落下
「うーん、ここまでやってくると他のパーティーがいなくて快適だわ!」
「魔物との戦闘もやりやすいし、ちょっとしたお宝も見つけたしな!」
四階層までやってくると、先入りしていた冒険者たちの姿は見えなくなり、俺たちの探索にも成果が出始めていた。
出現する魔物もゴブリンやシルバーウルフといったランクもレベルも低いものばかりで、バイエルたちで十分に対処できるものである。
お陰で階層の隅々まで安定して探索することができ、宝箱から
ちょっとしたお金も回収することができた。
この時点でこの探索が赤字になることはないだろう。
「おい、ルード。こっちのシルバーウルフからも素材を回収してくれよ」
魔物との戦闘が終わり、ポーターとしての雑務である素材の採取をしていると、リックに呼び止められる。
「ああ、そっちは損耗が激しくて売り物にならない。内部にある魔石も多分砕けているだろう」
魔石とは魔物の力の源となる魔素の力を蓄えた石のことだ。
魔物の体内には必ず魔石が入っており、冒険者たちはその魔石を手に入れて売り払うことで生計を立てている。
つまり、冒険者にとっての大きな収入源の一つとなる。
しかし、サーシャとリックが素材のことを考慮しない戦い方をしてしまったせいで、二体のシルバーウルフの遺骸はズタズタになっている。
皮、爪、牙はもちろんのこと、内部にある魔石も解体する
までもなくダメだろう。
「はぁ? それをするのがお前の仕事だろ? サボんなよ! シルバーウルフの魔石だぞ? もし、残ってたらどうするんだ?」
そうは言うが、身体がズタズタになっているので内部にある魔石を見つけるにも時間がかかる。
確率の低いものにそこまで執着するよりも、割り切って次の魔物を探しに行く方がよっぽどいい。
しかし、ここはバイエルのパーティーであり、俺はそこにポーターとして加入させてもらっている状態だ。こんなことで揉めるのは得策ではない。
俺は仕方なくナイフを使って、損傷の激しいシルバーウルフにナイフを突き立て、肉をかき分けるようにして魔石を探す。
「やっぱり、砕けている」
「あっそ。ご苦労さん」
魔石がないとわかるとリックは興味が失せたように言い、女魔法使いは血に塗れた俺の手を見て、汚らわしいものでも見るような視線を向けていた。
こういう時は他のことを考えて気を紛らわせるに限る。
……はぁ、せめて、魔物の肉が食べられれば食費も浮くのになぁ。
手に付いた血の汚れを布で拭いながらそんなことを考えていると、不意に凍り付くような気配を感じた。
「え……?」
凄まじい魔素の波動を感じて振り返ると、そこには異形の牛が佇んでいた。
頭上にそびえたねじれた角、膨れた筋骨を覆う茶黒の体毛、丸太のように太い腕の先には俺たちの身長ほどのある戦斧が握られている。
――ミノタウロス。
冒険者ギルドが定める討伐ランクでBに指定されている魔物だ。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
俺たちが呆然とする中、ミノタウロスが咆哮を上げた。
鼓膜が破れるのではないかと思う音の波動。
相対しただけで全身が理解する。己の敵う相手ではないと。
「なんでこんなところにミノタウロスがいるんだ!? 嘘だろ!?」
リックが野太い悲鳴のような声を上げた。
「そんなバカな……ッ! 四階層でミノタウロスだと!? あり得ない!」
「ど、どうすんの!? 見るからにヤバいし、私たちじゃ勝てないって!」
これにはバイエルやサーシャも顔を真っ青にして声を震わせている。
階層を下りることによって格上の魔物と遭遇することも考えてはいた。だが、俺たちの適性ランクを二つも飛び越える魔物と遭遇するなんて思いもしなかった。
