恋の形19
その日のバイトも終わり、雑談しながら駅まで一緒に歩いていく。
別れ際に小さく手を振りながら、篠原さんは俺に告げた。
「じゃあ今度の日曜日、楽しみにしているね」
「うん、俺も楽しみにしているよ」
こうしていよいよ篠原さんとの初めてのデートに挑むことになった。
心なしかウキウキしている自分をなだめつつ、冷静に立ち振る舞う事を自分に言い聞かせる。
デート当日、バイトでいつも利用している駅を待ち合わせの場所としていた。
週末ということもあってかサラリーマン風の人は少なく普段よりも人が少ない印象
俺は約束の時間より十五分ほど早く到着したのだが、篠原さんはもうすでに来ていた。
「あっ、おはよう松岡くん。今日はよろしくね」
俺の姿を見つけると嬉しそうに微笑みながら小さく手を振る彼女。
「まだ待ち合わせ時間の十五分前なのに随分と早いね、俺の方が先に着いたか?と思っていたけれど」
「うん、今日が楽しみで早く起きちゃって。つい早く来ちゃった」
ペロリと舌を出しながら首をすくめる篠原さん。その姿にいきなりハートを撃ち抜かれた気分になる。
「じゃあ行こうか、最初はどこの店だっけ?」
俺はドギマギする気持ちを隠しつつ平静を装って問いかける。
「最初は今日の一番もお目当ての店【GASTRONOMIA】よ
一番お腹が空いている時に一番美味しいものを食べるのが一番だと思うから」
「えっ?もしかして篠原さん、朝ごはん食べてきていないの?」
「うん、今朝は朝ご飯抜きよ。だからもしも私のお腹が鳴っちゃっても聞こえないふりをしてくれると嬉しいな」
俯きながら少し恥ずかしそうに話す篠原さんは本当に可愛い。
この子は香奈ちゃんとも早紀とも全然違うが、その言動に一々心が揺さぶられる。
小悪魔的というか、あざと可愛いというか、男心をくすぐる魔性の魅力のようなものを持っているように思えた。
「そういえばその服かわいいね」
ドギマギした気持ちを沈めるべく、話題を変えるように切り出す。
みのりからのアドバイス〈女の子はとにかく褒めろ〉のごいいつけ通りまずは服装を褒めてみた。
初めて見る篠原さんの私服姿はどこか新鮮でいつものバイト姿や学校の制服とは別人に見えた。
彼女の今日のファッションは緑色の小花柄のワンピース
篠原さんの小柄な体と可愛らしさを強調したような服装に思わずほっこりしてしまう。
「ありがとう、この服この前店で見た服なのだけれど、一発で気にいっちゃって
少し高かったけれど奮発しちゃった。でも松岡くんに褒めてもらえたから頑張った甲斐があったかな」
ニコニコと微笑みながら両手で頑張ったポーズをとる彼女の姿に再び心臓を撃ち抜かれる。
デート開始早々いいパンチを食いっぱなしの俺、脳みそが揺れ心にダメージが蓄積されていく。
このままだと多分最終ラウンドまで持たないだろう。
そんなことを考えながら目的の店【GASTRONOMIA】に到着する。
昼は予約を受け付けていない店なので開店前だというのに店の前にはすでに行列ができていた。
「うわ〜、もう結構並んでいるね」
「まあ、行列に並ぶのもデートのうちだし、いいんじゃないかな?
その分篠原さんのお腹が鳴る可能性も高くなるけれど、その時は顔を逸らして聞こえなかったふりをするから安心して」
「そんな露骨な態度取られたら、お腹が鳴ったのがバレバレじゃない。何とか努力はしてみるけれど……」
「お腹の虫って努力で何とかなるものなの?逆に周りの人にまで聞こえるくらいの音が鳴っちゃったりするかもよ」
「もう、松岡くんの意地悪‼︎」
頬を膨らまし、小さな拳で俺の胸を軽く叩く篠原さん。
長年格闘技をやっているがこんな幸せなパンチを受けたのは生まれて初めてである。
そして店が開店し、待つこと約三十分。中に入り店内を見渡すと
モダンでシックな雰囲気の中に味わい深い家具や照明、そしてインテリアや絵画が一層おしゃれさを感じさせる。
とはいえそういったセンスと知識は全く持ち合わせてはいないので単に俺がそう感じたというだけの話なのだが。
水を持って来てくれたウェイター(イタリア料理の場合カメリエーレというらしい)がメニュー表を手渡してくれ
それを広げてそれっぽく眺めてみる。あらかじめ注文するものは決まっているのだが
そこは格好をつけたいお年頃ということでご納得いただきたい。
「じゃあ私はビーゴリ・イン・サルサで、松岡くんはラグーソースのタリアレッテでいいんだよね?」
「えっ?あ、うん。それで……」
注文の確認をし、そそくさと戻っていくウェイター(イタリア料理の場合カメリエーレというらしい)
心なしかファミレスのウェイターより格好良く見えるのは俺が生粋の庶民だからだろうか?
