アルバイト
新学期が始まって一週間がたった頃。クラス内で集まるグループがほぼ固まった。
僕? もちろん、一匹狼……。群れからはぐれてしまった鯱の如く、一人で椅子に座って新聞配達の疲れを仮眠で癒している。
「ねぇ……、海原君ってやっぱりヤンキーだよね……」
「ちょ、何言ってるの。海原君はバリバリのスポーツマンだよ。超カッコいいんだから」
「いや、どう考えても……、不良じゃん……」
「はぁ、これだから文化部は……。彼の凄さがわからないなんて、可哀そう」
近くの女子達が僕のことについて話していた。文化部の女子は僕を不良と呼び、運動部の女子は僕をスポーツマンと言う。
尊敬の念を抱いた瞳を向けて来たのは運動部の女子達だ。なぜ尊敬されているのかは知らない。でも、別に話しかけてくるわけではないので、ひそひそ話のタネにされていると、妙に恥ずかしい。
隣の席の愛龍はすっかり仲良くなっている桃澤さんと女子数名で会話兼筆談していた。やはり、桃澤さんは言葉を出さずメモパットに文字を書き、思いを伝えている。
会話の途中に笑顔も見せているため、耳が聞こえないと言う訳ではなさそう。彼女の笑みは猛獣の食事前の笑みではなく、女の子らしい華やかな笑顔だった。
万亀雄は今日も学校に来てすぐに出て行った。各授業の出席点は大丈夫なのだろうか。
――藻屑高校がどうとか言ってたよな……。あんまり無茶しないといいけれど。
藻屑高校は隣町にあるヤンキー校。Fランク高校と言ったほうがいいのかな。名前が書ければ入れるような高校なので、高卒の資格が欲しいけど頭が悪い人はそこに流れていく。そうなれば必然と治安が悪くなる。海の藻屑が沢山集まってしまう海域ってところか。
僕たちが通う陸海高校の生徒が藻屑高校の生徒にカツアゲされたり、性的暴行とか普通に虐めとか、そんな街の治安を悪くしてしまうくらい厄介な奴ら。もちろん、表立って活動することはない。夜とか、裏道とか、陰場で食らいつくための餌を待っているのだ。
万亀雄はその藻屑高校のやつらから地域を守っていると言うか……、正義感が強すぎて不良になっちゃったと言うか……。憎めないやつなんだよ。
「ねえ、成虎。ちょっと聞いてる? おーい、聞いてますかー?」
愛龍の声は聞こえる。彼女は僕の頭を机に押し付けるようにして虐めてくる。構ってほしくて仕方がない猫じゃあるまいし……。いや、猫なんて可愛らしい動物じゃない。虎? いや、龍かな?
頭部への圧力がなくなり、やっと表をあげる。すると、仁王立ちしている愛龍と……、緊張しまくっているのか口がへの字に曲がっている桃澤さんが両手を握りしめて立っていた。なぜ、僕の前に桃澤さんを連れて来たのだろう……。
桃澤さんはメモパットにさらさらと文字を書き始める。『こんにちは』と達筆で書かれていた。
僕は言葉で返すべきか、同じく筆談で返すべきか迷ってしまった。選んだのは……桃澤さんのメモパットを借り、文字の下に同じ言葉を書いた。彼女は目を丸くし、愛龍は笑いそうになっている。
「いや、なんで喋れるのに言葉で返さないのよ」
「あぁ、いや、別に……、どっちにするか迷ったんだけど、言葉が出てこなかったから」
メモパットを桃澤さんに返すと彼女はボタンを押し文字を消した。すぐ別の文字を書く。
『私が水族館でアルバイトをしていると、誰かに話しましたか?』
「アルバイト……。え……、もしかして水族館の清掃のアルバイト?」
桃澤さんは首が千切れるんじゃないかと言うくらい頭を縦に振っていた。
僕は首を横に振る。そんなこと誰にも話していない……、と言うか、話す相手もいなければその人が桃澤さんだなんて知らなかったし。今、やっと確信が持てたし。
「あの時、声、出てたよね?」と質問すると『誰もいない所とか、家族の前なら声が出るの』とメモパットに書かれていた。
「芽生は私の前のクラスメイト兼友達で高校一年の夏までは声が出てたんだよ。もう、歌が超上手くて聞くだけで惚れ惚れしちゃうの。まあ、なんやかんやあって、声が出せなくなっちゃったんだけど……」
――その、なんやかんやを教えておほしいんだけど、言わないと言うことは桃澤さんの意思を尊重しているのかな。なら、聞くのもお門違いだ。
「確かに海みたいに透き通っていて綺麗な声だった。ベルーガの声と言うかカナリアと言うか……」
愛龍と桃澤さんは目を丸くして僕の顔を見ているようだった。
僕は何か変なことを言ったかな? 気持ち悪かったか……。これだから、女子と話すのは苦手なんだよ。なにを言っても怖がられるか、気持ち悪がられるか考えないといけない。
ボーっとして口からポロリと零れるような言葉じゃなくて、しっかりと考えた上で伝えられる筆談の方が僕は向いているんじゃないだろうか。
「ご、ごめん、あの時は凄く静かだったから小さな声も聞こえてたし、ベルーガの声と重なっていたと言うか、何というか……」
「ま、御覧の通り、成虎は不良と言う訳じゃないし、質問すれば素直に答えてくれるから」
愛龍は隣の席に座って頬杖をついていた。
桃澤さんは艶やかな頬と形のいい耳をほのかに赤らめ黙りこくっている。少ししてメモパットを見せてくる。『アルバイトの許可願いはどうしたらいい?』と書かれていた。
「もしかして……、許可貰ってなかったの?」
桃澤さんは小さく頷いた。その後も筆談し、彼女は僕を知っていたらしくアルバイト現場を目撃されて問い詰められると思って逃げてしまったと自白してきた。
どうやら、僕は怖がられていたわけでも気持ち悪がられたわけでもなかったらしい。
筆談してわかったが、桃澤さんも僕と同じくらい貧乏なんだとか。シングルマザーのお母さんが働きすぎで倒れてすぐにアルバイトを見つけ働きだしたと。学校に申請書を出す前に働くなんて、案外おっちょこちょいなのだろうか。いや、家族思いと言ったほうがいいかな。でもなんで僕に聞くのだろう。先生に言えば普通に対応してくれると思うのに。
『まだ、仲良くないから……。部活の先生もちょっと距離があるし……』と返ってくる。
家庭事情を他の人にあまり知られたくないんだとか。まあ、わからなくもない。
すぐに職員室に行って僕がアルバイトをする時にお世話になった生徒指導の先生に話を通す。桃澤さんの成績はとても良いらしいので書類を書けば許可がすぐに降りるだろう。
一足先に教室に戻っていた僕のもとに桃澤さんは缶ジュースを持って感謝しに来てくれた。良い子だ……。缶ジュースだってただじゃないし、家計を圧迫させてしまったのでは、と考えが脳裏によぎり中々受け取れない。
「もらっておきなさいよ。貸し借りはさっさと終わらせるに限る」
隣にいた愛龍の言葉に桃澤さんも頷いた。そう言うことならありがたくもらっておく。