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始まりの物語。
自分以外の生き物など存在しないと、完全に油断していた昨日までの自分を恨む。
「……ォ……ァ゛」
無防備な状態で眠っていた私の身体を包んでいるのは、まごうことなき蛇。それも大蛇やアナコンダなんて目じゃない。体長は確実に10mを越え、その胴体は丸太のように太くて巨大だった。
私を睥睨するその瞳は黄金色に輝いており、体表を保護する鱗はどこまでも黒い。
「――――」
こんな気持ちの悪いフォルムをした私を見てもなおその悠々とした佇まいはまさしく王者の貫禄であり、この森一帯の頂点捕食者と言われても何らおかしくない存在感を感じた。
「……ァ゛」
そんな化け物蛇に身体を拘束され、まさに蛇に睨まれた蛙状態になっている私なのだから、当然、ここから逃れる術など見いだせるはずもなく、そもそも、今ここでどれだけ暴れようと数舜の後に食べられてしまうことは明白だった。
果たしてこの枯れ枝のような身体のどこに食欲を刺激されたのかは、甚だ疑問ではあるのだけれど……
それでも、まあ、これから辿る運命をどれだけ悲観しても現実は変わらない。今はただ、私達の周りで今なお煌々と輝く赤色の果実をこの手で生み出せたという達成感に浸って、この非情で無情な現実を受け入れる、せめてもの慰め材料とするとしよう。
「――――」
さあ、どこからでも食べるがいいさ。
「――――」
そうして、あわよくば腹を壊してしまえ。
――――――――――――――――――――
――――――――――――
――――――――
「………ォァ?」
――おかしい。いつまで経っても身体が裂ける痛みを感じない。いや、相手は蛇なのだから、咀嚼もせずに飲み込んでくるのだろうけど、依然として森からの清涼な風を感じるのだから、私の身はまだ胃袋の中に入っていないということなのだろう。
「……」
絶望までの時間が一向に訪れないことに違和感を覚え、恐怖で閉じていた視界を恐る恐る開けてみる。
「――――」
その蛇は、変わらず私を睥睨していた。
「……」
――いや、ひょっとしたら違うのか?
そもそも、私を食べようと思えば、寝ている間に飲み込んでしまえばいい話だ。相手がもがき苦しむ姿を観察したいサディスト精神の持ち主であれば、この状況にもいくらか納得がいくのだけれど……そういえば、この蛇からは私を食べてやろうとか、そういった様子を感じない。
完全に怯えて見落としていたが、私を見つめるその瞳からは、何かを伝えようとしているようにも感じる。
「「――――」」
お互いに、共通した言葉を介さない者同士。
このままいくら見つめられようと、私には何を求められているのかなんて、分かるはずもないのだけれど。
「……ァ゛ァ…ォ」
取り敢えず、このままの状態では埒が明かない。私を食べる目的で拘束しているのではないのであればと、試しに化け物蛇の躰をペシペシと叩いてみることにした。
「――――」
そうすると、驚くほど素直に拘束が解かれる。……いや、じゃあ今までの緊迫した雰囲気はなんだったのだろう。私は完全に死を覚悟したのに。
「……ォ……ァァ」
依然として、その瞳を私から逸らそうとしない蛇。困惑で首を傾げる私の前を離れる気配は感じない。
これは本当に困った事になったと、そう途方に暮れる私。このまま、永遠と意味の分からない邂逅を続けなければいかないのかと……そう悲観すること数十分。
「………ァ゛」
それは本当に唐突に、脳裏に閃いた事だった。
「……ァァ゛」
いや、目の前の蛇が衝撃的過ぎて、真っ先に思いつくべき1つの事実を忘れてしまっていた。――そもそもが、こんな広大な森。私みたいなちっぽけな生き物の存在など、見つけようと思って見つけられるものではない。
であれば、どうしてこの蛇はここまで辿りつく事が出来たのか。
答えは、1つしかなかった。
「………ァ゛ァ」
私達を照らす、果実の1つを摘まみ取り、目の前の化け物蛇に向けてみる。
「――――」
蛇は、それまで向けていた私への視線をようやく逸らし。
「――――」
まるで心底大事な物を受け取るかのように慎重な動きで、その果実へ向けて舌を伸ばしたのだった。
そうして、世界の均衡は崩れていく。