第14話:知恵の貸し屋への帰還 天才ハッカーと交わす相棒の絆
特大のフラッシュの嵐と、世界中を巻き込んだライブ配信による告発会見から数日が経過した。
日本の、いや、世界の治安維持組織の根幹を揺るがした巨大スキャンダルは、連日メディアのトップニュースを飾り続け、社会に凄まじい衝撃を与え続けていた。
警視庁本庁舎の地下牢獄から引きずり出された元副総監・神宮寺をはじめとする特務公安会の高官たちは、次々と特別検察部によって逮捕・起訴され、その醜悪な権力闘争とテロ計画の全貌が明るみに出た。
警察組織は大規模な刷新を余儀なくされ、かつて彼らが隠蔽しようとした腐敗の膿は、すべて綺麗さっぱりと洗い流されつつあった。
当然、蓮見に向けられた国家公安委員殺害およびテロ未遂の嫌疑は、完全に、そして劇的に覆った。
検察当局は異例の速さで起訴を取り下げ、公式に謝罪文を発表。
一時は「日本史上最悪のテロリスト」として世界中から呪詛を浴びせられていた俺の社会的評価は、一夜にして「国家の不正を単身で暴いた孤高のダークヒーロー、あるいは救国の英雄」へと180度逆転していた。
街を歩けば、どこかのニュースチャンネルが俺の顔を映し出し、街頭ビジョンには「警察の闇を告発した男」という大仰な見出しが踊っている。
マスコミの群れから逃れるためしばらくの間、表立った表舞台から姿を隠さざるを得なかった。
そして――。
事件から一週間が過ぎた深夜。
新宿歌舞伎町の外れにある、古びた雑居ビルの一室。
表向きはただの薄汚れたオフィス、裏社会では「知恵の貸し屋」として知られる拠点に、見慣れた青白いLEDの光が戻っていた。
「――ったく、何よこれ。私のサーバー、マスコミからのアクセス過多で一回クラッシュしかけたんだけど!」
ガチャリ、と重いドアを開けて入ってきたのは、オーバーサイズの黒いパーカーを引っ掛けた天海湊だった。
その手には、相変わらず毒々しい色のエナジードリンクの缶が握られている。
彼女のボサボサの銀髪は相変わらずだが、その表情には、あの過酷な大黒埠頭や地下牢獄で見たような死の恐怖や切羽詰まった色はない。
どこか誇らしげで、どこかリラックスした、いつもの「電子の魔女」の顔に戻っていた。
「ご苦労だな、天才ハッカー。世界中のメディアから引っ張りだこのお嬢様が、こんな薄汚い隠れ家に戻ってきていいのか?」
俺はスチール製のデスクに足を投げ出し、コーヒーカップを揺らしながら軽口を叩いた。
「ふん、あんな胡散臭い連中の相手をしてるより、ここであんたと毒舌を叩き合ってる方が百倍マシよ。それに……」
湊はぶっきらぼうに言葉を区切ると、俺のデスクの上にドサリと分厚い封筒の束を放り投げた。
「なにこれ」
「見てみなさいよ。事件の解決報酬と、各所からの『内密のコンサルティング依頼』の山よ。……驚いたことに、あのスキャンダルのせいで警察の信用がガタ落ちしたもんだから、裏社会の連中だけじゃなく、まともな企業や政治家までもが『警察の代わりに我が社のセキュリティとトラブルを解決してくれ』って泣きついてきてるのよ」
封筒の中を覗くと、そこには目を疑うような桁数の数字が書かれた小切手や、海外銀行の振込証明書がこれでもかと詰まっていた。
「ほう……。神宮寺の残した裏金五十億の山分けとは別に、当分は食いっぱぐれなさそうだな」
「当然よ。私の優秀なハッキング技術をタダ働きさせようなんて思わないことね。……で、その報酬の七割は私のものだからね。異議は認めないわ」
「強欲な魔女め。まあいい、今回はお前のバックドアがなければ確実に地獄行きだったからな。全額とは言わないが、妥当な取り分は保証してやるよ」
俺が苦笑しながらコーヒーを啜ると、湊はふんと鼻を鳴らし、いつものゲーミングチェアにドスンと腰を下ろした。
カチャカチャ、と心地よいタイピングの音が部屋の静寂を切り裂く。
無数のモニターの青い光が、彼女の白く透き通るような頬を優しく照らし出していた。
部屋の空気は、あの悪夢のような48時間前と何も変わっていなかった。
いや、正確には、少しだけ違っていた。
かつては「大金を騙し取られた怨敵」と「私怨を晴らしたいハッカー」という、互いに不信感を抱えた危険な利害一致の共犯関係に過ぎなかった。
しかし、数々の死線を共に潜り抜け、お互いの背中を預け合い、国家という巨大な怪物と渡り合った今――私たちの間には、言葉にできない、しかし確固たる「絶対的な信頼の絆」が結ばれていた。
それを口に出して確かめ合うような野暮はしない。
私たちのような裏社会の住人にとって、沈黙と軽口こそが、最大の敬意と絆の証なのだから。
しばらくの静寂の後、湊はキーボードから手を離し、ふと斜め上を向いて小さく呟いた。
「ねえ、零」
「んだ?」
「……あのときさ。大黒埠頭で、神宮寺にすべてをハメられて、完全に詰んでたじゃない」
モニターの光を反射した湊の瞳が、ふと揺らいだ。
「あの時……本当に、勝てる勝算なんてあったわけ?」
彼女の問いかけに、俺はカップを机に置き、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「勝算か?」
俺は不敵に笑い、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
「そんなもの、最初からあるわけがなかったさ」
「……は? なによそれ。じゃあ、あの堂々としたハッタリは全部出任せだったってわけ!?」
「出任せじゃない。……『論理の必然』だ」
俺は立ち上がり、部屋の窓から夜の新宿の街並みを眺めた。
ネオンの海が、まるで私たちを祝福するかのように鮮やかに煌めいている。
「人間が作り上げたシステムである以上、どれほど完璧に見える嘘であっても、必ずどこかに『ノイズ』が混じる。神宮寺がどれほど周到に台本を書き上げようと、奴の傲慢さと、世界が発する微小な違和感を拾い集めさえすれば、どんな絶望的な盤面でも必ずひっくり返せる――そう信じていただけだ」
「……本当に、救いようのない詐欺師ね」
呆れたような、しかしどこか嬉しそうな湊の笑い声が背中から聞こえた。
「でも……その救いようのない詐欺師のおかげで、私もこの退屈な世界から抜け出せたわけだしね」
彼女は椅子をクルリと回転させ、俺をまっすぐに見つめた。
「これからもよろしく頼むわよ、相棒」
「ああ。せいぜい俺の足手まといにならないように、その細い指を鍛えておけよ、魔女」
二人の間に交わされた、ごく自然な、しかし以前よりもほんの少しだけ温かみを帯びた会話。
国家を揺るがした巨大な嵐は去り、私たちは再び、欺瞞に満ちたこの街の裏側で、平穏かつスリリングな日常へと帰還したのだった。