なんだよ、ランクBって。こんな低階層にいていい魔物じゃないだろ。
「い、いいことを思いついた! ルード君、ちょっとこっちに来てくれ! バックパックにあるアイテムが欲しい!」
何か逃げるための策があるのかと思ってバイエルに近づき、アイテムを取り出しやすいように背中を向けた。
すると、するりとバックパックが抜き取られ、背中が熱くなった。
「ぐあっ!?」
斬り付けられたと気付いたのは俺が前のめりに倒れてからだった。
「お、おい! お前ら……まさかッ!」
「戦士の鼓舞!」
「ヘイスト!」
呆然としている間にリックが魔物の注意を引き付けるスキルを使用した盾を俺の傍にぶん投げ、サーシャは自身たちの移動速度を上げる付与魔法を俺以外に付与してくるりと背を向けていく。
明らかに仲間を見捨てる動きに慣れている。愕然とした。
「お前たち! 最初から俺を見捨てるつもりだったんだな!?」
「ハハハハハ! そうじゃなきゃ誰がランクEの冒険者をポーターとして同行させるんだ! 僕は悪くない! あんな化け物が表れたら誰だってこうするだろう?」
「精々、俺たちが逃げるために餌として時間を稼いでくれよ!」
「そういうことだから! 頑張ってねー!」
クソ、やられた。だからギルドで俺に声をかけてきたのか。
評判の悪い俺にわざわざ声をかけてくるなんて怪しいと思っていたんだ。
「クソがあああああああああああああ……ッ!」
迷宮の通路内に俺の怒りの声が木霊す。
仲間に見捨てられた俺を見て、ミノタウロスは嘲笑していた。
弱者たちの醜い争いを見て笑っているのだろう。
俺は背中の痛みに顔を顰めながらすぐに立ち上がる。
バイエルたちが殺してやりたいくらいに憎いが、今はそれどころじゃない。
目の前にはミノタウロスという化け物がいるんだ。今は生きるためにあがくしかない。
フラフラとしながらも立ち上がって剣を構えた。
「…………ッ!!」
相手が足に力を入れたと認識した次の瞬間。俺の目の前にはミノタウロスの巨体が迫っていた。
振りかざされた戦斧の一撃だけはと身をよじって避ける。
床に叩きつけられた戦斧が激しく岩を撒き散らし、その衝撃が俺の身体をいとも簡単に吹き飛ばす。
吹き飛ばされたと認識した頃には、ミノタウロスは戦斧を捨ててタックルの姿勢になっていた。
俺の身体は宙に浮かんでおり動くことはできない。仮に動けたとしても後ろには壁があって回避するスペースもない。
詰んだ。
やけにゆっくりとした思考の中での結論を下すと、俺の身体に激しい衝撃が走った。
全身がバラバラになるんじゃないかという途轍もない衝撃。ゆっくりとした思考の中で体内にある骨がいくつも破砕される嫌な音が響く。
ミノタウロスの突進は俺の身体をいとも簡単に吹き飛ばし、その勢いは止まることなく迷宮の壁すらも突き破った。
薄れゆく意識の中で最後に見た景色は奈落。
ひたすらに真っ黒な穴へと俺とミノタウロスが真っ逆さまに落ちていく光景だった。
●
「げはっ、ごほっ! ……ぐっ!」
喉に詰まったものを吐き出すという自然的動作で俺は意識を取り戻した。
激しく咳き込んだ末に喉につっかえていた血が吐き出されるが、その動作だけで激しい痛みが全身を駆け巡った。
呼吸をする度に身体が悲鳴を上げている。
視線を向けると、自信の身体は血みどろになっており、左腕はあらぬ方向に曲がっていた。
見なきゃよかったと咄嗟に思ってしまう。
全身が鉛になったかのように重く、指一本動かすのですら億劫だ。
ぼんやりとした意識の中で思考する。
おかしい。どうして俺は生きているんだ?
