第41話
ベンに連れられて建物の中に入ると、
そこは残暑の厳しさを忘れるほど涼しく冷えていた。
黙ったままフカフカの絨毯奥の部屋へと進んでいくと、
突き当たりに真っ白なドアがあった。
トン、トン。
ベンは優しく、ゆっくりと2回、ノックし、
返事を待たずに、ドアを開けた。
「美夕。
お待ちかねの美容師さんだよ。
ユイっていうんだ」
豪奢な外観にふさわしい、豪華な造りの部屋には、
絵に描いたような天蓋付きベッドがあり、
そこに向かって、ベンは歩いて行った。
「ベン・・・」
ベッドを優しく包み込むレースの向こうから、か細い声がした。
私は、レース越しにその奥に横たわる彼女を見て息をのんだ。
彼女はまるで、人形だった。
うまくいえないけれど、正真正銘の、人形とでも言おうか・・・
素晴らしく整った顔ではあったけれど、
生気というものが感じられない。
大きな枕に沈み込むようにもたれた彼女の小さい頭から、
ほっそりと伸びた首は、痩せすぎの身体へと繋がっていた。
どこまでも白い、その肌は、おそらく、健康であれば
艶やかさを放つ、陶磁の肌だったに違いない。
けれど今は、青白さをたたえて、冷え切ったような印象を与えた。
何より、長いまつげに彩られた、その形のよい瞳は輝きを失っていた。
声を出せずにいる私の目の前で、ベンが彼女に話しかけた。
「どう?
少し、起こそうか?」
「ええ・・・」
そう言って、やせ細った手を持ち上げると、
すかさずベンが、その手をとり、
もう片方の手で背中を支えて上半身を抱き起こした。
あまりのスムーズさに、ベンがいつもこうやって
彼女の身の回りの世話をしていることを感じた。
「ユイ・・・さん?」
彼女は、私の存在を探して視線が泳いだ。
その瞬間、はっとした。
彼女は、目が・・・見えない!?
「は、はい・・・」
驚きのあまり、声は震え、裏返ってしまった。
バカ、落ち着くのよ。
ミユさんが、変に思うじゃない・・・
彼女は、ふっと笑って、こちらを見た。
「ごめんなさい。
沖縄から、わざわざお呼びだてして・・・
ちょっと、体調が優れなくて・・・
とはいえ、いつ良くなるともしれなくて・・・
ご無理を言って、ごめんなさいね」
「い、いいえ。
この度は、ご指名いただいて、恐縮です。
東京に来ることができて、あの、その・・・
う、嬉しく思います
お目にかかれて、光栄ですっ」
私は、慌てて頭を下げ、遅ればせながらの挨拶をした。
「ふふふっ
噂に違わぬ、可愛い人ね?ベン」
彼女は、そう言って、ベンのいる方向へ顔を向けて笑った。
小さい鈴が鳴るような、上品な笑いだった。
「まあ、な」
そう言って、ベンはミユさんの背中にクッションを置き、
姿勢が安定するように支えた。
「私のこと、二人がどこまで話しているか分からないけど・・・」
そう言うと、ゆっくりと顔をこちらに向けて
「私ね、自分で自分のことを攻撃してしまう自己免疫疾患っていう病気なの。
血液の再生がうまくいかなくて、慢性的に貧血を起こしてしまうし、
目の中に炎症があって、視力が落ちてしまったり。
でも、全く見えない訳じゃないのよ」
と続けた。
初対面の私の動揺を察知して、自分の病状を話す彼女に
毅然としたものを感じる。
私は、何と答えればよいか分からず、ただ頷くことしかできなかった。
健康だけが取り柄の私は、当然のように
病気のことなど、ましてや難病という稀少な疾患のことなど
無縁の生活を送ってきた。
想像もできない彼女の苦しみが、そこに潜んでいることだけは分かる。
けれど、彼女は、きっと同情なんて求めていない。
彼女自身を理解して欲しいから説明してくれたんだ。
だとしたら、私は、どう答えたらいいのだろう・・・
そうか、これが難病を患う人を見舞うということなのか・・・
思いを巡らせながらも、黙り込んでいた私を
またベンが救ってくれた。
「ユイも今日、東京に着いたばかりなんだ。
明後日まで、出張扱いで、ここにいられるらしいから、
散髪は明日、ってことでいいかな?」
「まあ、散髪だなんて。
美容って言って」
そう言って、またミユさんは笑った。
それを見て、私は少しだけ吹っ切れた気がした。
「そうよ、私は散髪屋さんじゃなくて、美容師ですからね」
ただただ状況に圧倒されている自分が恥ずかしくなって
負けじと笑った。
そして、ミユさんのことを、もっと知りたいと思った。
「あまり、経過が思わしくないんだ」
庭の温室の中で、寂しそうに、ベンが言った。
温室といっても、花にふさわしい一定の気温にしているため
快適に感じるくらいだった。
「そう・・・」
私は、そこに咲く5つの花びらをもつ白い可憐な花を見つめて答えた。
「病気のこと、よく分からなくて・・・
でも、彼女の具合が悪そうなのは、分かったわ・・・」
「ああ・・・。
この1ヶ月の間に、随分やつれてしまった」
「きっと、とてもきれいな人だったのよね・・・」
言ってしまってから、間違えたと思った。
けれど、ベンには通じたようだった。
「ああ。
すごく、綺麗だったよ。
小さい頃から、ずっと・・・」
と答えた。
そして、私の目の前に広がる花壇から、その花を一つ摘んだ。
「病気が見つかってからも、彼女は諦めずに
ずっと病気と闘ってきたんだ。
けれど、病魔は確実に彼女を蝕んでいる。
病気が、彼女の美しさを半減させてしまった。
彼女の生きる力をどうやったら強められるんだろう・・・
どうしたらいい・・・どうしたら・・・」
ベンは肩を震わせて呟いた。
私は、初めて見るベンの姿に、胸が苦しくなった。




