第50話
消化しきれない思いを抱えたまま、
私たちは、首都高速に乗った。
ベンの車、ティアナは、私の心とは裏腹に、快走していた。
ベンは、上機嫌だった。
珍しく、鼻歌でも歌いそうな勢いを感じる。
なんだか、すべてがうらめしかった。
「どうした?結。
珍しく、黙って。
疲れたのか?」
「ううん。
なんでもない・・・」
「結のお陰で、楽しい時間を美夕に過ごさせてやれたよ。
ありがとう。
あんなに元気に振る舞う美夕を見たのは、
いつ以来だろうな・・・」
ベンは、前を向いたまま、遠い目をして言った。
「そう・・・
それは良かったわ・・・」
「うん??
なんか、らしくねぇな」
「らしくない?」
「ああ。
結の特技は、明るく、周りを照らすことだろ?
はるばる沖縄から来て、
一人の病人を励ますことができたんだ。
結のお手柄じゃないか。
なのに、なんでそんなに沈んだ顔してんの?」
いつものベンだったら、私の心中なんて、お見通しの筈なのに、
なんで、こんなこと聞くの。
私はいつになく、ベンに対していらだちを感じていた。
それが八つ当たりでしかないと、どこかで分かっていたけれど・・・
「・・・その病人が、カイの特別な人だからよ・・・」
との言葉は、かろうじて胸に止め、私は精一杯切り返すことにした。
「ベンは、ミユさんのこと、どう思っているの?」
「はぁああ!?」
ベンが、前のめりになり、おかしな声を出した。
どうやら?やっぱり?意外な質問だったらしい。
「どうも、こうもあるかよ。
美夕は俺にとっちゃ、家族みたいなモンだし。
いや、家族というより、同志、かな」
思った通りだった。
だけど、私の中にあるモヤモヤが、私を迷走させる。
「それだけ?」
「はぁあっ?」
さっきよりも一層、大きな声で聞き返された。
「お年頃の男女が一緒に暮らすのよ。
そりゃ、恋愛感情の一つや二つ、あって当たり前じゃないのよ?
ベンがミユさんに対して、特別な思いを持っていたって、
不思議じゃないでしょ!?」
勢いに任せ、私は、言い放った・・・いや、言い放ってしまった・・・
ベンの横顔が、一瞬、凍り付いた。
私は、その瞬間、間違いを犯したことを自覚した。
長い、長い、沈黙が訪れた。
もしかしたら、それほど長くなかったのかもしれないけれど。
「美夕は、カイの相手だったんだよ・・・」
泣きそうなほどの沈黙を破ったのは、ベンだった。
「カイのパートナーとして存在していた女性に
俺が、横恋慕するなんてことは、あり得ない」
「・・・ごめんなさい・・・」
私は謝った。
他人の聖域に土足で踏み込んだように思えて。
自分がとても、恥ずかしかった。
「俺たちの関係は、きっと、結たちには分からない・・・」
「・・・」
「世間一般の常識から、ずれているのは分かっているんだ。
けれど、物心つく時から、カイは俺の主で
俺は彼を支える『小姓』として存在してきた。
つまりカイは、俺にとって、絶対の存在なんだ。
その関係が、不自然に見えようと、
正しいとか、正しくないとか、
そんなことは関係ない。
そういう問題をも俺の中では超越してんだ。
誰が何と言おうと、カイが俺の存在意義なんだよ」
胸が詰まった。
ここにも、また一人、カイを絶大に慕う気持ちをもつ人がいる。
分かっていたことだったけれど、これほどまでにストレートに言われて、
今日は、なんだか、とても寂しくなった。
自分でも、その理由が分からず、
どうしていいか分からなかった。
「そして、美夕は、今でもカイを思ってる。
俺たちは、カイを思う気持ちで繋がっているんだ・・・」
「・・・ごめんなさい・・・」
何を謝ればいいのか、分からないまま、私は謝った。
私の頬を涙が一筋、伝って落ちた。
何とも言えない感情が、私を襲ってきた。
けれど、ベンは一転、「謝る必要、ないよ」と
私を慰めるように、優しく言った。
「一つだけ、分かっていてくれ。
俺と美夕の間を疑う必要はない。
俺は、美夕のカイを思う気持ちを応援したいんだ。
ただ、俺も悪かったな・・・
結の気持ちに気づいてやれなくて」
「え・・・!?」
「何に対して妬いて良いか分からないヤキモチ、妬いてんだよな?」
「・・・」
私は、絶句した。
その通りなのだろう。
この気持ちを言い当てられて、驚くと同時に、
なんだかホッとした。
「あのな、結。
俺、いっこ、謝るわ。
以前、お前に言ったよな?
カイはやめておけ、と」
私は、コクっと頷いた。
「あれ、撤回するわ。
美夕に言われたんだ。
カイを支える手は、一つでも多い方がいい。
そして、カイを心から想ってくれる女性と
カイが恋におちるのを応援してやって欲しいと。
冷徹なロボットでは、人の上に立つリーダーにはなれない。
感情をもつ人間だからこそ、真のリーダーになれると。
俺も、全く、それには同感なんだ。
カイは、少しずつ、俺が予想もしてなかったスピードで、
封じ込めていた感情を解放しはじめてる。
沖縄でお前と会ったって、
嬉しそうに話すカイを見て、俺は正直、お前に脱帽したんだ。
表参道で暮らしていたときから、お前はカイに惚れていた。
そして、別れてから3年経った今でも、想いつつけているんだろ?
ただ、ただ、一途に想う気持ちが、
人には届くんだなって」
「ベン・・・」
「もちろん、カイが結に惚れるかどうかまでは保障できないけど、
カイの心を開いたのは間違いないよ。
結。
お前はカイの心の中に入った、数少ない人間の一人だ。
俺も、美夕も、お前を同志だと思ってる。
疎外感なんて、感じる必要ないぜ」
ベンは、さわやかにそう言うと、にっこりと笑った。
視界には、羽田空港のターミナルビルが見え始め、
私の東京出張の終わりがそこまで来ているのを教えていた。




