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シャチとリュウ

 二〇分も掛からず牛鬼ボクシングジムに到着した。今日は愛龍が戻ってきているか確認するために、正面から入る。すると会長に頭を下げまくっている桃澤さんの姿があった。

 近くに愛龍の姿もある。どうやら、道草を食わずにすぐに帰ってきたようだ。

 張り詰めていた緊張感が一気にほぐれ、僕はその場で脱力。今になって殴られまくった腕や頬に熱を帯びているのがわかった。殴られ慣れているとは言え、痛いものは痛い。痛みに慣れていると言ったほうが近いかもしれない。


 僕が戻って来たのを知るや否や、黄髪の鬼と黒髪の龍が拳をパキパキぽきぽきと鳴らしながら僕の方に向って歩いてきていた。

 第二ラウンドの相手にしてはレベルが上がりすぎでは……。さすがに生物界最強の鯱も伝説上の鬼と龍を見たら全力で逃げるよ。

 僕は尻尾巻いて逃げようとするが、瞬歩が使える会長に襟首を掴まれヘッドロックされ、逃げられなくなった。ここはボクシングジムであってプロレスジムじゃないんですが。


「おい、成虎、また不良とつるんでいたのか。不良と遊ぶのは中学までって言ってなかったか? 高校生になったらリングの上だけで拳を振るうって誓わなかったか?」


「か、会長、ぼ、僕、相手を殴ってません……。は、話し掛けられて挨拶されただけです」


 拳と言う名の挨拶だったけど。僕は挨拶しなかったから無礼だったかな。そんな訳ない。

 会長の大きな胸が……僕の顔に押し付けられる。スポーツブラだからか、胸の柔らかさがダイレクトに顔に伝わって……。あ、愛龍、顔が怖い、顔が怖いよ。


 僕は頭の形が変わったのかと疑うほど絞めつけられた後、ようやく解放された。


「たく、なんで入って来たのよ。私が一発で終わらせてあげようと思ったのに」


「相手の人生が終わっちゃうよ。愛龍が少年院に送られちゃう……」


「あんた、私を何だと思ってるの……」


「相手を確実に食い殺す龍。ぐふっ!」


 愛龍の拳が鳩尾にぶち込まれた。そこはボクシング的に反則じゃないけど……、あまりにも完璧な一撃すぎる。

 呼吸が出来なくなって、脚が千鳥足になりすぐ近くのリングを背もたれにして何とか呼吸を確保した。容赦が無さすぎてやはり、僕の考えは間違っていないと思われる。鯛平に殴られた傷よりも痛むんですが……。


「バカ、せっかく感謝しようと思ったのに。えっと、芽生も感謝してるって」


 桃澤さんは僕に頭を下げ、メモパットに『助けてくれて、ありがとう。体、大丈夫?』と僕の体のことを労わってくれた。本当に良い子だ……。体を痛み付けてくる幼馴染より優しさが滲み出てるよ。


 桃澤さんは感謝の気持ちを僕に伝えるためだけに愛龍に付いてきたようだ。と言うのも、ここから家まで別段遠くないそう。愛龍が送り届けると言い、二人でジムから出て行った。


「愛龍にあんなに良い友達が出来ていたとは……」

「愛龍って熊とか、ライオンとかが友達だと思ってた」

「ほんとほんと、愛龍ってもう人間じゃないし」


 犀川さんと熊本さん、象谷さんは口々に愛龍への心境を口に出しているようだった。僕は全てに共感する。愛龍を女の子だと認識できるのは本当の彼女を知らない人だけだろう。


「はぁ……、万亀雄のやつ……、私はお前に喧嘩させるためにボクシングを教えたんじゃねえぞボケ」


 会長は腕を組み、顔に付いた傷の縫い目が虎の髭のように見えるほど顔を顰めながら、唸っている。その姿を見た僕たちの体は縮こまり、万亀雄の生死が心配になった。今の会長に会ったら食い殺されるかもしれない。いくら喧嘩を止めろと言ってもあの正義感おバカは悪に鉄拳を振るうのを止めない。

 悪が次から次に出てくるから、万亀雄もやめるにやめられないのだ。まあ、正義だ悪だなんて言っているが、喧嘩が三度の食事より好きなのだろう。もう、生粋の喧嘩バカとしか言いようがない。会長の裸体を見せれば多少は大人しくなるかもしれないが……、会長は万亀雄にそこまで気を許していない。


「たく、今度来たら風呂で説教してやっか……。肝っ玉引き千切ってやる」


 万亀雄……、今来たら会長の裸体が見れるよ。でも、その時が人生最後の瞬間だと思うから、来ない方が良いよ。


 桃澤さんを家に送り返してきた愛龍がジムに戻ってくると、いつも通りの地獄にいるのかと思うほどきつい練習が始まる。

 僕はリングに立たないとはいえ、ボクシングを完全にやめることはかなわず、未だにかじりついていた。筋トレとランニングは欠かさないし、サンドバックを吹っ飛ばす想像をしながら拳を打ち込んでいく。相手が人じゃなければ殴るのは問題なかったのだ。


「いやー、いつ見ても私の彼氏の成虎は良い拳を打つねぇ~」

「いやぁ~、いつからあんたの彼氏になったのかなー。にしても、やっぱり私の彼氏の成虎は良いフットワークしてるよ」

「聞き間違いかな? 二人の彼氏? いやいや私の彼氏の成虎の打つ拳の音が最高だよね」


 犀川さんと熊本さん、象谷さんは会長に殴られ過ぎて頭がおかしくなっているのか、わけわからないことを口々に言い合っていた。


 僕はサンドバックを殴っていると少しずつ海に潜っているかのような静寂が辺りを包む。グローブとサンドバックがぶつかり合う音すらかき消されて行き、精神だけが海の中に取り残される。

