オモウサマ
汲んできた清水を錫の水差しへと移し替えた砂那は、漁に出掛ける澗那を見送ってから、尭那の後について二階へと上がる。
街の領主さまの居館に比べて緩やかな階段に、砂那は緊張しながら初めて足を乗せた。
尭那の部屋は熟した果実のような甘い匂いがどこからか漂い、露台を備えた大きな窓からは心地よい風が入ってきていた。
その窓に背中を向けて引き戸を開くと、中には短い降り階段があり、尭那が壁に掛けられた燭台に火を灯す。
揺らめく灯りの中、身体の横で拳を握り締めた砂那の肩を、尭那が軽く叩く。
大きな掌の感触に深く息を吐いた砂那は、尭那の後について仄暗い階段を降りた。
「オモウサマ、入るよ」
薄紗で遮られた戸口で尭那が声を掛けると、室内からは衣擦れの音が聞こえて。
「どうぞ、お入り」
凪いだ泉のような声に促されるまま、砂那は薄紗を潜って部屋へと入った。
「オモウサマ、この子が砂漠を渡ってきた砂那だよ」
「はじめまして。砂那です」
名乗りと同時に下げた頭を戻した砂那の目に映ったのは、“白い人”だった。
「うん。尭那から聞いた通りだね。黄色の木との相性がいい」
そう言ってオモウサマは、腕輪をした砂那の手を取ると、名前が彫られたあたりを指先で撫でた。
日焼けした自分の手と、オモウサマの白い手が並んでいるのを見比べた砂那は、違和感に内心で首を傾げる。
この手は……男の人じゃないかしら? ほっそりとしてはいるけど、爪の感じとか手首の張り具合とか……と考えた砂那は、秘められたオモウサマの秘密に触れた気がした。
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【手記より】
▷▷オモウサマ
尭那さんの伴侶だと名乗ったオモウサマは、床に大きな円座を敷いて座っていました。長い髪も着ている衣服も真っ白で、窓辺に掛けられた白い帳越しの淡い陽の光の中で、ほのかに光をまとっているようにも見えます。
提灯を作るだけでなく、腕輪を作って名前を付けるのも、オモウサマの仕事なのです。
特に乳離れを迎えた子どもの、最初の腕輪はオモウサマが嵌めます。
「私は“尭那のオモウサマ”だから、名前も腕輪も尭那の娘だけに与えるんだよ」
お母さんの伴侶として、各家に一人ずつオモウサマが住んでいるそうです。
「砂那には、最初の腕輪を私の手から嵌めてはあげられなかったけど、『砂那』の名前は私が付けたからね。血は繋がっていなくても、尭那と私にとって砂那は、大切な娘だよ。琰那たちと同じくらい……大切な」
と言ってくれたオモウサマの隣では、尭那さんが微笑んでいます。
腕輪と名前は、新しい両親との縁も結んでくれたようです。
▷▷提灯と世の理
オモウサマの話では、世界の全ては大地から生まれて空へと還ります。
死んだ生き物の命は風に、泉や川の水は雨になります。そして、空に風と水が増えすぎると嵐になるそうです。
万物を育む火の力が空に溢れると旱魃や争いの元となり、命の素となる土の力もいつかは枯渇するとか。
オモウサマは空に増えすぎた要素を絡め取って、提灯にしています。土は黄色に、火は赤色に。風の緑色と、水の青色。
四色の提灯が担っている本来の意味は、街で聞いていたものとは違っていたのです。
さらにオモウサマは、こう言っていました。
「作るだけではダメだよ。灯されることで、四つの要素は大地に戻るんだ」
そうして再び、万物は生まれ出るのです。