第9話
「うわっ、ヤバっ」
「百合子?」
百合子は、文字通り玄関の扉から飛びのいた。
「ねえ、結。
私のパパが来たわ。
ねえ、お願い。
私は、風邪をこじらせて、寝込んでいるって言って、
代わりに出て」
「え?う…うん」
そんなこと確認するまでもないことで、
黙って寝ていたら、そうなるはずだったのに、
一体、今のは何だったのだろう?
状況が良くわからないまま、彼女はそう私に告げると、
慌てて寝室へと駆け戻っていった。
その姿といい、さっきの様子といい、
思っていたより、ずっと元気なことに驚いたけれど、
とにかく、私は、ドアの向こうで待っている、
百合子のお父さんを迎えるために、ドアを開けた。
「はい」
扉を開けると、そこには、背の高い、艶やかな黒髪を
きっちりとセットした男性が立っていた。
百合子のお父さんにしては、随分、若そうな印象だった。
「失礼ですが、お嬢さんはどなたですか?」
鋭い目つきで、開口一番、私に聞いてきた。
「あ、あの…
私は、百合子さんの専門学校の友人で、宮里と申します。
えっと、百合子さんのお父さんですか?」
戸惑いながら、そう応えると、
ますます怪訝そうな顔つきになって、
「そうですけど、なぜあなたがここにいるんです?
百合子は?」
とキツい口調で百合子のことを聞いてきた。
「あ、あの、百合子さん、
風邪を引いてしまったらしくて、
それで寝込んでて…」
「は?
百合子が??
そんなわけ、無いでしょう。
昨日、あの子は、くだらない男と遊びまわっていたんだから」
「え…!?」
私は、一瞬、何を言われているのかが分からなかった。
だって百合子は、夏休み早々に行った彼氏との旅行で疲れたらしく
帰国してすぐ風邪を引いたって言っていて、
本来であれば、帰国後すぐに引き取ると約束していた子猫のミュウを
その後も1週間、私に預けていたのだった。
そして、風邪は治るどころか、ますます悪化してしまい、
昨晩、もう食べるものが何も無くなってしまったからと、
私にヘルプの電話をしてきたのだ。
「宮里さん、と仰ったかな?
申し訳ないけれど、あなたは百合子に騙されています。
あの子はね、すぐに嘘をつくんですよ。
今日だって、大事な面接だから、
絶対に休むなって言っておいたのに、
サボるために、こんな見え透いた嘘をついて…
上がりますよ」
怒りを顕にして、百合子のお父さんは寝室の方へ入っていった。
私は、どうしていいか分からず、廊下でその様子を見守っていた。
「さあ、早く起きなさい!
今日は、大事な日だと言っておいただろう?
何をしているんだ。
お前のために、父さんが、わざわざ頭を下げて
やっと、この日を迎えられたというのに」
「いやよ、行きたくないわ!
具合が悪いって言ったでしょう?」
「お前はどうして、そんなに嘘ばっかりつくんだ。
いいか。今回ばかりは、言い逃れはできないぞ。
父さんの会社の人がお前を新宿で見たんだよ。
まだ、あの遊び人と付き合っているみたいじゃないか。
いい加減、目を覚ましなさい!
くだらない連中と付き合うから、こういうことになるんだよ。
さあ、もう美容師学校なんてところは退学して、
大学に行くんだ。
そのためにも、今日の面接は必須なんだ。
先方には、午後からにしてもらうように言ってある。
もうこれ以上は待たせられない。
さあ、早く準備しなさい」
「無理よ!
もう、大学なんて諦めてよ。
2回も失敗しているじゃない!!
これ以上、やったって、時間の無駄よっ。
そもそも、私には、そんな能力ないのよっ」
「バカなことを言うんじゃない。
お前は父さんの子だろ。
大体、専門学校なんて受験したことも知らなかったぞ。
これまで、母さんがいないからと、甘やかし過ぎたようだ。
少しは、父さんの気持ちを考えられないのか?」
「何よっ、パパなんて、仕事のことばっかりじゃない。
うちには優秀なお兄ちゃんがいるから、もう、いいでしょ!
私は、美容師になるの。
それで自分で生活できるようになれば、いいじゃない!」
「バカっ。
お前は、杉山家の人間なんだぞ。
人を使う側の人間なんだ。
いいか、美容師だろが何だろうが、
肉体労働者になることだけは許さない。
とにかく、勉強が苦手だろうが、大学だけは出なさい。
就職なんて、しなくてもいい。
父さんが、お前に相応しい結婚相手を見つけてやるから、
結婚して、主婦になればいい。
お前には、ちゃんとした暮らしをさせてやる」
怒鳴るように大声で話し合う二人の声は、
廊下中に響きわたっていた。
それを聞くとも無く聞いてしまった私の全身に、冷たいものが走った。
もう、これ以上、聞いていられない。
でも、黙って出て行く訳にもいかないと思い、
その部屋をノックしようとした時だった。
「何だこれは!?
このタバコの箱は、お前のか!?
それとも、あのチンピラのか??
そう言えば、この部屋、ニコチン臭いな。
まさか、百合子、あの男をこの部屋に上げたんじゃないだろうな!!」
激昂した怒声に、私の身体は立ち竦んだ。
次の瞬間、
「ち、違うわ!!
これは、友達のよ!!」
と叫ぶようにして答える百合子の声が私の耳に突き刺さった。
「友達?!
さっきの、宮里とかいう専門学校の友達か?!」
「そ、そう…よく、遊びに来てくれているの。
だから…」
「未成年のくせに、タバコなんて吸うのか?
これだから、美容師学校なんて低俗な学校だっていうんだ!!
決めた。絶対に、認めないぞ。
すぐ、そんな学校、やめなさいっっ」
私の全身に衝撃が走った。
弾かれたように、その場を立ち去ったところから、記憶がなかった。
気がついたら、公園の中にいた。