「それにしても篠原さんの頼んだビーゴリ・イン……何だっけ?」
「ビーゴリ・イン・サルサよ。アンチョビと玉ねぎのパスタという意味だよ」
「へえ〜名前からはもっと複雑なものかと思ったけれど、意外とシンプルな料理なのだね?」
「うん、でもびっくりするぐらい美味しいのよ。初めて食べた時は
玉ねぎとアンチョビだけでこんなに美味しくなるんだなって驚いたぐらい。
自分でも一度作って見たのだけれど、イマイチで……今回はその点も踏まえて味を盗みに来たって感じかな?」
「じゃあ今日の篠原さんは、味泥棒ってところだね?」
すると彼女は右手の人差し指をゆっくりと左右に動かす。
「チッチッチ、そんな下賎な呼び方はやめてくれないかな、探偵くん、せめて怪盗テイストと呼んでくれたまえ」
その後俺たちは顔を見合わせて笑った。目の前で悪戯っぽく笑う篠原さんはすごく楽しそうだ。
そんな彼女を見ているだけでこっちまで幸せな気分になってくる。
そんな他愛のない会話をしているとお目当ての料理が運ばれてきた。
「
お待たせしました、ご注文のビーゴリ・イン・サルサとラグーソースのタリアレッテでございます」
物腰の柔らかい仕草でウェイター(イタリア料理では……以下略)さんが手慣れた手つきでテーブルに料理を置いてくれる。
ほのかに香る料理のいい匂いが食欲をそそる。
「いただきます」
運ばれてきた料理を待ちきれないとばかりに口に運ぶと、何ともいえない旨味と香りが口いっぱいに広がってくる。
「うわ〜、凄く美味い。ただ思っていた味と少し違うな、もっとミートソースみたいな感じを想像していたのだけれど
トマトっていうよりどちらかというと肉っぽい」
すると篠原さんは待っていましたとばかりに目を輝かせた。
「うん、そうなのよ。日本で言うミートソースと呼ばれるものはボロネーゼにあたるのだけれど
ボロネーゼはボローニャ地方の料理でトマトよりも肉の旨味を強く出しているのが特徴的かな
ラグーソースというのは……」
食べる手を止め、目を輝かせながら料理の蘊蓄を語る篠原さん。本当に料理が好きなのだなと感じさせる。
「それでね……」
興奮気味に話を続けていたのだがその時、話を遮るように彼女のお腹が豪快に音を立てた。
その瞬間会話が途切れ、俺たちの間に沈黙が訪れる。当初の予定通り
聞かなかったふりをしようとも思ったがもう時すでに遅く、完全に機を逸した感じであった。
饒舌にしゃべっていた彼女は突然会話を止め、顔を真っ赤にして俯いている。
ここで俺が何かを言わなければ行けないのだろうが、上手いフォローが見つからない
だがこのまま沈黙を続けても気まずいだけだ、仕方がないので俺は見切り発進のまま口火を切った。
「お腹、鳴っちゃったね」
すると彼女は上目遣いでこちらを睨みつけるようにジロリと見つめてくる。
「嘘つき、聞こえなかったふりをしてくれるって約束じゃない」
「いや、でも今のはさすがに……ごめん」
ここは素直に謝る一手だったが、篠原さんはプイッとそっぽを向いたままこちらを見ようともしなかった。
「それよりも早く食べようよ、折角の料理が冷めたら勿体無いよ」
「食べる気が無くなった」
「そんな無茶な、もう許してよ」
「許さない」
「そんなこと言わずに、機嫌直してよ」
「直らない」
わざとらしく頬を膨らませ怒ったふりをしているが、その態度を見れば怒っていないことは一目瞭然で
お腹が鳴ってしまったのが恥ずかしくてどうしていいのか戸惑っている感じだ。
俺はヤレヤレという態度でやさしく問いかけた。
「じゃあどうすればお許しいただけますか、姫君?」
彼女は少し考えた後、顔を逸らしながら恥ずかしそうに答えた。
「じゃあ、そっちのパスタ一口ちょうだい」
先方からの講和への要求は何とも可愛らしい和平条件であった。
「じゃあ、どうぞ」
俺は目の前の皿をそっと差し出すと、そこから本当に少しだけパスタを取り、その小さな口へと運んだ。
「おいし〜い」
左手を頬に添え満面の笑みで幸せそうに微笑む篠原さん。一触即発の空気は一転し平和な時が訪れる。
そんな彼女の姿を見て思わずこちらもほっこりとしてしまう。
「あっ、今(こいつチョロい女だな)と思ったでしょ?」
「えっ⁉︎いや、その……」
あまりに唐突だったので答えに困っていると彼女はギリギリ聞こえるぐらいの小さな声でつぶやいた。
「そこは否定して欲しかったな」
「ごめん、でも本当にチョロい女とか思ってないよ、可愛いな〜と思っただけだよ」
「本当に?」
「本当だよ、神に誓って嘘偽りはありません。ウチは仏教徒だけれど」
「ならばよろしい、被告人は無罪」
そう言い放った後、彼女はクスリと笑う。そして自分の皿を俺の前に差し出した。
「私のも一口食べていいよ」
「えっ?いいよ、そんなことしなくても」
「私だけ一口もらうのはフェアじゃないよ、それにさ……」
篠原さんは自分の皿のパスタをクルクルと巻きつけ、それを俺の前に差し出すと、優しい口調で告げる
「美味しい物を共有するのって、何かステキじゃない」
その時の彼女の笑顔は一生忘れられない。もう止まらない、止められない
己の意志とは関係なしにどんどん彼女に惹かれていく自分がわかる。
人間の気持ちとはこれほどまでに自由にならないものなのか?などと意味不明で哲学的な言葉が頭に浮かんだ。
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