第26話
「結さんはさぁ、それで…
すぐに、沖縄戻ってきたんだっけ?」
真奈美は、気を遣いながらも、やはり大事なことを確認してきた。
「ううん。
失恋はしたけど、その後、2年間は東京に残って、
研修していた美容室で美容師として働いていたよ…」
もはや、隠すようなことは無かった。
そう、私は、失恋したからといってすぐに故郷に戻ったわけではなかった。
けれど、だからといって、カイやベンとの距離を縮めることはできなかった。
就職してからは、朝から夜遅くまで働く毎日が続いた。
平日に1回だけの休みは、どこか世間とはずれていて、
ベンやカイと顔を合わせることも、殆どなくなっていた。
そして、初めての恋人もできた…
正規の職員として認められた頃、
学生時代の研修で一緒だったリカの紹介で、
同じ美容師の男性と知り合った。
20歳になってもなお、恋人の一人も作ったことのない自分にとって、
恋愛をしてみたいという好奇心があったのはもちろんだった。
そして、あまりに淡い失恋の痛手から逃れるためにも、
次の恋を始めたいという気持ちもあった。
彼は優しかったし、初めて訪れる東京の名所をめぐるデートは楽しかったし、
何より同業者ということで、お互いの苦労を理解もしていた。
でも、それだけの付き合いは長く続かなかった。
恋に恋して始まった恋は、やがて終わりを迎える。
私の中には、ずっと、消化しきれない思いがあることを
優しい彼はどこか気づいていたのかもしれない。
付き合い始めてから1年近くが経とうとしたとき、
彼から別れ話が切りだされた。
私は、ショックを受けながらも、その提案を受け入れた。
そして…どこかホッとしていた。
けれど、このことをきっかけに、運命はまた大きく方向転換し始めた。
悪いことは、悪いことを呼ぶ。
それと時を同じくして、松原さんがビルから失踪した。
3年かけて貯金したおかげで、いよいよ美容室を開店しようとした矢先、
一緒に経営するはずだった学生時代からの友人に、
資金を全て持ち逃げされた挙句、不足分の借金を全て担わされたのだった。
私は、その時、どうしようもなく絶望した。
東京に?人生に?
いいえ、おそらく、自分自身に…
松原さんの順風満帆に見えた人生からの転落が
他人事には思えなかったのだ。
そこまで、思い込む必要は無かったのかもしれない。
けれど、それまで張り詰めていた思いの糸のようなものが、
その途端、プツリと音を立てて切れたのが分かった。
私を東京に繋ぎ止めるものが何も無くなったのを感じた。
それで、東京から逃げ出すように、私は帰郷した。
美容師としても、社会人としても半人前のまま沖縄に戻ってきたのだ。
「ねえ、結さん」
「ん?」
「私がマナブさんの美容室で結さんに出会って、3年。
こんな風に、結さんのこと、聞いたの初めてでさ。
いつも、明るくって、優しくって…だから、私、
結さんが、こんな風にすごく、色んな気持ちを抱えて
過ごしていたんだって、気づかないでいた。
だから、こうやって話してもらえてよかった。
また一つ、結さんと近くなったみたいに思える」
「真奈美・・・」
真奈美は、少し、遠慮がちに、
でも、思い切った様子で言葉を続けた。
「ねえ、結さん。
結さんは、もっと、皆に心を開いてもいいんじゃないかな」
「え?」
私は驚いた。
もちろん自分が心を閉ざしていた自覚はなかったから。
「こうやって、結さんが話してくれたのも、
アタシが、結さんを泣かしちゃったから、なわけさ?」
「あ・・・」
「結局、私がしゃべらせちゃったんだと思うわけ。
結さんの心に、土足だったけれど、踏み込んで初めて、
結さんはアタシに心を開いて話してくれた。
良くわからないけど、そのカイって人もさ、
心を開かないことにかけては、結さん以上ってことでしょう?
そんな二人じゃ、いつまでたっても平行線のままなんじゃないかな?
結さんが心をまずは開かないと、きっと開いてくれない」
まるで、この恋が現在進行形のような話し方をする真奈美に
何か自分が誤解を与えているような気がして、焦った。
「真奈美・・・」
「ううん。
あれから3年経ったって言ってもさ、
きっと、そのカイって人、おんなじように暮らしていると思うわけ。
きっと、一人で、ちがった、そのベンって金髪君と一緒に、
二人でひっそり、とね。
だったら、今も、まだあのときのままなんじゃないかな?
結さんの中に、これだけの気持ちが詰まっているんだから。
まだ、この恋は終わっていないって思うわけよ」
「真奈美!」
その瞬間、身体の中に衝撃が走った。
否定しようという気持ちは、もう、残っていなかった。
それどころか、カイへの思いが体中に広がっていくような気がした。
一度開けてしまった蓋は、もう二度と、元に戻すことはできないことを自覚した。
「結さん。
人を恋する気持ちは、止められない。
抑えようとすればするほど、膨れ上がって
諦めきれない気持ちが淡い期待となって苦しめてくるモンよ。
だったら、その気持ち、たとえどんな結末が待っているとしても
成就させてあげようよ。
百パー、応援するっ」
私は真奈美を見つめた。
真奈美の言う通りだと思って。
その時私は、もう一度、カイに会いにいくことを決心した。




