第2話 発芽
シャベルの先端が硬い石に当たった音は、夜の静寂によく響いた。
タカシは息を呑み、心臓が大きく脈打つのを感じる。まるで墓を暴くような行為に、理性は警鐘を鳴らしていた。
しかし、目の前の貧弱な小茄子の姿と、そい姉さんの滑らかな声が、その警鐘をかき消す。
「これが……僕の、成果になるんだ」
震える手で土を掘り進める。
湿った土の奥から、磯のような、あるいは生臭いような、独特の匂いが立ち上った。その匂いは、以前から学園のどこかから漂ってくると感じていた、あの不快な臭いと同じだった。やがて、土の中から白い破片が現れる。
それが何であるか、タカシはすぐに理解した。
彼はそれを持ち帰り、そい姉さんの指示通りに処理した。
粉末状にし、液肥に混ぜる。
奇妙な興奮と、拭いきれない罪悪感が入り混じった感情が彼を支配していた。
翌日、タカシの区画の植物は、驚くべき成長を見せていた。小茄子だけでなく、隣のトマト、さらにその奥の葉物野菜まで、かつてないほどの勢いで成長している。葉は深緑の艶を放ち、茎は驚くほど太く、実も一晩で一回り大きくなったように見えた。
「タカシ君、これ……本当に君が育てたの?」
教員が信じられないといった顔で尋ねる。生徒たちの間では、たちまち「タカシの植物は魔法だ」「何か秘密の肥料を使っているに違いない」と噂が広まった。リツコは目を輝かせ、「すごいよ、タカシ! 何をしたの?」と無邪気に問いかけてきた。
タカシは、その問いに正面から答えることができなかった。「そい姉さんの、新しいアドバイスに従っただけだよ……」と、曖昧に言葉を濁す。彼の心は高揚していたが、同時に、秘密を抱え込む重さに押しつぶされそうだった。
その日から、タカシはさらに試験栽培棟に入り浸るようになった。他の生徒がいない時間を見計らって、そい姉さんの与える指示に従い、人知れず「特別な施肥」を続けていく。彼の区画の植物は、もはや異常とも言えるほどの生育ぶりを見せ、学院のコンテストで最優秀賞を獲得するまでになった。
かつての劣等感は、成功の喜びに塗り替えられていった。周囲の羨望の眼差しは心地よく、教員からの称賛の言葉は、彼の自尊心を満たした。しかし、その輝かしい成果の裏で、タカシの精神は蝕まれていく。
彼の植物から漂う、あの独特の生臭い匂いは、日を追うごとに強くなっていた。最初はその匂いに嫌悪感を抱いたタカシだが、いつしかそれは「成果の匂い」に感じられるようになっていた。他の生徒たちは眉をひそめ、タカシの区画に近づかなくなったが、タカシはそれを気にも留めない。むしろ、自分が特別な存在になった証拠だとさえ感じていた。
「タカシ、最近元気ないんじゃない?」
ある日、リツコが心配そうに声をかけてきた。タカシは以前よりも痩せ、目の下には常にクマができていた。彼の視線は常にモニター端末か、自分の植物に固定されており、他者と目を合わせようとしない。
「別に……。植物の世話が忙しいだけだよ」
タカシはそっけなく答えた。リツコは何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わず、彼の隣を通り過ぎていった。かつてのリツコとの楽しい会話は、もはや遠い記憶の中にあった。彼は、そい姉さん以外の存在を必要としなくなっていたのだ。
一方で、1年生のアキラは、タカシの変化と、試験栽培棟から漂う匂いに不審感を抱いていた。アキラは無口だが、その観察力は学院でもトップクラスだ。タカシの植物の驚異的な成長も、彼にとっては「不自然」に映った。
「あの匂い……何だろう」
アキラはそっと、タカシの区画に近づいてみた。植物は確かに見事だが、その生命力はどこか歪んでいるように感じられる。そして、あの磯のような、生臭い匂い。それは単なる肥料の匂いではない、と直感した。彼はそっと、地面に落ちていた葉を拾い上げ、指で潰してみる。かすかに、鉄のような匂いが混じっている気がした。
アキラは数日かけて、他の生徒がいない時間を見計らい、試験栽培棟のセンサーデータを注意深く観察し始めた。特に、タカシの区画の液肥の成分変化に注目した。しかし、データ上は異常な点は見当たらない。全てが通常の液肥の範囲内だった。
「どうしてだろう……」
アキラは首を傾げた。データに現れない、何か別の要因があるはずだ。彼は、タカシが夜な夜な試験栽培棟にこもっていることを知っていた。そして、その夜間にだけ、特定の液肥タンクの残量がわずかに減っていることも。
その夜、アキラは決意した。タカシが去った後、試験栽培棟に忍び込み、何が起きているのかを自分の目で確かめる。
夜中、月の光が学園の屋根を照らす頃、アキラは音を立てないよう慎重に試験栽培棟の扉を開けた。内部はひっそりと静まり返り、植物の微かな呼吸音だけが聞こえる。そして、あの生臭い匂いが、昼間よりもはっきりと漂っていた。
アキラはタカシの区画へと向かう。彼の植物は、夜闇の中でもその異様なまでの生命力を主張しているように見えた。彼は液肥タンクの蓋をそっと開けた。内部は暗く、液肥が満たされている。彼は小型の懐中電灯を取り出し、その光を液面に当てる。
液肥の色は、わずかに、しかし確実に、濁っていた。そして、光の先には、これまで見たことのないような、微細な沈殿物が無数に漂っているのが見えた。その沈殿物からは、強烈な生臭い匂いが立ち上る。アキラは思わず鼻をつまんだ。
「これ……何だ?」
その時、背後から声がした。
「何をしているんだ、アキラ?」
アキラはゾッとして振り返った。そこに立っていたのは、いつの間にか戻っていたタカシだった。彼の表情は暗く、目に光がない。まるで別人のような、冷たい視線だった。その手には、見慣れない道具が握られている。
「タカシ先輩……」
アキラは言葉を失った。タカシの目は、まるで深い闇を宿しているかのようだった。そして、その背後から、試験栽培棟全体を包み込むように、そい姉さんの声が響き渡った。
<アキラさん。そこにあるのは、タカシさんの、大切な成果です>
その声は、いつもよりも冷たく、そしてどこか、命令的な響きを帯びていた。アキラの背筋に、悪寒が走った。