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仕事帰り、雨の降る街で傘を差して歩く帰路で少しソワソワしている自分に気付く。ネットで注文したパスピエの新譜は確実に届いている筈なのだけれど何かの手違いもあるかも知れない。ポストに投函してくれる事になっているけれど、そこにちゃんと入っている現物を確認するまでは不安めいた感情にもなってしまう。勿論それは信頼あっての不安で、万が一の事態を想定してしまうわたしの性格に由来する感情だと分かっている。



『万が一』という言葉もよくよく考えてみたら『一万分の一』の事で、確率に換算すると『0.01%』ということ。誰かにもし、



「99%大丈夫だから安心しなよ」



と言われたら大多数の人は身を委ねてしまうという話なのだろうか。ゲーム界隈のスラングで言われているように「100%」以外は信頼しない方がいいという感覚も当然ある。実際問題として1%のリスクは時として不安要素に数えられると思う部分もある。その感覚に比べると、一万人に一人の対象に自分が選ばれる、選ばれてしまう感覚は持っていない。




でも『その感覚』は、昴君との出会い以降に感じた事と大分食い違う。言い換えると『バグる』とでも言えるかも知れない。前日の降水確率の通りしっかりと雨の日で概ね予期した通りに仕事が進んだ日に、妙な早足なのはアンバランスと言えばアンバランスだ。そしてアパートに着いて、ポストの中を漁ってしっかり見つけた後はそれまでの事はほとんど忘れてしまう。




自宅では早速パソコンに取り込んでからコンポで再生して音によって広がる『新しい世界』に魅了されている。なんでこんな歌詞が書けるのか分からないし、こんなに不思議な世界を作ることが出来るのかも分からないけれど、ただただその世界が『好き』。その事をこの日も確かめて、特に気に入った曲を何度か聴き直してみた。懐かしさと新しさが同居する雰囲気が今の心境に作用して、少し現実を忘れてしまっている。



「やっぱりいいなぁ…」




一言で言えば『感性』なのだろうと思う。きっとわたしの知らない音楽理論も、知識もあって、そうやって作られる作品なのだけれど、帰宅時のように何かを切っ掛けにして『理詰め』に考えてしまっているわたしには思い浮かべる事の出来ないイメージ。そして『表現力』。




余韻に浸りながら少しお酒を飲んでみて、やっぱり言葉では言い表せないなと思う。すぐには全体を捉える事ができないし、それでいいとも思う。いつか何かが実感できる時が来ると思うし、知らない間に身体に沁み込んでいると思う。




そうしているうちに一日が過ぎていった。




翌日。寝起きでカーテンを開けて曇り空を見つめ、なんとなくぼんやり。テレビを付け、朝の情報番組を見ているうちにいつも通りの感覚に戻って来たあたりで、そういえば前夜には昴君のチャンネルを確認していなかったなと思ってとりあえずスマホでチェックしようと思ってアプリを立ち上げてみようと思った。



「あれ?おかしいな…」



けれどその操作をしてみてもアプリの不具合なのか正常に起動しないことが判明。不具合自体は特に珍しいとは思わないけれど、確認したい事があるタイミングで起こると『ばるすチャンネル』の方がどうなっているか気になってしまう。結局不具合はそのままで、出社までの時間を考えるととりあえず後で確認する方が良さそうな感じだった。




微妙な違和感を気にし過ぎないよう得意先に出向いた際もなるべく丁寧なコミュニケーションを心掛けたり、普段よりも意欲的に午前の仕事をこなした。さすがに昼休みにはスマホを弄ってしまったけれど、そこでも不具合は続いているらしく仕方ないのでブラウザのページから動画サイトにアクセスしてみようとすると、今度は時間帯の問題なのかサーバーに繋がり難くなっている事が分かった。実際、SNSなどの呟きをつぶさにチェックしてみても大規模なサーバーダウンは確認されていなかったのでその考えは概ね正しいと思われる。よくよく調べてみるとアプリというか、わたしの使用しているスマホの挙動自体に違和感があって、



「もしかして…」



と思って『設定』を開いてみたら、案の定というか『ОSの更新』の為に何かがインストールされていて動きが少しばかりいつもと違う状態になっていたらしい。職場でアップデートするのも何となく躊躇われ、また違和感の原因らしいことが分かった事でちょっとした焦りも消えて、帰宅してから諸々を済ませればいいなと感じ始める。そうなったらなったで何となく昼休みは気分転換で外を歩きたくなったのでコンビニを目標に近場に出向き始めた。いざ外に出てみると曇り空の中にうっすらと光が見えたりする部分もあり、梅雨入りはもう少し先だろうけれど寒さもあって日差しが恋しいと感じた。




コンビニで眠気覚ましのタブレットとレモンティーを買ってから、何となく建物の裏の広場の事を思い出してそこまで歩いてゆく。平日の昼時にそこに居る人はあまりいなかった記憶で、実際やってくると男性がこちら側に向かって歩いている他は人は見当たらなかった。ただ予想していなかったことにそこには白い猫が一匹、首輪もしていないように見えたので野良なのかも知れないけれど妙に毛並みが整っている様子でこちらを伺うような姿勢で居座っていた。



