さわって…みる?みたいな広告についての考察
ゲームが行き詰まって、攻略方法を知りたい。
「小説家になろう」で楽しい冒険小説を読みたい。
街で見たあの新しいお店に行った人のブログを見たい。
一点の曇りもない純粋な心でインターネットブラウザを開け、検索上位に挙がってきたサイトの一つをクリックする……。
途端に画面いっぱいに広がる卑猥な広告に、慌てたことがある人も多いでしょう。
卑猥な広告たちはこちらの事情など全く勘案せず、昼夜関係なく襲ってきます。
ある時は満員電車の中で。ある時は帰省中の食卓で。
特に後者の場合は、
「さっき話してたアレについて一緒に調べてみよう」
といった親子蜜月のタイミングを狙ってきます。
少し背中が丸くなった母が覗き込む自分のスマホに、全画面で表示される上気した顔の女の子。
「広告だらけで見づらいね」
そんなことをそれとなくつぶやき、できるだけさりげなく前ページに戻る自分には、社会で身につけた対応力を感じざるを得ません。
そう、遥か昔、うっかり「タイタニック」を親と観てしまった時の固まるしかなかった自分はもういないのです。
俺TUEEEEとまではいきませんが、中級レベルの魔獣くらいならやっつけられるでしょう。
さて、そんな卑猥な広告はなるべくたくさんの人にクリックさせるため、趣向の限りを尽くしています。
他の方は分かりませんが、私のもとに繰り出される確率が高いのが、可愛らしいアニメ画の女の子のもの。
さまざまな性癖の方に対応するためでしょう、清楚系にギャル、学生風に小ぎれいな人妻、と実に多様な人材(画材)が採用されています。ダイバーシティの時代を感じますね。
ただし基本的には悩ましげな表情、もしくは恥じらっている表情が多いという点では割と横並びであり、海外のような「オォウ、イエス!カモン!」みたいなイケイケドンドンタイプはとんとお見かけしません。
さすが、うなじに色気を感じる文化を持つ国。ダイバーシティの時代ではあっても、奥ゆかしさは日本人の共通言語なのです。
感度の高い方はもっと前からお気づきになっていたのかもしれませんが、少し前に衝撃的な広告(卑猥)を目にして以来、私はその虜になっています。
神出鬼没なそれは、ページ内ではなくその上に浮く形で出現することが多く、左上ないし右上についた小さな×をクリックすると消え去ります。
「さわって……みる?」
「アタシのこと、好きにして……いいんだよ?」
目立つ色のポップな字体で書かれた煽り文句に彩られた女の子(二次元)は例によって上気した顔を浮かべています。そこまでは特に変わったことはありません。なんなら、十五年ほど前でもあったでしょう。
しかし、ここからが違います。
なんと、この広告は!
乳を!乳をッ!!
その顔面より巨大な乳を、画面上で揉むことができるのですッッッ!!!
見たことがない人には何を言っているのか良く分からないと思いますが、スマホなら指、PCならカーソルを乳の上にのせて動かすと、スイカサイズの乳が自由自在に動かせるのです。
いや、スイカサイズというだけでは足りない。危険な農薬で無理矢理成長させられた禁輸スイカといった方が正しいでしょう。
女の子の紅く染まった顔の下に配置された禁輸スイカは、ばいんばいん、もしくはぽよんぽよんという風に動きます。そう、あなたが望むスピード感と躍動感をもって。
これはシンプルに、非常に面白い。
もしかすると男性向け18禁ゲームではありふれた趣向なのかもしれません。
けれど、これは無料です。
一銭も使わず、こんなに面白いものを享受していいのか!
このインタラクティブさ、新しさ、楽しさはなんなんだ!
新星の如く登場したこの新タイプの卑猥な広告に、私は心を躍らせました。
いや、これはもはや卑猥でもなんでもない。
日本のアニメや漫画文化、島国で独特に発達したエロスのセンス、そして最新のテクノロジーがすべて詰まった秀作…つまり、もうアートの域に入っているのです。
私が何を言いたかったかというと、基本的に卑猥な広告は迷惑なものです。
「エロ広告って、エロ系を検索したりサイトを見たりしているから出るんだよね」
そんな数年前の常識で止まっている人も多い中、たとえば会議中にスクリーンに投影しながらネット検索をし、人妻が悩ましい顔をした広告が出てしまうと、その場にいた人たちに
「うわあこいつ……」
と思われてしまいます。社会的な尊厳が奪われるでしょう。
しかしそんな憎むべき卑猥な広告の中にも、ひと笑いくれたり文化のエスプリに触れさせてくれたりするものは存在しているのです。
そう、もはやそれは砂漠に咲く一輪の花。
卑猥だからといって門前払いせず、その本質を見てあげれば魅力に気付けることもあるかもしれない。
さあ、ポジティブに生きよう。