 なぜこんなことしているのか自分でもわからない。一種の瞑想状態に入っており、集中力が途切れるまで永遠とサンドバックを殴るのだろう。


 ボーっとしていた。気づいたらお風呂に入っていた。はっとして当たりを見渡すとまだ、誰もいない。深く息を吸い、頭に酸素を送る。深く潜りすぎて意識が体に戻ってくるのが遅れてしまった。

 きっと半分気絶していた僕は体が覚えていた感覚のまま動き、夕食を得てからお風呂に入ったのだろう。久しぶりにこの感覚を得た……。試合に出て相手のボクサー人生を終わらせてしまってから、自分も同じようにボクシングを止めようと思ったのに、なんでまだ止められていないのだろうか。


 サンドバックを殴っていた僕はきっと笑っていたに違いない。相手を傷つけておいて、自分だけなにを楽しんでいるんだ……。

 前はここまで自己嫌悪に陥ることはなかったが、最近は少し楽しんでしまったら気持ちが沈む。僕の拳が人を殺せてしまうとわかったとたん、拳を振るうのが怖くてたまらなくなってしまった。

 勝負の世界は弱肉強食、そんなのは当たり前すぎて、忘れていた。でも、自然界のように殺し合っているわけじゃない。


「僕は……何のためにボクシングをしているんだ……」


 誰もいないお風呂場で、呟いてみるが答えてくれる者は誰もいない。そりゃそうだ。答えが返って来たら、ここまで悩んでいない。

 さっさと体を洗って午後八時前に眠らなければ睡眠不足で学校で授業が真面に聞けなくなる。成績が悪くなったらアルバイトも出来なくなってしまうため、睡眠だけはしっかりとらなければ。


「成虎、今日は……、ちょ、ま、マッパじゃん。前くらいタオルで隠しなさいよ!」


 脱衣所に入って来た愛龍は絆創膏が一枚貼られた手で目を隠す。だが、指先の間を開き、チラ見してくる。どこを見ているかは知らない。

 男子用の風呂場もあるが、僕一人のために水道光熱費と掃除が増えるのは申し訳が立たない、と言うのは建前で猛獣たちが一緒に入りたがるから使わせてもらえないだけだ。


「愛龍の拳も十分人を殺せるから、気を付けて。ボクシングが楽しくなくなるよ」


「う、うん……、わかった?」


「わかってないでしょ……」


 僕は服を着替え、愛龍の隣を抜けようとする。すると、右手頸を掴まれた。


「したくないなら、しなくてもいいんだよ。ママも、無理やりやらせるほど鬼じゃない。私、成虎が苦しんでるところなんて、見たくないよ……」


 愛龍は僕の心でも読んでいるのだろうか。だとしてもそんなに優しくされたら困る。


 僕は一人のボクサーの人生を終わらせたのだ。殺人と言っても過言じゃない。むしろ、その相手がプロ注目で、日本の未来を背負った選手だったのならなおさら……。

 打算的に、言われるがままに、ボクシングをして来た僕からすれば崇拝に値するような相手だった。そんな相手を再起不能にさせてしまった僕は処罰されるべきではないのだろうか……。

 たしかに謝って表面上は許しを貰えたかもしれない。でも、人生の何もかもをボクシングに捧げて来た相手からボクシングを奪ってしまった。

 今の僕からボクシングを奪ったら何も残らないように、燃え切った灰のような人生になっているかもしれない。

 相手は大学進学が決まっていた高校三年生だったから、一七歳……。その歳で人生のどん底に僕が付き落としてしまった。他人が僕を許しても、僕が僕を許せない。


「ボクサーを殺した僕を誰も罰してくれないのなら僕はもっと苦しまないといけないんだ」


「……バカ」


 愛龍は僕の右手首を放し、力が入っていない手を腹に回してくる。


 僕は彼女の行動が理解できないまま背中におでこを当てられ、抱き着かれてしまった。愛龍なりの優しさ。どことなく、会長と雰囲気が似ているので嫌でも親子だと思わされる。拒否すれば思いっきり力を入れられて内臓がひっくり返るようなジャーマンスープレックスが打ち込まれるかもしれない。きっと愛龍ならプロレスでも世界を狙えるだろう。


「ん……、あら~」


 愛龍が僕の背後から抱き着いている姿を他の猛獣たちに見られた。そっとしておいてくれるほど彼女たちは優しくない。愛龍と同じように僕に抱き着いてもみくちゃにしてくる。せっかくお風呂に入ったのにすでに汗まみれだ……。まぁ、そのおかげで愛龍から解放されたので、感謝しなくもない。


 僕は寝る準備を終え、部屋に戻ってからすぐに就寝。午前二時頃に起きて深夜帯から新聞を配り始める。そのあいだに万亀雄を見つけたら話しかけようと思ったが、見かけるのは別の不良ばかり。確かに一年前に比べたら地区内に他校の不良が増えている気もする。


 僕は小、中のころ、悪さをする者を万亀雄と一緒にぶん殴っていた。そしたらいつの間にか『陸の鯱』なんて呼ばれるようになっていた。誰が考えたんだろう。そのため、会長に大会に出させてもらえなかった。

 高校生になる前、泣いている会長から「不良紛いなことをしないでほしい」と言われ、足を洗った。

 リングの上以外で人は殴らないと決め、万亀雄に力を貸してほしいと言われた時だけ、顔を出した。不良たちの中で妙に有名人だった僕の通り名を聞くと、多くの者が震えあがり逃げるのだ。


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