謎の花びら
私は桜が好きである。
最近は行けていないが、花が咲く季節になると各駅停車のみに乗れる切符を使って旅に出ていた。
目的地を決めて行くこともあれば、流れる車窓を眺めて駅の周りに桜の木があるのを見ると飛び降りて散策することもある。桜だけを選んで植えるのは人間のエゴなのかもしれない。けれど桜並木を歩いて薄紅色に包まれるのは嫌いではない。
特に満開から少し過ぎた頃が好きで、桜の木には花が咲き、優しい風が吹いて桜吹雪の中を歩くのはとにかく大好きな時間である。
手に届かなかった花びらが、触れるところまで来てくれる。
それまで見上げることしかできなかった高嶺の花が手に入る。
捕らえようとすると逃げるのに、桜から手の中に入ってくれることもある。手の中にあったのに逃してしまうこともあるが、奇跡的に捕まえられることもある。
そういう花びらは運命を感じて紙に包んで大切に鞄にしまう。
しかしなにぶん、掃除が苦手なので、大切に持って帰ってきたはずが、どこに置いたのかもわからなくなることがある。
そして、先日、探し物をしていたら、久しぶりに見た畳の上に、美しい形をした薄紅色に近い白い物を見つけた。見ただけで優しい気持ちになれる桜の花びらの形をしている。
偶然その形になったにしては、桜の花びらの形をしていた。
桜の花びらと言っても、必ずしも理想通りの形をしていない。元々の形がいびつなこともある。けれど、あれだけある桜の数を考えるとそれはわりと少ない。ほとんどの花びらはあの形をしている。
でも、虫に食われていたり、何らかの理由で欠けていたりすることは多い。
地面に落ちずに手のひらに乗った桜の花びらが完璧な形をしているとは限らない。
畳の上のそれにそっと触れると、本物の桜の花びらであることがわかった。
美しい形をした花びらが、私の部屋の畳の上にあった。
今年の花びらではないと思う。今年はあまり花見に行けず、持ち帰った花びらはまだ鞄の中にあるはずだった。
鞄に入ったり服に着いた場合も考えられる。
しかし桜の花びらは薄くて儚い。
春風に舞い散るということは、とても薄くて軽いのだ。
桜の花びらは風に舞うのにこれほど適している形はないという造形をしている。風に舞い散るには適しているが、それを加工して手元に置こうとするには適していない。
思っているよりは強度がある。
しかし、指でつまんで加工しようとすると簡単に破ける。だから指だけではなく先のとがったピンセットやつまようじなどでそっとそっと扱わねばならない。
いつの花びらかはわからない。
しばらく置きっぱなしにしていた本をどけたら出てきたから、1年とか2年は経っているかもしれない。
とうぜん、形を崩さないようにして拾うつもりだった。
この形からして奇跡の花びらに違いないのだ。
私の部屋は窓を開けて桜の花びらが飛び込むような風流な場所にはない。
その場合、このように広がっている可能性は低い。桜の花びらはきちんと広げて紙などに挟んでおかないと縮れてしまう。
手提げかばんから探し物をするためにひっくり返して中身を出したら、くちゃんとした濃い桃色の物を見つけたことがある。大きさから嫌な予感がして丁寧に広げたら桜の花びらだった。
桜並木を通った時、花びらが手提げに入ってそのままになっていたのだろう。
私の手提げを選んで入ってきてくれた花びらである。その後は丁寧に紙に挟んで保存した。
そしてどこに置いたかわからなくなっていた。おそらく手帳に挟んだりはしている。でも毎年いくつか見つけていたので、畳の上の花びらはそのうちのひとつかもしれない。
はっきりとした出所はわからなかったけれど、取ろうとした。
しかし、畳にしっかりと貼りついている。
絶望的な気持ちになった。
畳に貼りつけてそれをインテリアとして楽しむことも一瞬だけ考えた。しかしそれでは畳を取り替えたら失われることになる。直ぐに却下する。
花びらを壊さずに入手するには、長持ちするセロテープを探し出してそれで取るしかないと思った。図書館で本の補強をしている司書さんを見て、そのセロテープを使えば長期の保管が可能であるのではないかと思ってやったことがある。
四葉のクローバーは今も私のお気に入りの写真の裏に貼りついている。
それが最も適する方法だと考え、私はセロテープを探したが見つからなかった。押し花に適した少量で売っていなかったので、かなりの量がどこかにあるはずだったが、見つからなかった。
その花びらはとりあえずそのままにして、しかるべき道具をそろえてから作業にかかろうと思った。