四階層で俺はミノタウロスの突進を食らい、そのまま迷宮の壁をぶち抜いた先にある奈落へ落ちた。
前者の攻撃については奇跡的に助かったとしても、あれほどの高さから落下して無事なはずがない。
すぐに意識を手放してしまったが、それほどまでに高度を落ちていた認識がある。
だからこそ満身創痍とはいえ、今生きているのが不思議でしかなかった。
身じろぎするとふさりとした体毛のような感触と、ほのかな温かさのあるものへと意識が向いた。
視線を向けると、俺の下敷きになるような形でミノタウロスが倒れている。
「ひっ!」
その存在を認識して先ほどの恐怖が再来するが、ミノタウロスの瞳からは生物しての輝きを失っており徐々に冷たくなっている。
地面に叩きつけられた衝撃で死んでいるようだ。そのことを理解して安堵する。
どうやらミノタウロスが下敷きになったお陰で俺への衝撃は最小限となり、なんとか生きているようだ。
とはいえ、このままでは俺の命の灯は尽きることだろう。意識こそあるものの血を流したせいか身体が酷く重いし、痛みで動かすのも億劫だ。
食料や医療道具の入っているバックパックもバイエルに奪われた。
数日間の籠城の可能性すらない。仮に籠城できたとしても、このような奈落にまでやってくる冒険者がいるとは思えない。救援の可能性もないだろう。
詰みという思考がよぎるが、俺は敢えて考えないようにした。
こんなところで死んでたまるか。俺はまだ何も為していない。
憧れのSランク冒険者にだってなれていないし、もっと美味しいものを食べたいという欲求も満たせていない。
こんな終わり方があってたまるものか。
だが、そんな風に思うものの身体は動かすことはできない。
俺はミノタウロスの上で仰向けになったまま時間を過ごす。
迷宮の中では太陽の光が差し込むことがないので時間の経過が曖昧だ。
四階層からここに落ちて、目を覚ますまでにどれほどの時間が経ったのか。数分なのか、数時間なのか、数日なのか……わからない。
わからないがお腹が空いたことだけは確かだ。
動かすことのできる右腕で腰の辺りを探ってみるが、携帯食料の入った革袋はなかった。
周囲にそれらしいものが転がっている様子もない。
恐らく、四階層で突進を受けた時に吹き飛んでしまったのだろう。携帯食料すらないのであれば、俺が口にできる食べ物はない。
他に口にできそうなものといえば……俺の身体の真下にあるミノタウロスくらいのものか。
ダメだ。魔物は食べることができない。
なぜなら魔物は魔素を宿しているからだ。
魔力とは異なる力と持つ魔素は、体内に魔力を宿す人間とは相性が悪い。
魔物の肉を口にすると、含まれた魔素により嘔吐、腹痛、発熱、痺れなどといった症状に見舞われる。
より重度になると強すぎる魔物の魔素に堪えられずに体が決壊、あるいは理性を失って暴れ回り、最後は魔物と化す。
そんな理由で魔物を食材とするのは忌避されているのだ。
だから魔物は絶対に食べるわけにはいかない。
が、俺には一縷の望みがある。それは俺が所持している【状態異常無効化】だ。
俺の持つユニークスキルならば魔化状態も状態異常と認識して完全に無効化できるのではないか……過去に同じことを考えたことはあったが、失敗した時のリスクがあまりにも高く実行できなか
った。
だが、今はそれに縋るしかない状況。ミノタウロス以外に食料となるものはない。
リスクを恐れてこのまま飢えて死ぬか、それともユニークスキルを信じてミノタウロスを食べるのか。
かつてない決断に迷っていると、遠くで何かの咆哮のようなものが聞こえた。
どうやらここにも魔物は存在するらしい。
選択肢の中に魔物になぶられて死ぬという項目が追加されたようだ。
このまま何もしなければ死んでしまうのは確かだ。
何もしないで後悔するよりも、何かして後悔する方がよっぽどいい。
ミノタウロスを食らうことを決めた俺は、緩慢な動きながらもナイフを突き立てた。
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