第一話2/4 最初で、最後の、チャンス
「見てみろ、今日は雪だ。この辺りで雪が積もるのなんて、何年ぶりだろうか」
窓の向こうに広がる銀雪を見た私は、まだベッドで目を擦っているアイロムに声をかけた。
アイロムは暫くぼーっとした顔を続け、ふと思い出したようにシャツを手に取ると、それを裸の私に羽織らせてから私の隣に立つ。
「本当だ。今日は寒いんだね。シチューを多めに作らないと」
「どうでもいいさそんなこと。それよりほら、猫の足跡がある。一足先に新雪を楽しんでいるらしい」
雪に残された小さな足跡を辿ると、粉雪を相手に遊ぶ猫が見えた。猫じゃらしのように雪を追いかけ、肉球についた雪をぺろぺろと舐め取ると。空を見上げ、舞い落ちる雪に目を輝かせる。
「アイロムに似ているな」
「ええっ?」
「あの瞳、そっくりだ。私に見惚れる時の君に」
私がそう言うと、アイロムは口を開けて顔を赤らめた。言い当てられたのが悔しかったのか、彼は口を尖らせながらそっぽを向く……ものの。その実、彼は私の両腰に手を添えながら、私を側に抱き寄せていた。
「もう少しだけ、いい?」
「好きにしてくれ。まだ時間はある」
アイロムは私を抱擁すると、私の後ろ首にキスをした。二度、三度と唇を離しては、何度も同じようにキスを繰り返し、徐々に私を抱く力を激しくする。
「今日、買いたかった」
息をつまらせながら発したその言葉の意味を、理解出来ないほど知らない仲では無かった。しかしだからと言って何か気の利いた言葉を返せるわけではなかった。
それでもせいぜい何か出来たとしたら、アイロムの手に触れることだけ。私は彼の手の甲を撫でながら、必死に言葉を紡ごうと苦心する。
「仕方ない。今日は私の製造日だ、普段より高くつく」
「そんな無機質な言い方。誕生日って言って」
「本当だろう?」
「……」
「わかった。すまなかったよ。君の時にはそう言うさ」
私とアイロムは同時期に造られた。新しく改良された人造魔導人形、セクシャルドール型。
魔導人形にはそれぞれ役目があり、性的奉仕を主にしているのが我々だった。私とアイロムはこの、国営娼館《白の園》に所有され、名も知らぬ客人相手に奉仕を義務付けられている。
我々を買うのは、法に触れる指向を持つ輩ばかり。当然だ、実際の“少年”との性行為は違法とされている。――その点、我々には人権がない。少年だろうが、あるいは男児だとしても、違法ではない。
私とアイロムの容姿は、十二歳程度の少年に相当する(らしい)。もちろん客を飽きさせないため、髪型、顔立ち、体といった部分は異なるものの、本質的な部分で私とアイロムは同じだ。
「君のお陰で雪を見ることが出来た。君が私を買ってくれなかったら、こんなにゆっくり眺める事は出来なかっただろう。いつもならとっくに働いている時間だからな」
そして今日は、私の誕生日。アイロムは昨日、夜から今日の朝にかけて私を買った。白の園ではキャストが誕生日の場合、一時間辺りの基本料金が跳ね上がる。それゆえアイロムは一年かけて貯めた僅かな給料を、全て私に注ぎ込み、この朝のひと時を作ってくれている。
「本当なら今日一日を買いたかった。だけど、その」
「わかっている。言葉にしなくていい。言葉にせずとも、君の気持ちは伝わっているさ。だからこうして君の側に居るんだ」
アイロムも同じ気持ちだったのだろうか。彼は私のうなじに頬を当て、ゆっくりと頷く。そして何を言うでもなく、何をするでもなく。ただ私達は時間の流れに身を任せ、互いの体温を感じ続けていた。
「……そろそろ時間だな」
壁時計の針が、もうすぐ午前八時に差し掛かる。この僅かなひと時も終焉を迎えてしまう。ゆえに私はシャツを手に取り、着替えようとした。
