第31話
店についたのは、約束の20分後より少し早目だった。
慌ててメイド服を着替えた私は、
大しておしゃれではない、いつもの格好だったけれど、
おしゃれ上手の真奈美が施してくれたメイクはそのままに、
その場所に着いたのだった。
カラン、カラン
古びた造りの、その喫茶店は、
店内に入ると鈴の大きな音がした。
「いらっしゃいませ」
その店の雰囲気に合わせたような、
店員さんの穏やかな声が私を迎える。
「あ、あの…」
カイを探そうと店内を見回すと、
すぐに彼の視線に出会うことができた。
やっぱり彼の存在は目立つ。
容姿の良さももちろんだったけれど、
雰囲気というかオーラのようなものを持っていた。
そんなカイとの再会が、こんな風に実現したことが
まるで夢のように思えて、
私はこの機会を作ってくれた真奈美とその友達に感謝しながら、
この機会を大事にしようと心に誓った。
カイのいるテーブルに近づくと、
私の大好きな穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって…」
「いや、大して待ってはいないよ。
こちらこそ、急がしてしまったかな?」
「ううん。大丈夫…」
胸がいっぱいになる。
やっぱり、私は彼のことがこんなに好きだ。
時間も、空間も超えて、
ずっと、ずっと私の心は彼を求めていたのだと自覚した。
「で、何にする?」
カイがメニューを私に開けてみせた。
「あ、アイスカフェオレを…」
ちょうど、水とお絞りを持ってきてくれた店員さんに向かって、
「カフェオレ、一つ。アイスで」
と注文してくれた。
「かしこまりました」
慣れた様子で男性の店員さんが小さく会釈して去っていく。
少し距離ができたところで、カイが口を開いた。
「で、何から話そうかな。
とにかく、久しぶり。相変わらず、元気そうだね」
カイは、ソファに深く座ったまま、微笑むような表情で言った。
「ええ…
相変わらず、元気にしてます。
カイも…元気そうで…」
「僕が?
ふふふ、そうだな。元気だよ…」
その返事の仕方に、ちょっとだけ引っかかるものを感じたけれど、
あまりに穏やか過ぎる表情で、彼の本心は見えなかった。
「で?
元気がありあまって、美容師しながらホテルでバイトしているの?」
私は、真っ赤になった。
とにかく、カイにしてみれば、不自然な再会だったに違いない。
私は、正直に、話した。
カイをテレビで見かけて、それで何とか会いたくて、
同僚とその仲間に協力してもらったことを。
「そう、か…
でも、こういう方法を実施するのは、もう止めた方がいい」
「あ…」
ちょうどその時、テーブルにホットコーヒーとアイスカフェオレが届いた。
さっきと同じ店員さんが私たちの前に音も立てずに置くのを
黙って眺めるしかできなかった。
彼が去っていくのを待って、私はたまらずに「ごめんなさい」と謝った。
「そうよね…、こんなやり方、問題でした。
こんな風に、だまし討みたいにされて、
不快だったよね…
ごめんなさい…」
私は、心から、そう謝って頭を下げた。
「いや。
そういう意味ではなくて。
正直、不快なんて思ってないよ。
不快かどうか、というよりも、
その行動の違法性で、君の立場が危うくなるから言っているんだ」
「え…」
私は、もう一度、固まった。
「もう、気づいているんだろう?
僕は、政府の要人の側近だ。
だから、否応なく、
僕に近づく人間は、逐一調べあげられて、
不審と見なされたら、リストに挙げられて監視される。
そんなの、嫌だろう?
だから、僕に近づかない方がいい」
私は何を言っていいのか分からず、そのまま呆然とするしかなかった。
やっと掴みかけたロープが、私の手から滑り落ちるような気がした。
「…カイは…カイは、首相の子どもなの?」
何を言えばいいのか分からないにしても、
この質問はいかにも唐突だった。
何を私はしているんだ、と自分で自分の馬鹿さ加減に呆れたけれど、
カイは、
「そうだよ。
数いる子どもの中の一人であるに過ぎないけれどね」
と、表情一つ変えずに、淡々と答えた。
正直、政治の話には疎くて、首相の家族構成など知る由もなかった。
でも、この回答は、何か、他人ごとのように聞こえる冷たさが感じられた。
「そんなに、沢山、きょうだいがいるの?」
本題とは何の関係もないところで、思わずさらに質問してしまった。
カイは、それでも、意に介する様子もなく、すんなりと答える。
「まあ、ね。
主流の血統だけなら、それほど多くないけど。
そうじゃない僕みたいな子どもの数については、
正確には知らないな。
とにかく、僕は、亜流の子どもさ。
だからこそ、もっと自由に生きられるはずだったんだけどね。
どんな皮肉か、生物学的な父親の傍で生きるハメに陥ってしまった。
しかも、成人期にね。全くもって、世の中の一般常識からは離れてるな」
自らを嘲笑するように、笑うその様子に、私は何だか胸が締め付けられた。
日本にも混血が進み、ハーフ、クオーターの子どもがタレントになる時代だ。
そういう意味では、見るからにハーフと区別するほどではなかったけれど、
美男子のカイはハーフだった。
日本の首相が国際結婚してはいけないという法律があるのかないのか。
でも、江藤首相の奥さんは、日本人に間違いなかった。
これ以上、プライバシーに踏み込むことは躊躇われた。
でも、それだけではなかった。
よく分からなかったけれど、とてつもない寂しさのようなものを感じた。
この、自分を突き放したように見える彼の態度の理由は、
もしかしたら、彼の出自にあるのではないか。
そういう予感が私を捉えた。
「だからね。僕に近づかない方がいい。
今日、君に再会できたのは、何かの偶然だ。
その偶然のお陰で、
君の元気そうな顔が見られて、嬉しかったよ…」
この再会を、終わりにしようとするかのようなカイの言葉に、
3年前の私だったら、打ちひしがれて終わっていただろう。
けれど、もう、私はあの頃の私ではなかった。
「ベンは?
ベンは、今、どうしているの?
カイと一緒じゃじゃないの?」
私の小さな手には負えない、
何か異世界が、そこに拡がっているような予感が私の中で警鐘を鳴らす。
でも、私は、その世界を覗いてみたい衝動にかられていた。




