異変、大変、OTOGIワールド
「たろー、たろー」
ザッブーン。
「大変だ!誰か海に落ちたぞ」
ザザーン、ザザザザザザ。ザザーン、ザザザザザザ。
男が砂浜の波打ち際に倒れている。
「ここは…。どうして、こんな所に?」
目を覚ました男は、まだはっきりしない頭で記憶をたどった。
「たしか、船のデッキでホエールウォッチをしてたはず。そうしたら、海の中からぼくの名を呼ぶ声が聞こえて…。どうしてこんなところに?ここはどこだ?」
立ち上がって周りを見回した。少し先に板葺きの家が数軒建っている。
「あそこの住人から話を聞けば、何か分かるかもしれない」
男は集落へと向かった。だが、通りに人の姿はなかった。
「人は住んでいないのかな?」
ズドーーーン。ドッスーーーン。ガラガラガッシャーン。
突然、轟音とともに土煙があがった。
「何だ?」
音のした方へ目をやると、屋根の上に大きなカメの頭がぬうっと現れた。
「かっ、かいじゅう!そんな…。これは、夢だ。ぼくは夢を見ているんだ」
自分にそう言い聞かせ、男は思いっきりほおをつねった。
「いたっ。痛い…。これって…、夢じゃない、ってこと?」
巨大カメと目があった。カメが男に狙いを定めて迫ってくる。
「こっちへ」
家の陰から飛び出してきた娘に手を引かれ、路地を駆け抜け集落の外へ。
「ここまで来れば安心です」
はずんだ息を整えてから娘が言った。
「太郎様、やっと来てくださいましたね。あなたが来てくださるのをどんなに待ち望んだことか。本当によかった」
何のことだか訳が分からず、ぽかんとしている太郎にかまわず、娘は話を続けた。
「ここは、おとぎ話の世界。わたしは、竜宮城の竜王の娘です。是非ともあなたの力をお貸しいただきたくて、お呼びしました」
「おとぎ話の世界だって!」
驚きのあまり太郎は大きな声をあげた。
あらためて娘の顔を見つめながら、太郎は思った。
「竜宮城…ということは、乙姫様ってことか?さっきは、逃げるのに夢中で気づかなかったけど、得も言われぬ美しい人だ。頭の上に束ねた髪の毛の輪っかが二つ。服装も浦島太郎の絵本で見た乙姫様そのものだ」
「この世界が大変なことになっているのです。異変は数ヶ月前から起こりはじめました。はじめは取るに足りないちょっとした変化でしたが、それが今では、わたしたちではどうにもならないくらいめちゃくちゃになってしまったのです。従者のカメがあんなに大きくなって暴れているのも、その一つです。この世界を救えるのは太郎様、あなただけなのです」
「ちょっ、ちょっと待ってください。何か勘違いされているようですが、わたしは浦島太郎ではありません。村島太郎といいます」
「いいえ、勘違いではありません。あなた様の力が必要なのです。どうかお願いいたします」
「お願いされたって、何をどうしたらいいのか」
「まずは、カメを元の大きさにもどしてください。打ち出の小槌があれば、カメを元にもどせます。それから、これをお持ちください」
乙姫様から小さな箱をわたされた。
「これって、玉手箱?にしては小さいな」
「困ったことがあったとき、この箱を開けてください。きっとあなたのお役に立つでしょう」
濃い霧が立ちこめ、辺り一面まっ白になった。
やがて霧が晴れると、太郎は山の頂上に立っていた。とても見晴らしがよく、はるか遠くの山のふもとに町並みが見える。
「どうなっているんだ。いつの間にこんなところに来たんだ。瞬間移動?なくもないか。カメの怪獣や乙姫様がいるくらいだからな。それにしても、ここはどこだろう。打ち出の小槌といえば一寸法師だけど…」
太郎は自分の居場所を確かめようと、首にかけていた双眼鏡で、眼下の町を眺めはじめた。
「にぎやかな町だ。たくさんの人が通りを行き来している。男の人はちょんまげ、女の人は髪を結って、みんな着物を着ている。まるで時代劇映画のセットのようだ」
「何をしておるんじゃ」
背後から声がした。
「麓の町を見ているんです」
双眼鏡をおろして振り返るが、誰もいない。
ただ、そこに立っている大きな松の木の枝葉がザワザワとゆれていた。
「お主が持っておるのは何じゃ」
「双眼鏡です」
「それで、あんな遠くが見えるのか?」
「はい。遠くの物でも、目の前にあるように大きく、はっきりと見えます」
「わっ、わしにも貸してくれんか」
目の前に真っ赤な顔で、鼻が異様に高い天狗が現れた。
「てっ、てんぐ?」
驚いた太郎が言葉につまっていると、貸ししぶっていると勘違いした天狗が言った。
