第7話
質問を待つ彼は、何の屈託もなくほほえんで、
私がこの花園のに入してきたことを怒ってはいない様子だった。
それで、少し安心したのもあって、
一番気になっていたことを彼に聞いてみることにしたのだった。
「ねえ、カイ。
このビル、何のビルなの?」
カイは、視線を花に戻した。
けれど、その表情は、決して気分を害した様子ではなかった。
「何で?
気になる?」
「ええ。
何で、カイみたいな若い人がこのビルのオーナーなのかも気になるし、
ここに住んで3ヶ月以上経つけど、住人が増えないのも気になるわ。
かといって、オフィスにする気配もないし・・・」
「広々と住めて、いいじゃない」
カイは、満開を迎えた花を1輪、剪定ばさみで切り取ると、
不意に私の方へ、その花を差し出した。
「それとも、他に誰か住まわせたい人がいるの?」
私は、戸惑いながら、ミュウを抱いたまま、
左手で、その花を受け取った。
「え?ううん。そういう意味じゃなくて・・・」
「じゃ、何が気になるの?」
カイは、また、ちっちゃく首を傾げて、こちらを見つめた。
この仕草が、可愛らしくて、いつも私をドキッとさせる。
「ねえ、カイ。
いくら私だって、この青山でこれだけのビルを持っているってことが、
すごくお金がかかることだって分かる。
前、不動産のおじさんが来たとき、ベンが言っていたの。
ここは、『県外からの移住者を応援する施設』だって。
だとしたら、もっと、県外出身者がいてもいいはずでしょう?
それに、ベンたら、私が家族で住んでいるって言ってたの。
それって、このビルに人がいっぱい居るっぽくしたいってことでしょう?
私、ここにすごく安く住まわせてもらえて、ラッキーだと思ってる。
だから、二人に恩返しがしたくて。
何か、役に立てることがあれば言ってもらいたいの」
顔が熱い。
でも、このタイミングを逃したら、
こうやって彼とゆっくり話す時間は、
そうそう簡単には巡ってこない気がして、
私は花を握りしめながら、一気に話した。
カイは、ふふっと微笑して、目を細めた。
「ベンは、人を見る目が厳しいんだ。
だから、なかなか、新しい住人を見つけられないんだよ」
「えっ??」
カイの答えの意味がよく分からなくて、
私は、戸惑った。
「ねえ、ユイ。
世の中には、知らなくても済むことが山ほどある。
安定した暮らしがあるなら、他に何が必要だろう?
君が、僕たちのために役に立ちたいって言ってくれる、
その気持ちだけで、今のところは十分なんだ」
「そ・・・」
何かを言おうとして、言葉が見つからなかった。
すぐ目の前に、彼は確かにいるのに、
このまま、彼が消えてしまうような、そんな気がして
それ以上、追求できなかった。
そしたら、びっくりするくらい、優しい笑みを浮かべて、
「これだけは、言える。
君は、あのベンが認めた唯一の住人。
君のお陰で、僕たちの暮らしは安定した。
家賃の安さは、そのお礼だと思っていい。
この静かな暮らしを僕は気に入っている。
君もだろう?」
そう言って、私の腕の中で今は大人しくしているミュウの頭を指でつついた。
「ミュウっていう、同居人も増えたじゃないか。
少しずつ、少しずつでいいんだ。
もし、この場所が、本当のコミュニティになれるなら・・・
その時、このビルをパラダイスって呼ぼう」
「え・・・!?」
それだけ言うと、さっと身を翻して歩き出し、
彼はペントハウスの中へ入って行った。
足音も立てずに、流れるような動作で。
私は、夢の中にいるかのようで、
ただ、その姿を見つめる他になかった。
さっきまでとは打って変わった大人しいミュウを抱きながら、
私はしばらく佇んでいた。
クレマチスの甘い香りが包む、その場所で・・・
あの激動の夏は、その日、始まったばかりだった。