて返せばいいんだろう。おーい、でいいの? こだまじゃないんだけど。
とりあえず手を振っておいた。どよめきが聞こえてから、またゆっくりと近づいてくる。
顔が懐中電灯の光で照らされる。まぶしっ。イラッ。
「あんた、鬼踊の?」
「うん、まぁ」
「カフカは……」
「倒したよ」
おぉ、と歓声が上がる。よかった、助かった、と口にする人達。先頭を切って歩いてきたおっさんが私に近づいてくる。
「カフカになったのは毎日のようにここに集まっていた悪ガキだと思うぞ。カフカになった瞬間を見たわけじゃあないが、ほぼ間違いないだろう」
そうかな。停めてある自転車は四台。被害者の分で全部っぽいけど。まぁ歩いてきたとか二人乗りで来たのかもしれないか。どっちにしろ一般人の推測なんて、アイドルグループが歌うカバー曲くらい聴く価値がない。
「俺が気付いたのは悲鳴が聞こえてきたからでな。あ、起きてたから気付けたんだ。最近趣味でブログを始めて、その更新をしてたんだよ」どうでもいいわ。「そしたら悲鳴が聴こえたんだ」さっき聞いたよ。「多分、カフカになった仲間を見てビビった声だったんだろうな。カーテンを開けたら、ちょうど逃げ出した三人が見えた」ふむふむ。その時には一人目が殺されていたらしい。腐化直後、一人殺害、悲鳴をあげて三人逃走。「二人はあっという間に殺されちまって、三人目も捕まってた。暗くてよく見えなかったけど、俺は目が良いんだ。それでな、なにをされてたかは分からんが、三人目はずっと悲鳴をあげ続けてた。騒ぎに気付いてる奴の大半は、そこで気付いたんだろう。最初から見てたのは俺くらいだ」
「そう」
私の反応が気にくわなかったのか、おっさんは気分を害したみたいに少し顔を歪めた。どこを勝ち誇ってんだバーカと口にしなかっただけ遠慮したつもりなんだけど。
ふぅ。バレないように深呼吸。
「情報提供ありがとうございます。でも現場への立ち入りは禁止されていますから、みなさん、今日は自宅へ戻ってください」
「なんだと? 情報提供が終わったらさっさと帰れって、そりゃあないんじゃないのか?」
えぇー。勃起してんのかってレベルで興奮しながら勝手に話しただけじゃん。私、自慰行為に付き合ってあげたようなものじゃん。
「すいませんが」
「大体ここは公共の場だろう! あんたみたいな子供に立ち入りを禁止する権利があるのか?」
私にはないけど徒花部隊にはあるんだけど、そう言っても今みたいに屁理屈こねるだけだろうな。あー、ぶん殴っちゃ駄目かな。カフカ殺したときよりスカッとしそう。
結局、おっさんは他の人に宥められた末に肩を怒らせながら帰っていった。他の人もそれに続いて歩いていく。
「あの言い方はちょっとないわよねー」という声が聞こえた。徒花は地獄耳だから。
去っていく後ろ姿を眺めていると、集団の中から一人、こっちに向かって小走りで駆け寄ってきた。中年のおばさん。ぽっちゃりしてて、ちょっと走っただけで軽く息を切らしていた。
「あの、よかったら、これ」
そう言って差し出してきたのはハンカチだった。
「こんな寒い日に髪濡らしっぱなしじゃあ風邪引くでしょ?」
徒花は風邪を引かない。私達の常識は、なかなか一般人の常識になってくれない。
「ありがと」
「ううん。こちらこそ、どうもありがとう」
おばさんは深々と頭を下げてから、重そうな身体を揺らしながら駆けていった。
ハンカチで髪を拭く。ロングだからハンカチ一枚じゃ足りないけど、まぁいいや。
すぐに支部から徒花がやってきた。出現班は雨森班だったらしい。雨森さんは現場の様子と私を見た時点で全てを察してくれた様子だった。いやぁ、話が早い。
「とりあえず聞くべきことも言うべきこともは山程あるが……、そんなに戦闘は楽しかったのか?」
「え? 全然。なんで?」
「なんだ、自覚なしか」雨森さんは私の顔を指差した。「随分と、良い笑顔をしてる」
「ウソ。私、にやけてる?」
「あぁ。まったく、謹慎中にこんなことをやらかしたというのに。謹慎延長プラス減給数ヶ月くらいは覚悟しておけよ」
「はーい」
まぁそのくらいが妥当なところだろうなぁ。