「よほど大切な品のようだな。それなら、わしが双眼鏡とやらをのぞいている間、わしの隠れ蓑を貸してやろう。どうじゃ、交換しようではないか」
「どうやらここは、彦市ばなしの世界のようだ。話を合わせたほうがよそさうだな」
天狗が、持っていた隠れ蓑を差し出した。
太郎が双眼鏡をわたすと、天狗は夢中でふもとの町をながめだした。
太郎が隠れ蓑を着ると、太郎の姿が見えなくなった。
また濃い霧に包まれ、別の世界に移動した。
人がたくさん行き交う通りの真ん中に太郎は立っていた。
何本もの大きな人の足が、容赦なく太郎の頭上から襲い来る。踏みつぶされそうになるのを必死でかわす太郎。
「ここは、巨人の国かな?」
「キャーーー」
近くで悲鳴があがり、人足がぱたっと絶えた。そこへ女の人が駆けてきた。だれかに追われいるようだ。太郎の側で三人の男?いや、鬼に囲まれた。よく見ると女の人は、乙姫様だった。
乙姫様を助けたいが、小さい体の太郎にはどうすることもできない。どうしたらいいか考えあぐねる太郎。何の気なしに、ポケットをさぐる。中から取りだしたのは、乙姫様からもらった小箱。入っていたのは裁縫道具。
「いい物があるぞ。これで…」
太郎は箱から針を取り出すと、針の刀で鬼たちの素足を刺して回った。
「いたたたたっ。何かに足を刺された。毒虫に刺されたようじゃ。こりゃたまらん」
隠れ蓑を着ている太郎の姿は、鬼たちには見えない。鬼たちは何が起こったのか分からず、足を引きずりながらあわてふためいて逃げ出した。
「乙姫様、大丈夫ですか」
太郎は隠れ蓑を脱いで、乙姫様に声を掛けた。
「太郎様でしたか。ありがとうございました。そのようなお姿では、ご不便でしょう」
乙姫様は、鬼が落としていった打ち出の小槌を拾い、「大きくなあれ」と、唱えながら三度打ち出の小槌を振った。すると、太郎の体がみるみる大きくなって、元の大きさにもどった。
「これで、カメを元にもどしてください」
乙姫様が太郎に打ち出の小槌をわたした。
たちまち濃い霧が立ちこめ浦島太郎の世界に。相変わらず巨大なカメが暴れている。
「小さくなあれ、元にもどれ」
太郎は打ち出の小槌を振ってカメを元の大きさにもどした。
カメはお礼の言葉とおわびの言葉を言うと、申し訳なさそうに首を引っ込め海に帰っていった。
これで終わりかと思ったら、またまた別の世界に。
「今度は何のおとぎ話だ?」
太郎は、ごつごつした岩ばかりの海岸に立っていた。と、そこへ大勢の鬼がやってきた。
身の危険を感じて身構える太郎。しかし、鬼たちの様子が少し変だ。よたよたと弱々しい足取りで太郎の側までやって来た。
鬼たちは太郎の前でひざまずいて言った。
「桃太郎様、わたしたちを苦しめるイヌ、サル、キジをこらしめてください」
鬼たちは、太郎を桃太郎だと思っているようだ。
「えっ、退治するのは鬼じゃなかったっけ」
「桃太郎様との戦いに敗れたわたしたちは、心を入れかえてまじめに働いておりました。ところが、この島に残ったイヌ、サル、キジがどうしたわけか突然、人というか動物が変わったように乱暴になり、やりたい放題にふるまい、この島の鬼はみな、ほとほと困り果てております。なにとぞ、わたしたちをお助けください」
「助けるっていったって、どうしたらいいのか分からないよ」
「吉備団子を食べさせたら元のおだやかなイヌ、サル、キジにもどるはずです」
「吉備団子か…。そんなもの持ってないよ」
太郎がどうしたらいいか考えていると、リーダーらしき鬼が言った。
「お腰にある打ち出の小槌を振って吉備団子を出せばいいのでは?」
「そうか!その手があった」
イヌ、サル、キジは城の中で玉座に座り、のんびりくつろいでいた。そこへ太郎がやってきた。
「なんだ、貴様は!ワオーン」
イヌがほえた。
「ここは、鬼の島。人間が来るところではない。ウッキィー」
サルが牙をむいた。
「用がないのなら、さっさと立ち去れ。さもないと命はないぞ。ケンケーン」
キジが甲高く鳴いた。
三匹ともどう猛な顔つきで太郎をにらんでいる。
「鬼ヶ島の新たな王となられましたお三方にお祝いの品を持って参りました」
太郎がうやうやしく言うと、三匹の顔色が変わった。
「おおそれはなんじゃ。すぐ見せてみよ」
サルの表情がゆるんだ。
「それでは、さっそく」
太郎は打ち出の小槌を振って、吉備団子を出した。
「おお!吉備団子ではないか」
キジが目を輝かせて吉備団子を見つめている。
「桃太郎様にいただいた吉備団子。なんとうまかったことか。あの味が忘れられん」
