第五話
「・・・それでは、夏季休業の間、課題にしっかり取り組むように」
担任の先生の、その一言で、私たちは夏休みに入った。
専門学校の夏休みは長い。
4月から3ヶ月半、授業があっただけで、
2ヶ月近く休みになる。
多くの学生は、実家に帰省したり、長期旅行に出かけたりと、
遊びの予定がメインだったけれど、
私の方はといえば、丁稚奉公が待っていた。
授業料免除と奨学金が付与される代わりに、
実技演習と称して、提携している美容室で見習いをすることになっていたのだ。
いわゆる、タダ働き。
それでも、実際に働く場所でもあるわけだから、
私にとっては、貴重な体験だと思った。
でも、百合子に言わせれば「1度しかない青春を謳歌しないのはバカ」だそうで、
夏休みを返上して働く私はその「バカ」の類に入れられていた
もっとも、私だって遊べるものなら遊びたかったけれど、
お金がないのだから仕方ない。
経済的に余裕がないという理由は、
お金に困ったことのない彼女にとっては理解不能らしい。
その百合子というのは、この学校で友達になった同級生。
美容師になりたくて入学してきたというよりは、
おしゃれ好きという性格が活かされる道を探した末に
「仕方なく」美容師に辿り着いたとのことだった。
私とは、服の趣味も、化粧の仕方も、
まるで違っていたけれど、
私の何を気に入ってくれたのか、気が付くといつも彼女がそばにいた。
「ねえ、ユイ。
折り入って、お願いがあるんだけど」
上目遣いに私の顔を覗き見る、その仕草は、
見る人が見れば、愛らしいのだろう。
でも、私にとっては、正直、苦手な仕草だった。
なぜなら、いつも、彼女のそのお願いを叶えるために、
相当な努力が必要だったから…
「…なぁに?」
でも、私は、嫌と言えずに、いつもどおり、答えてしまう。
「アタシね、例の彼と、明日から旅行に行くんだ。
それで、ミュウちゃん、預かってもらいたいんだけどぉ~」
「え!?まだ、あの彼と付き合っているの!?」
私は驚いた。
彼女の彼というのは、高校時代の先輩で、
当時からずっと百合子の憧れの人だったらしい。
百合子いわく、相当なイケメンでだから、女子にモテるのだという。
以前、浮気をされたと大騒ぎをして、泣き叫ぶ彼女の気が済むまで、
夜通し、彼の悪口を聞いていたのだった。
どうやら彼の浮気は、一度や二度ではないとのことで、
よくよく聞いているうちに、本当に彼女は彼と付き合っているのか、
正直、怪しく思えたくらいだった。
当然、別れたのだと思っていたら、
夏休み早々に、旅行とは…
「えー!?
私、一言も別れたなんて言ってないじゃぁん」
百合子は、涼しい顔で、すまして言った。
「そ、そりゃそうだけど…」
「ね、いいでしょ。
アタシね、彼と10日間、ヨーロッパに行くんだ。
動物病院のホテルじゃ、高いじゃん。
どうせ、ユイは丁稚奉公、
毎日、お店の方に行くんだからさ、
猫一匹くらい、預かってよ」
「そんな…」
動物を飼うということは、それだけ責任がついてくる。
いくらなんでも、そんなに簡単に引き受けられるものではなかった。
しかも、ミュウとは猫のことで、
猫は住み慣れた部屋を変わると、大きなストレスを受けると聞いていた。
戸惑う私を、百合子はきつく睨みつけるようにして言った。
「困っているのに、助けてくれないなんて、
そんなの友達じゃないわ。
こんなにお願いしているのに、引き受けられないの!?
もう、ユイのこと、二度と友達だなんて思わないわよっ」
「ちょ、ちょっと待ってよ…
誰も引き受けないなんて言ってない…」
怒りだした百合子をなだめたくて、思わずそう言った。
その途端、
「ありがと!!ユイはやっぱり、私の味方だわ~
嬉しい!助かるわ。
何か、おみやげ買ってきてあげるからね~」
現金な彼女は、そう言うと、にっこりと笑顔を浮かべて、
私の腕に抱きついた。
「猫なで声」というのは、こういう声をいうのだろう…
私は、小さく、ため息をついて
「でも、大家さんが許可してくれたら、
10日間だけ、よ。
私も、借家住まいなんだから、
動物を飼っていいかどうかも、聞いてみなくちゃ…」
「大丈夫、大丈夫よ!
ミュウは、すっごく大人しいんだから。
たかが10日間よ!
基本、部屋で過ごすことが好きだから、大丈夫。
大家さんにだって、ばれないわよ」
私がどんなところに住んでいて、
どんな家主なのかも知らないはずなのに、
やけに自信満々にそう言うと、
「じゃ、これからうちのマンションに来て。
ミュウのこと、連れて行ってね」
と、早速指示をしてきた。
「え!?今日から!?」
「当たり前じゃない。
私、明日の朝には出掛けるんだから」
この3ヶ月で、一つ分かったことがあった。
人間には、自分のペースを貫き通すタイプと
そういう人に振り回されるタイプがいるってこと。
百合子は、前者で私は後者。
反論できない自分に、心の中でため息をついたけれど、
彼女は、友達なんだから、仕方ない。
結局私は、百合子の飼い猫、ミュウを引き取りに行くことになったのだった。
「ミャア、ミャア!!」
「こ、こら!!そっちにいっちゃダメ!
お前のベッドはここなのよ!!」
ミュウは、まだ生後2ヶ月の子猫。
人間でいうと3歳くらいらしい。
遊び盛で、冒険好き。
よくよく考えれば、すぐ分かることだった。
どこが、「大人しい」猫なのよ!!
私が慌てる姿さえも、ミュウにとっては楽しいらしい。
格好の遊び相手を見つけたとばかりに、はしゃいでいるのが分かる。
カイやベンが猫好きかどうかは不明だけど、
勝手に動物を連れ込んで、喜ぶ家主はいないだろう。
見つかったら大変だ。
私は慌てて、ミュウを捕まえようとしたけれど、
鬼ごっこと勘違いしているミュウは、お風呂場に逃げ込んだ。
「こら!!そっちはダメ!!」
ビルの中に後から居室を作ったからか、
少し変わった造りのこの部屋は、
風呂場の窓が廊下に面してある。
換気のために、入浴中以外は、少し開けていた。
そこから逃げ出したら大変だ。
慌てふためいて後を追ったけれど、
猫のすばしこさは、人間以上だ。
あっと言う間に、その隙間にミュウは吸い込まれていった。
「いけない!!」
私は、真っ青になって、部屋を飛び出してミュウを追った。