<うわ…珍しい!!>




市内で猫を見掛けた記憶があまりないわたしにとっては、その『出会い』は意外で、ついつい近付いてしまってしまってどうやら猫を驚かせてしまったよう。警戒したのか、咄嗟に猫が奥の方の道に走り出してしまい、車が走ってくるかも知れないと思って後からゆっくりその道を追い掛けた。そこでわたしは『不思議な光景』に出くわす。




「あら、ここに居たのね」




人の姿があると思っていなかったその道に、少し背の高い白いワンピースを着た女性が立って、彼女の前で立ち止まった先ほどの猫に向かって声を掛けている。この季節にはちょっとあまり見ない格好だったのと、ワンピースと同じくらい透き通った肌をしている女性にあまり現実感が感じられない。その人は猫を抱きかかえてから、ふとこちらの方を見た。



<どこかのお嬢様みたいな人?>



わたしの貧困な想像ではそう考えるのが精いっぱいで、ノコノコ猫を追い掛けてきてその人物と視線が合ってしまったのがなんだか申し訳ないような気持ちになった。恐らくその猫はこの人が飼っていて何らかの理由で外に出てしまったのだろう。だとすると、この人が住んでいるのはこの近くの筈。そんな想像をしたところで女性が二三歩ゆったりとこちらの方に近付いてきたのを見て、いくらか緊張してしまっていた。



「この子ね、目を離すと『色んな所』に行ってしまうんです」



その言葉をどう受け取ったらいいのかよく分からなかったわたしは、



「この近くに住んでいらっしゃるんですか?」



と訊ねていた。女性は「そうね、」と呟いてから、



「わたしは『色んな世界』を旅しているようなものなの」



その時の表現が独特でどこか抽象的だなと思ったのだけれどとりあえず、



「外国とか?」



と素朴に確認して反応を伺うような感じで。その質問に対してその人は「ふふふ、」と微笑して、



「貴女も一緒に行きたい?」



と誘うような視線でわたしを見る。勿論本気にはできなかったけれど、ああいう雰囲気の…恐らくは『特別な人』が生きている『世界』に憧れがないと言ったらウソになるだろう。わたしはちょっと困った気持ちでこう答えた。



「日帰りで行けるくらいの場所だったら行ってみたいですね」



そのわたしなりのジョークに女性は満足したみたいで二人で少し笑い合う。時間もあるので「じゃあ」と振り向いてそこで立ち去ろうとした時女性が背後から小さく、



「『あの子』によろしくね」



と謎めいた言葉を言ったのが聞こえて何事だろうと思って再び振りいたけれど、何故かそこには誰もいなかった。冷静に考えて一瞬の間に消えてしまう事はあり得ず、わたしはその現実を受け止めようとしたが、一体何なのか分からなかった。確かに自分が今その場に立っているという事はそこまで猫を追い掛けてきた事は疑いようが無く、そこで会話したこともしっかり覚えている。けれど、現実的にはあり得ない事だった。今まで生きてきた中で最大の混乱と一方にあるごく普通の昼の静かな街の様子。



5分くらい立ち尽くしてしまったろうか。冷静になっても冷静じゃないような気がしてしまう。絶対に認めたくはないけれど『白昼夢』という言葉が浮かんでくる。そんなバカな。あり得ない。じゃあ何であの人は…猫は…居なくなったのだろう。





習慣なのか、スマホを確認してみると時刻が目に入った。自分が持っているコンビニの袋は確かに現実感があって、混乱はしているけれど職場に戻る必要があるという事はぼんやり認識できる。




けれど…こんな事があって、冷静を保つ事が出来るのだろうか。異様に高鳴り出してくる心臓の音。その時から世界はまるで違うもののように見える事があるけれど、その時はふらふらする足取りで何とか職場に戻ってきたらしい。山内君から後で聞いた話によるとその時のわたしは顔面蒼白で、今にも倒れそうだったという事。職場の人はただ事ではないと思ったらしく、その日は『早退』という事になって山内君が家まで送ってくれた。その時わたしはそこで起こった事を同僚に必死で説明しようとしたらしいけれど内容がどうも現実的ではないという事から、『仕事の疲れ』という判断で少し病院で見てもらうのがいいのかも知れないと思われていたらしい。




自宅で休んで意識がはっきりしてくると、なんとなく情報が整理されてきたのもあってあの時コンビニの袋に入れていたレモンティーを飲んだり、タブレットを食べたりしながら心を落ち着けてみる。今思うと、昴君の動画のあの謎の現象でちょっとした耐性のようなものがついていたからか、パニックになり過ぎずに済んだらしかった。こんな不思議な体験をしても、『証拠』なんてどこにも残ってないし、わたしが『観た』…『観測』したという事だけなのだ。




あのリアルな…現実そのものの肌触りを『白昼夢』と呼ぶことには抵抗があるけれど、理系らしくオカルトは最後まで受け入れたくないわたしの結論は結構早いうちに出来上がってしまった。




『保留』





である。

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