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シャチとベルーガ

 プロに最も近いと言われていた天地高校三年、鮫島和利は最後の試合ののちにリングの上で鯱を見たと語った。

 陸最強の生物は熊か、象か、犀か、虎か……。だが陸は地球の三割しかない。残りの七割を含む海まで範囲を広げた時、生態系の頂点に立つのは鯱である。

 陸と海を混ぜて考えるなと言うだろう。だが鮫島はリングと言う名の海で鯱に無慈悲に襲われたのだと、半身麻痺の体で答えた。

 記者が病室からいなくなった後「不甲斐ない試合で、彼に申し訳ないことをした」と相手のいない病室で喉を震わせながら泣いている一人の男に語る。


 ☆☆☆☆


 あの時、僕は完璧すぎる左ストレートを打ってしまった……。ヘッドギアの防御力が薄い真ん前からの一撃で、グローブが当たったとたんに相手の体が浮いた。分厚いグローブから伝わって来たのは何かがきしむ感覚。

 次の瞬間、相手はリングの上で動かずに仰向けに倒れていた。レフェリーが間にすぐさま入り、周りの音が一切消えてなくなって……静寂に包まれていた。まるで、海の中に潜っているような静かすぎる空間。水圧に押しつぶされているのかと思うほど耳が痛かった。

 初めに聞こえてきたのは僕の荒い呼吸音。今まで、呼吸するのを忘れていた。

 担架で運ばれていく相手の意識は無かった。

 会長が駆け寄って来て、僕の肩を強く揺すり声をかけてきているが、何を言っていたか思い出せない。そのまま、大きな胸に抱かれて久しぶりに温もりを得た気がする……。


「あ……、またボーっとしていた……」


 春の涼しすぎる水族館の中、僕の何倍も大きな水槽の中を優雅に泳ぐ鯱が目の前にいる。

 黒い髪、少し鋭い目つき、擦り傷の多い頬……。あぁ、目の前に映っているのは分厚いガラスに反射している僕の顔だった。やばい、さすがに走りすぎて頭がバカになっている。

 頭を振り、水中を優雅に泳ぐ鯱を見る。あの可愛らしい見た目で海中最強らしい。恐怖の権化であるホホジロザメを遊びで殺しちゃうくらい強いらしい。目の前で楽しそうに泳いでいる鯱からは想像も出来なかった……。

 きっと自然にいる時と水族館で飼われている時で性格が違ってくるのだろう。僕もそうなのだろうか。

 鯱を十分見終えた後、近くのベルーガがいる水槽の方に向かった。


「ぁ、ぇ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ、ぁ、ぉ……。ぁ、ぇ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ、ぁ、ぉ……」


 人が少ない開館したばかりの時間帯で、人がほぼいない無音の中。カナリヤ以上に綺麗で透き通った声が聞こえた。

 マスク姿の清掃員人が、あまりにも小さな声で呟いていた。眼鏡をかけているが、遮光がレンズに反射していない。ダテ眼鏡かな。


「キュー、キュー、キュー」


 小さな声は全身が真っ白なベルーガの声にかき消されるほどで、もう聞こえない。

 清掃員の方はマスクで表情はわからなかったが瞳で微笑んでいた。溜息をついて声をもう一度出そうとしたのか、マスクを少しずらした。その姿にどこか見覚えがあったのは偶然だろうか……。はたまた、必然だったのだろうか。

 その方とどこか雰囲気が似ていた僕は、知り合いに話しかけるように声をかけてしまっていた。


「良い声でしたね……」


 顔からビックリマークが飛び出したかというほど身をびくつかせた清掃員の女性は一瞬で僕の方を見た。だが、深く帽子を被り、マスクを付け直して走り去っていく。


「こ、怖がられてしまっただろうか……。はたまた気持ち悪がられてしまったのだろうか。ベルーガの声が良い声だと言おうとしたんだけれど」


 僕の人生が変わったのはきっとこの時だったのだろう。海の中だったら絶対にあり得ない出会いだった。人を壊せる鯱の僕は声の出ないベルーガに出会ってしまった。

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