イヌが吉備団子をうっとり眺めている。
太郎が吉備団子をわたすと、三匹は夢中でほおばった。
すると、どう猛で恐ろしかった顔つきが、うそのようにおだやかでやさしい顔つきに変わった。
そして、鬼たちに迷惑をかけたことを謝って、太郎の家来になった。
太郎は鬼からお礼に酒だるを八つもらった。
改心して太郎のお供となったイヌ、サル、キジが、酒だるをのせた荷車を引き、意気揚々と出発したとたん、濃い霧に包まれ、太郎たちは別の世界に。
霧が晴れると、太郎たちは、いなかの一本道を歩いていた。少し先に小さな村が見える。
村に入ると、広場に数人の村人が集まって、何やら話していた。
「どうしたらいいんだ」
「村の食料も底をついた。このままでは、おれたち飢え死にするか、オロチに喰われるかのどっちかだ」
「どっちにしたって、悲惨な結果でしかない」
「オロチの結界のせいで、村から逃げ出すことも、助けを呼ぶこともできないし…」
みな暗い顔をして、黙り込んでしまった。
その様子を見かねて、太郎が村人に声を掛けた。
「あのー。何か困りごとがあるのですか」
「あんたら、何もんだ。どうやって来たんだ」
村人はとても驚いているようだ。
「オロチの結界で村には入ってこられないはずだ…。なのに?」
村人たちが騒然となった。
太郎は自分たちのことを手短に説明した。
その後、村人から詳しい事情を聞いた
村人の話によると、数ヶ月前から毎晩ヤマタノオロチが現れるようになった。オロチは八つの頭をもつ蛇の怪物で、食べ物や酒を差し出せ、さもないと村人を喰ってしまうぞとおどしている。村にはもう食べ物がほとんど残っていない。村から逃げ出そうにも、オロチの結界に阻まれてそれはできない。このままでは飢え死にするか、オロチの餌食になるかのどちかだ、ということだった。
オロチの結界をやすやすと通り抜けて村に入り、そのうえ鬼退治で有名なイヌ、サル、キジを従えた太郎の不思議な力にすっかり感心した村人たちは、太郎を神の使いとあがめ、オロチを退治してほしいとたのんだ。
困っている村人を見捨てることなどできない太郎は、快くオロチ退治を引き受けた。
「村に伝わる宝刀『十拳の剣』です。これでヤマタノオロチを退治してください」
村長が太郎に十拳の剣を渡した。鞘から抜いた剣は、さびついてぼろぼろだった。
「これじゃあ、役に立たないよ」
太郎の言葉に反応するかのように、剣がまばゆいばかりに輝き、さびが剥がれ落ち、白銀にきらめく美しい剣となった。
「おおー」
村人から喚声があがった。
太郎の身体に剣から力が流れ込んでくる。
「体中に力がみなぎるようだ。やれる。これならなんとかなりそうだ」
太郎は、古代神話をヒントにオロチを倒す作戦を思いついた。
太郎は昼間のうちに、イヌ、サル、キジといっしょに村の周りを頑丈な柵で囲った。そして、入口を八カ所つくり、それぞれの入口から少し中に入った所に、一つずつ鬼からもらった酒だるを置いた。
その夜、ヤマタノオロチがやって来た。村中から芳醇な酒の香りが漂っている。
「なんだ?このかぐわしいにおいは。たまらん!」
酒だるに気づいたオロチが、たるに頭を突っ込み夢中で酒を飲みはじめた。
やがて酔って眠ったヤマタノオロチ。隠れて様子をうかがっていた太郎が、すかさずオロチの八本の首を十拳の剣で切り落とした。
ヤマタノオロチは跡形もなく消えさった。 オロチが消えた後に美しい箱が落ちていた。太郎がそれを拾いあげると、どこからともなく乙姫様の声が聞こえてきた。
「災厄の元凶ヤマタノオロチが滅び、やがてこの世界も徐々に平静を取りもどしていくでしょう。太郎さん、あなたのおかげでおとぎ話の世界が救われました。どうもありがとうございました。
その玉手箱を開ければ元の世界にもどれます。これでお別れです」
箱の表面には繊細で見事な装飾が施されている。
「これが、玉手箱か。開けたらおじいさんになるなんてことはないだろう」
太郎は玉手箱を足下に置いて、恐る恐るふたを開けた。すると、中から勢いよく白い煙がふき出し、太郎を包み込んでいく。
乙姫様の姿が次第にかすんでいく。
「さようなら・・・」
声だけを残して、乙姫様が完全に見えなくなった。
しばらくして煙が消えると、辺りの様子がすっかり変わっていた。見渡す限り青い海が広がっている。
ほおをなでる潮風がここちよい。
「あまり端に立つと海に落ちますよ」
船員に声をかけられた。
太郎は観光船のデッキに立っていた。