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第36話

カイに導かれるままに走り着いた先は、海辺だった。

近くのリゾートホテルの灯りが、砂浜をほのかに明るくしていた。

暗がりの中で、カイは乱れた息を整えていた。


「はぁ、はぁ…大丈夫?

 俺といると…っていうと、また怒るのかな」


肩越しにこちらを見ながら、カイはいたずらっぽく苦笑した。


「はぁ、はぁ、はぁ‥

 ええ。そのとおりよ。

 だから、自分のせいで、とか思わないでね」


私は、息切れしながらも、にっこり笑って答えた。

それから、「で、怪我はなかった?」と、カイの様子を窺った。


「ああ。大丈夫だよ」


穏やかなカイの表情に安堵しながらも、

先ほどまでの混乱と、

その中でのしなやかな身のこなしを思い出していた。

私の知っているカイは、いつだって穏やかで、

ケンカなんかとは無縁の世界に生きてきた雰囲気なのに、

そこにいる者を威嚇するほどの胆力といい、

怒りに任せて掴みかかってくる者をいなす身のかわし方といい、

彼が只者ではないことを雄弁に物語っていた。


これが、彼のいう「帝王学」の成果なのだろうか?

ケンカの仕方??と言っていいのか、

とにかく、そんなことまで習得させるという、その「本家」は

一体、彼に何をさせようとしていたのだろうか。


「ふふふ

 どうしたの?不思議そうな顔をして」


「え、えっとね…

 その、カイは、いつ、あんな風に動けるような

 そんな訓練を受けてきたのかなって・・・」


そばにいる人の心の動きに敏感なカイにごまかしは無用だった。

私は、正直に答えた。


「そうだな…

 いつからだったんだろう。


 物心つく頃から、俺は、起床するとすぐに武道場に行って、

 合気道だったのかな…剣術もあったけど、

 そこである一定のメニューで鍛錬をしていた。

 毎日の日課だったから、それをするのが当たり前で

 疑問に思うこともなかったな」


「そうなの?!」

私は、驚いて、思わず声を上げた。


「ははは

 何?どこに驚いたの?」


「いえ…

 その、疑問に思うこともなく、毎朝稽古をしていたっていうところ…」

三日坊主が当たり前で反省しながら育った私にしてみれば、

言わずもがなのことだった。


「意外なことなのかな。

 自分ではよくわからないけど、

 すべきことをこなす以外に、自分にできることは無いと

 幼いながらに思い知らされていたのかもしれない。


 求められる自分でいることが、自分の居場所を確保するための

 唯一の方法だと分かっていたんだろう…」


私は、息を飲んだ。

一体、自分の存在意義を疑う子どもがどれほどいるというのだろう。

ただ、そこにいるだけで愛される存在が、子どもなのではないのだろうか。


カイは、親の愛というものを十分に与えられずに育ったのではないか。


だとしたら…


ふと、いつだったか、ベンが私に釘を刺すように言った言葉が蘇る。


「カイはやめておけ…

 絶対にお前に心を開かない…

 これは絶対だ…」


私の背中に、冷たいものが流れた。

カイの心の闇が垣間見えたような気がしたのだ。


ザザーン…

ザーン…


暗い海に向かって、カイは一つの石を投げた。


「ユイ。

 君は、さっきの酒場で声を上げた人たちの『意見』をどう思った?」


突然の話題転換に、戸惑いながらも、

私は咄嗟に「あれは、意見ではないでしょう?」と答えた。


「いや。

 それは方便だよ。

 正直、多くの沖縄人の気持ちは分かっているつもりだ。

 そして、多くの日本人…いや、人間のとる行動パターンも…


 見たくないものには蓋をする。

 どんな理不尽な相手だろうと強いものにはどこまでも従い、

 弱いものをいじめることには恐ろしいくらい鈍感を装い、

 声を出せない弱い者に犠牲を強いる。


 そんな社会の姿勢は、何も今始まったことじゃない。

 基地問題だけじゃない。古来、繰り返しなされてきたことだろう?

 少し歴史を見返せば分かる。


 日本国民の安全を脅かす可能性に目を瞑りつづけて米軍の基地を置くこと、

 しかも、思いやり予算などという金までつけて、それを維持し続け、

 沖縄という、離れた場所に、基地を置くことは、

 全くもって、そういう繰り返しとしての事実に過ぎない。


 表面をなぞるだけの謝罪も、対策も要らない。

 やっと、『弱い立場』に立たされた側が声を上げ始めたんだ。

 これは、歴史的瞬間とも言えると思うよ。

 

 酔った勢いとはいえ、彼らは、それを実践しただけだ。

 そのことは、痛いくらい分かっていた。

 けれど、あの場で、俺が受け答えするには、

 こちらに分がなさすぎる。


 だから、正論でかわそうとしただけだよ」


そう言うと、カイは、私の方へ顔を向けた。

海風が、カイの長めの前髪を揺らした。


「だから、君の意見も聞きたい。

 ユイ。

 君はどう思ってる?

 今の政府を、どう考えてる?」


「わ、私は…」


私は、言葉に詰まった。

もちろん、辺野古の美しい海が壊されることは間違っていると思っている。

だからこそ、基地の移設については反対する人たちに

味方したいという気持ちがあった。

けれど正直、どこまで、この問題について考えてきただろうか。

自分たちのことであるけれど、

目の前の日々に流されるばかりで、

どうにかなるのを見守ることしかできずにいる。

自分たちが何か言った所で、どうしようもないと

心のどこかで思っているのを否定できない。


私が逡巡していると、カイは、遠い目をして言った。


「僕たちに、共通するものは少なそうだ…


 ユイ。

 どうやら、僕たちは生きる世界が違う。

 

 僕を覚えていてくれたこと、

 そして、関心をもっていてくれたことには、感謝するよ。


 だけど、ここまでにしておこう。

 君には君の、僕には僕の、与えられた道を進むのが

 お互いの幸せのためだ」


カイの言葉が冷たく突き刺さる。

私の身体は硬直した。

心臓までもが、動きを止めてしまったかのようだった。


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