「待ってカシュラっ。その、もう少しだけ待って」
「アイロム。しかし」
「お願い。ちょっとだけでいいから。君に贈りたい物があるんだ」
「贈りたい物?」
アイロムは私から離れると、窓際に立ち外を見つめた。一体何をしているのかと思った、次の瞬間。……アイロムは窓の外に向かって、手を伸ばした。
「――ッ……! 止めろ!!」
刹那。アイロムの腕が青白い閃光に包まれ、彼の腕は光の中へと消えた。その直後に私は彼を抱きしめ、腕を部屋の中へ戻そうと必死に彼を引っ張った。
「やめろ!! 何をしている、私を一人にするつもりかッ!? そんなことをして……!!」
「大丈夫。落ち着いて。あとちょっと、ちょっとだから」
「ふざけるなッ!! 大丈夫なものか、見ろッ! 君の腕が……!!」
――アイロムの腕は、《結晶》になっていた。閃光が落ち着き、腕が見えるようになった頃には、既に彼の手首から先が結晶化してしまっていた。まるで、それが最初からそうであったかのように。
我々には一種の《呪い》がかけられてある。我々をこの娼館に縛るために施された、決して解けない永遠の呪い。
そしてその呪いが、今まさにアイロムの腕に現れている現象。――《人体の結晶化》。娼館から外に出た時点で、体がクリスタルのような結晶に変化してしまうのだ。
「頼むッ、私を一人にしないでくれッ!! 君が居なくなったら私はッ、私はッ……!!」
それなのにアイロムは更に先へと腕を伸ばし、やがて粉雪が積もり出す。その時点で彼は二の腕までもが結晶へと変化し、私は彼を引き留めようと必死に体を引っ張った。
今ならまだ間に合う。呪いが発動するのは、娼館から出ている箇所だけだ。だから腕しか出していない今なら、腕までしか結晶化しない。しかしこれ以上外に出たら、本当にッ……。
「取れたっ……!」
次の瞬間、アイロムは何故か嬉しそうな声をあげた。そして『取れた』という言葉に疑問を抱いた私は、彼の体を抱きしめたまま、彼の腕先に視線を向ける。
「……え?」
「取れた、取れたよカシュラっ! ほら、これ!」
――雪だった。手のひらいっぱいに乗せられた、雪。
「思ってたより軽いや。零さないようにしないと」
アイロムはゆっくりと腕を引き戻し、何とか部屋の中へと戻る。そして結晶化していた腕は、ゆっくりと呪いが解けていき、やがて元通りの腕へと。
その一連の様子に私は酷く安堵する一方で、アイロムのした行動に脳を焼いていた。
理由もわからず取り乱す私の前に、アイロムはそっと、雪を乗せた手を向ける。
「誕生日おめでとう、カシュラ。その。これ。僕から」
ふわりと柔い、雪の山。雪には僅かな重みしかなく、油断すれば持っている事にすら気づかない。
じわりと手先で溶けていく感覚が、えらく新鮮だった。手のひら付近の雪は、やがて溶けて水滴となり、そのうちぽたぽたと私達の足元へ零れる。
だが何よりも鋭敏に感じていたのは、もっと別のもの。
私はアイロムの胸に体を沈め、ただ彼の鼓動に耳を澄ませていた。
「無茶を、するな。私なんぞのために」
上手く言い出せない。本当に言いたいその言葉を。
だが唇を噛みしめる私を、アイロムは強く抱いた。
彼の手が、胸が、呼吸が、香りが。何もかも愛おしい。失う事を恐れてしまう程に。
――きっと人間なら、こんな言葉も容易く言ってしまうのだろう。喉の奥がつまり、上手く声が出せないような感覚なんぞ、人間にとってすれば何てことのない現象に違いない。
だが、今は許せる気がした。私が、私達が人間じゃないからこそ。私とアイロムは、出会えたのだから。
「……ありが、とう。……アイロム」