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第51話

「戎、ちょっといいか」


部屋のノックと共に開いたドアから、低くくぐもった声が聞こえた。

この男には、デリカシーというものがない。

いや、俺に対して、そういうものが必要だと思っていないだけか…


「返事を待って、開けてもらえないかな」


言っても無駄と思いながらも、俺はいつもの調子で返事をした。


「どうせ、お前の仕事内容は全て把握することになるんだ。

 その仕事をする場なんだから、構わないだろ。

 それとも、開けられて困るような理由でもあるのか」


柔道家のような、太い首としっかりとした体躯。

見るからに、頑健で、強い印象を与える。


俺とは真逆の意味で、この男にも、

あのオヤジの遺伝子が本当に受け継がれているのか疑問に思える。


「…なぜ、ドアがついた個室を与えられているのか、

 少しは、理解していただきたいですね」


「何…」


ジロリと睨む眼光の鋭さは、なるほど、親譲りらしい。


「で、何の用件です?」


俺は、わざとらしく、のんびりとした口調で尋ねた。


「あ、そうだ。

 お前、次期、衆議院選、出馬するつもりなのか?」


「随分、耳聡いのですね。

 総理に一言、相談してみただけの情報なのに…」


「親父は、ほぼ全てのことを俺には話してくれるからな」


ニヤリと笑う顔は、自信に満ち溢れ、

それが今日はヤケにふてぶてしい印象を与えるように見えるのは、

俺の感覚の問題だろうか?


「いえ、それでしたら、もう御存知でしょう?

 一蹴されましたよ。

 あなたが参議院になったばかりだから、と。

 

 だから、私は出馬しません」


「ふう…ん。

 そうなのか。


 なんだ、親父の取り越し苦労か?」


顎から首にかけて、その太い指で撫でる仕草は、

意図して真似をしている訳ではなさそうだが、

この男の父親にそっくりだった。

俺は、その見事なまでの遺伝子の模写に感じ入り、

しばし、その様子を見つめていた。


「お前の様子がおかしい。

 何か、思いつめて、思わぬことを始めるつもりじゃないかと、

 親父が俺に相談してきたんだよ。


 俺は、冷静沈着、どこか冷め切っているようなお前に限って、

 そんなことはないだろうと言ったんだが‥。


 まあ、いい。

 お前は、いつもどおり、親父の助言を受け入れて、

 素直に従うようですよ、と答えておくよ」

 

「・・・・」


「俺だって、9年、下積みをしたんだ。

 まだ3年も経たないうちに、代議士になるなんて時期尚早だ。

 俺が、先を歩いてやるから、お前はそれを見てりゃいいんだ」


俺のデスクにあるカレンダーを勝手にめくりながら、

本家の長男様は、そう言った。

俺を見下ろすような位置に立つのが、こいつは昔から好きだった。

俺を下っ端としか見ていないことが、あからさまに分かるような

傲慢な態度で接することで、俺に身分をわきまえろと言いたいのだろう。


「まあ、お前も今まで、よくやったよな。

 親父の非情なまでの厳しさと、幾多の試練を乗り越え、

 ここまで残ったのは、数いるきょうだいの中でも

 俺とおまえだけだからな。


 純粋な本家の血統でもないのに、よくここまで残ったよ」


ニヤリと笑った顔から卑しさを感じる。


「でも、お前は、所詮、半分でしかない」


デスクに腰掛け、その分厚い手のひらで俺の肩を押さえた。

想像通りのバカ力だった。


「いいか、お前の半分は、卑しい女の血でできている。

 それをゆめゆめ忘れてくれるなよ」


加齢臭がしそうな息を吐きかけながら、耳元で囁く。


「外見さえよけりゃ、

 世の中うまく渡れると思ったら大間違いだ。


 確かに、親父でさえも惑わす美貌かもしれん。

 それを譲られたお前は、それで、生き残ったようなもんだろ。


 でも、ここまでだ。

 虎の威を借る狐の分際で、虎の子に立ち向かおうなんて思うなよ。


 痛い目を見るだけだからな…」


俺は、馬鹿力と威厳を取り間違えている、肩に置かれた手を掴んだ。


「ん?」


一瞬の隙だった。


親指を逆にそらすと同時に、相手の手首を右手で掴み、

左手はそいつの肘をつかむよう、勢いをつけて椅子ごと回転した。


「い、いててて」


逆手をとられたこの男は、こちらに背中を向けて仰け反った。


「こ、このやろうっ!!

 何をするんだ!!!!」


「簡単な合気道の技ですよ、義兄にいさん」


そう言って、俺は、さらに腕をねじ上げた。


「い、痛い!!!

 やめろっ!!!」


「それじゃ、一つだけ、確認させてください。

 私は、あなたの部下じゃぁない。


 そして、同志でもない」


「うわぁっ

 痛い、痛い!!よせっ、腕が折れるっっっっ」


さっきまでの勢いはどこへやら。悲鳴のような声が上がった。


「いいか。覚えておけ。

 俺は、俺の意思で動く。

 あんたの指図も、オヤジの指図も受けない。


 俺を思い通りにできると思ったら大間違いだ。

 いいな、わかったか」


「わ、分かった!

 分かったから、早く離せっっっ!!!」


俺は、力を少しだけ緩めながらも、そのまま、

出入口へと、その男を誘った。


「うわぁっ、痛い、早く離せっ」


悲鳴が、もはや絶叫へと変わろうとしたとき

丁度、扉の前に到着した。


トントントンっ


乱暴にノックされ、


「戎様、入りますっ」


と勢い良く、こちらも返事を待たずに、扉を開けてSPが一人、入ってきた。


「な、何事ですか!?」


俺は、そこで、そいつの腕を離した。


「いや、義兄の得意な柔道とね、

 私の得意な合気道で、異種格闘技のまね事だ。

 兄弟のじゃれあいってヤツだよ」


「戎っ、貴様っ」


俺は、にっこり笑って、義兄様の背広を直してやった。


「さあ、秀人義兄さん。


 お忙しい中、お越しいただき、貴重な助言をありがとう。

 十分、理解しましたので、お帰りください」


そして、SPに向かって言った。


「義兄さんも、年齢とともに、力が落ちている。

 最近は、物騒だから、部屋まで付き添ってやってくれ

 大事な議員さまなのだから」


「はっ」


SPは、感情の見えない表情で、歯切れよく答え、

憮然としたままの、その男とともに、廊下を去っていった。


あのSPの、無表情で明後日を見つめるような視線が

つい先日までの、俺のものだったのかもしれない。


俺は、改めて、以前の自分に訣別することを決めた。


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