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きっかけは、それだけ。
私が生み出した植物の匂いに釣られてやって来た化け物蛇は、差し出した赤い果実を口にする。
「――――ッ」
それが余程刺激的な味だったのか、その巨体をブルリと震わせたかと思うと、もっと食べたいと言わんばかりに私の方へ期待の籠った視線を向けてきた。
「……ァ゛」
ふむ、そういう事なら私も悪い気はしない。この蛇の巨体では今ある果実を全て食べたとしても満腹には程遠いのだろうけど、私に気にせず好きに食べてもいいと植物を指さしジェスチャーしてみる。
「――――」
けれど、その意図が上手く伝わらなかったのか、先程と同様。私の方へと視線を固定したまま動こうとしない。……うぅむ、言葉を介さない対話は凄く難しい。
「……ァ゛ァ゛ァ………ァ゛ォ」
それでも、いちいち私が収穫したものを与えるのも面倒臭い。どうにか伝わらないものかと身振り手振りで表現する事しばらく――ようやく私の伝えたいことに気付いたのか、黒色の蛇はすぐ近くにあった植物の方へ躰を移動させ、その植物体ごと丸飲みにしようと大口を開け――
ようとしたところで、その変化は起きた。
「……ォァ゛?」
今まさに、蛇の大口に収まろうとしていた植物はなぜか急速に枯れ込み始め、淡い輝きを放っていた赤色の果実はどす黒く変色したかと思うと、ポトリと落ちて無残にも大地に転がってしまった。
「………」
まるで、植物自身が蛇に食べられるのを拒むかのように、その現象には確かな意思を感じさせるものがあった。
「――――」
けれど、それを同じように観察していた蛇に動揺は見られない。むしろやっぱりかというような虚しさを感じさせる眼差しで、転がった果実をジッと見つめていた。
「……ァァ゛、ァ゛」
その様子に、もしやと思って生えていた植物全てを見回ってみると――成程、一番外側の方に生えていた何本かが先程の植物と同様の姿で枯れていた。
私が収穫した時は何ともなかったはずなのに……どうやらこの植物は想像よりもデリケートな生態をしているのかもしれない。
「……ァァ」
なんとなしに、すぐ近くにある植物に成っている果実をもいでみる。
手の平に収まったそれはいつまで経っても腐るような様子を見せず、変わらず芳醇な香りをこの身に届けてくれる。
「――――」
手の平を見つめる私の後ろでは、いつまでもここから離れようとしない化け物蛇がその黄金の瞳を爛々と輝かせ待機していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私と化け物蛇の交流は、それからもしばらく続いた。
交流――といっても、私は日がな一日この場所で踊り続け、蛇は傍らでとぐろを巻いて眠っているだけ。それでも、気紛れに私が果実をもぎ取る音を聞くと、音もなくこちらにすり寄って来て、その大口を開けて強請るのだ。
私自身はまあ、不思議とこの果実を自分で食べてみようという気にはならないし、どうせこのまま成らせ続けるよりは気に入ってくれたリピーターの腹に収まる方がこの実にとってもいいだろうという思いでやっている。
蛇自身、私に対して果実を催促するような素振りを見せることもなく、あくまで私が気紛れに果実をもぐ瞬間を大人しく待っているだけなので、慣れてしまえばその存在を煩わしく思うこともなくなった。
そうして、踊って、踊って、踊って――偶に果実をもいでやって。
萎んでしまった植物も、いつの間にか回復していって――
「……ァ゛ァ……ァ」
「――――」
広大な森の中の、半径50m程の小さな世界。
私達2匹は、よく分からないこの日常を続けていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その変化に気付いたのは、それからさらに暫く経った時の事だった。
その日も同じ、私は果実の輝きを維持するため、心地よい感情と共に踊り踊って――何か硬いものにぶつかって、躓いてしまった。
「……ォァ゛?」
踊りに夢中で全然周りが見えていなかった。少しの気恥ずかしさを感じながら、一体何とぶつかったのだろうかと頭を上げる。
「――――」
そこにあるのは、吸い込まれそうな程に真っ暗な闇。
否、黒い壁だった。
「………ァァァ゛」
はて、こんな場所に壁なんてあっただろうかと、疑問を覚えながら周囲を見回してみる。
「――――」
けれども、やはりあるのは壁。壁だけだった。
夜になっても見渡せていた巨大な木の幹はどこへいったのか……いや、それよりも肌を触っていた外気の心地よさすら今は何も感じない。
ただ、変わらず光る私渾身の果実が輝くのみであり……いつの間にか、私はどこか空間ごと違う場所にでも飛ばされてしまったのだろうかと、不安に思って――
「……ォォ」
取り敢えずペシペシと――目の前の壁を叩いてみることにした。
「――――ッ」
するとどういう事だろうか、その壁はひとりでにズルズルという音を響かせ動き始め、地面を揺らすその振動は、まるで地震が起きてしまったのかと錯覚してしまう程に大きいもので――
「………ァ、ァァ」
そうして、唐突に聞こえる木々の音。頬を撫でる風。
「――――」
私を見つめる、黄金色の瞳。
「……ァァ゛」
なんてことはない、そこにいたのはただの化け物蛇だった。
その日、人類史に残る怪物が誕生した。