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第一話3/4 思わぬ上客

 「よぉ人形。こんな朝早くから雑務とは、精が出るじゃねぇの。感心感心、ちゃんと人形としての責務を全うしてるようで安心したぜ」


 物置小屋で水桶に突っ込んだシーツを洗っていると、聞き覚えのある下品な声が耳に届いた。

 その瞬間に私は水面を頼りにして、歪みそうになる自分の表情を何とか取り繕う。


「ワリぃんだけどコレも洗っといてくれや。どうせ一枚や二枚増えたって構わねぇだろ?」


 しかし水桶に使い古された下着が投げ込まれた瞬間、私は水しぶきの音に紛れて舌打ちを放った。


 途端に鼻を襲う煙草の悪臭、焦げ付いたような火薬の残り香。見ずともわかる、背後に誰が立っているのかなど。


「昨日は随分楽しんだらしいじゃねぇの。噂してたぜ? 人形同士が慰め合ってるってな。ククク、全く馬鹿らしいぜ。お前らが人間ごっこなんざ、哀れすぎて涙が出てくら」


 私は決して背後に目を向けず、ただ無心でシーツを泡立たせる。薄汚い下着は水桶から放り出して後へと回し、とっととこの雑務を終わらせるために手を動かし続けた。


「へぇ、人形がいっちょ前に無視かい。そうまでして人間様になりたいなんざ、もはや滑稽だぜ。人形は人形らしく人間様に使われてりゃいいのによッ」


 次の瞬間、私は背後の男に腕を捕まれ、無理やり壁に叩きつけられた。その痛みで思わず目を閉じ、そしてつい反射的に目を開いた瞬間、私はそれを後悔する。


「釣れない目ェすんなよ。このレイニー様がわざわざ会いに来てやってんだから。なぁ?」


 レイニー。私が最も毛嫌いする男。雑に着回したスーツに、逆立つような短い金髪。全然似合っていない顎髭も、何もかもが気に入らない。ましてやこんな両腕を壁に抑えつけられてる状態で、良い印象に映るわけがない。


「そういう所が好きなんだよ。人形のくせして生意気に睨みつけやがって。お陰でいつも思うぜ、その顔が涙で歪むくらい、滅茶苦茶にしてやりてえってな」

「私に触るな、下衆」

「いいね、興奮するぜ。何ならここで買ってやってもいいんだぞ? 文句も言えなくならぁ」


 レイニーの生暖かい手先が、スカート越しに太ももを撫で回す。その度に立つはずのない鳥肌が全身を駆け巡り、私は感覚リミッターで全身の感覚を閉ざす。


「別にいいぜ、どっちでも。お前が感じようと感じまいと、お前が名器だってことは変わらねぇ。はは、それはそれでアリだしな」

「離せ。仕事が残っている」

「んなの他のヤツに任せればいいだろ。それより楽しもうぜ、久しぶりに帰ってきたんだ。懐かしいお前の体を味あわせてくれよ」


 次の瞬間、レイニーは私のスカートの中に手を伸ばした。そして私の体に直に触れようとした、その刹那。


『パァンッッッ!!』


 我慢出来なくなった私の平手打ちが、レイニーの頬を貫いた。怒りに身を委ねたその一撃は、奴をよろめかせ、背後にあった掃除用具やらの中へと突っ込ませる。


 ――穢させない。アイロムとの記憶を。少なくともこんな下衆には。例え数時間には誰かに抱かれているとしても、その数時間の間だけは、この体の奥に潜むアイロムの余韻を消させはしない。


「へへ。いいね、効いたよ。そのくらい生意気で居てくれないと、こっちも興奮しねぇ。……そそるね」

「失せろ。営業時間も守れん客に媚びを売るつもりはない」

「そうかい。ま、いいさ。どうせ金さえ出せばどうとでもなる。何なら今日の夜にだって、お前は俺のモノを咥えてんのさ」


 私はありったけの軽蔑を籠め、レイニーを見下す。


「ククク、冗談だって。まあ聴けよ、何も今日はお前をからかうために来たわけじゃねぇ。お前さんに会いたいって客が居てな」

「私に会いたいだと?」

「ああ。度肝抜かれるぜ? まさかこの俺様だって、あんなお偉いさんから声がかかるたぁ想像もして無かったぜ」


 レイニーは埃を払いながら立ち上がり、胸の内ポケットから煙草を一本取り出す。指を弾き、魔法で指先に炎を作り出すと、煙草に火を灯して大きく吸った。


「まあ詳しい話はアイツらから聞いてみな。食堂の方で持たせてあるからよ。――くれぐれも機嫌を損ねんなよ? アイツらは俺ほど度量が広くねぇからな。ククク」


 何を考えているのかわからない。確信できるのは、間違いなく面倒事を持ち込んできたということ。私を使って一儲けを画策したのか、それとも面白半分で誰か連れてきたか。どうやら今日も私は、コイツのために頭を悩ませなければならないらしい。


 が、しかし。なんにせよ、この場を離れられるのなら何でも良かった。両手を洗った私は物置を後にし、食堂でバーテンダーをしていた知人を頼ることに。


「マリュオス」

「ん、ああカシュラ。お疲れ様」

「私に客が来ていると、レイニーが」

「みたいだね。ほらあそこ、五番テーブルの。だけど気を付けなよ、奴らは政府の使者だ」

「政府? ……レイニー、一体どういうつもりだ」


 ――国営娼館“白の園”は、普段の風俗業に加えて飲食業も行っていた。先程の物置からすぐ真隣に別館があり、そこで一般客向けの飲食店を経営しているのだ。


 だが当然ながらそれは単なる小銭稼ぎではなく、客を娼館へ誘うことが目的。我々はここで接客をする傍ら、客を誘惑する。我慢出来なくなった客は、そのままキャストを買い一晩を明かすという寸法。


 単純ながら効果はあった。私も幾度となく買われ、もはや最近ではその回数を記憶することも止めた。だから言い切る権利はあるだろう、『ここに政府の奴らが来たことは一度も無い』と。


「お待たせして申し訳ございません」


 私は政府の使者――三名に向かって会釈をする。この場には不釣り合いな高級服に身を包んだ、小太りの男三人衆。


 三人衆はため息混じりに葉巻を吸うと、その煙を私の頭に向けて吐き出す。苛立っているのか、彼らの脚が貧乏ゆすりをしているのが見える。


「全く、セヴルム殿も面倒なことを言い出したものだ。何もわざわざここを選ばずとも、もっとマシな代用品は幾らでも居るというのに」

「《物好き皇子》という噂は聴いていたが、まさかここまでとは。お陰で馬車まで手配せねばならなくなった。下賤の品を御所望とはいえ、隣国の皇子に差し出すものを雑に扱ったとあれば、我が国の品位が疑われかねん」

「まあこれが最初で最後であろう。その分、交渉は我が国優位に進めるとして。とりあえず手始めに、とっとと面倒を終わらせてしまおう」


 直後、テーブルをノックした音が二回響く。これは“顔を上げろ”の合図で、私はその通りに従った。


「あー。コホン。喜ぶがいい。我が国を訪れているセントヴルム皇子、セファール・セヴルム氏が、お前を御所望だ」

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