㉚
匂いまでが伴うかのような夢を見た。場所はよく分からないけれど、淡い光に包まれたまま『誰か』が側に立ってわたしに何かを告げていた記憶がある。こういう表現はその雰囲気をちょっと台無しにしてしまうけれど、よく乾いて取り込んだ時の洗濯物のふわっとした心地よい匂いをその誰かに感じていて、女性だったと思うけれど声は何となく凛としていたような気がする。
「うわ…」
珍しく印象的な夢を見た事で自分でも目覚めてから驚いた声を出してしまった。朝の7時を回った辺りで、言いようのない充足感と不思議な感じと、だいぶ感覚を思い出し始めている自室の光景の落差に戸惑いながら、その日が連休も後半であるという事実を認識する。弟が実家から自宅へ戻る日でもあったので何とくそれを意識もしてみた。
不思議な夢を見たのはどう考えても昴君の動画の『怪現象』のせいだ。前日弟から借りた漫画を読み終わって眠りに着こうとした時に強烈な疑問が襲ってきて、
<何であんなことが起こったのだろう?>
<まって…普通あんなこと起こらないよね>
など頭の中で整理されない思考が数時間堂々巡りのままになった。一度考え始めると突き詰めてしまう性格と自覚しているけれど、卒業以来久しぶりの『課題』を与えられたような感覚になっている。念のため…というわけではないけれどベッドの中で今一度動画のコメント欄の様子や、動画自体を見直してみて、やはり同じ内容であるという事を確認する。何かの見間違いではないのかと思いたいのに、厳然として存在する『証拠』に改めて驚愕する。
「わからん…」
勿論、社会人になって世の中の理不尽とか、個人的に納得のいかない事というのは日々出てきていて、それらに対してどう折り合いをつけるかは試されている事だと思うけれど、こういう『謎』に対しても同じような姿勢を貫けるかどうかは人によって大分違うように感じる。なんとなくだけれど、昴君を始めとした動画視聴者の大多数は、
『へぇー、そんなことがあるんだー』
くらいであとはあまり考えなくなってしまうと思う。実際、その現象が何か日常にのっぴきならない影響を与えるような事だったら真面目に取り扱う必要があるけれど、幸いにして数日過ぎた今もごく普通に…連休という特別感はあるけれど、平常に動いているのを確認できる。結局現実を整理できないわたしの頭脳は、その代償として奇妙な夢を見せて納得させようとしている。
…とその辺りまで自分に了解させて、なんとなく手を動かしたくなってその日の朝食を作る事に決める。
人数分の目玉焼きとサラダを用意し終わった頃に母が「どうしたの?」と言いながら起きてきて、「早く起きちゃったから」と説明する。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
10時頃に弟が家を発つ。残念なことに弟が持ってきた漫画はすべて読破とはいかず、「今度返してくれればいいよ」、「え、いいの?」、「いいよいいよ」、という会話が実質連休最後の会話になったのはわたし達らしい。わたしもその頃にはいつ山形に戻ろうかを考え始めていたけれど、昴君の事が何となく気になって後ろ髪引かれる思いがあった。居間で父にあまり考えないで「いつ帰ろうかな?」と相談したら、
「ゆっくりしてもいいんじゃないの?」
と言われた事もあってギリギリまで実家にいようかなと考え始めた。そんなタイミングで、スマホに思いもよらぬ人から連絡が入る。
「亜季?どうしたの?」
『電話で話すの久しぶりだね、真理』
その人は大学の友人で仙台にいる筈の『酒井亜季』。電話で話しているうちに、彼女が連休中も宮城県内にずっと居たという事…それどころか歴史オタク、伊達政宗愛を存分に発揮して県内のずっと史跡巡りをしていたという事実を知った。その話にちょっと苦笑しながら、
「そう言えば、わたしも最近歴史に興味湧いてきたよ」
と昴君の二本松紹介動画で学んだ知識などを少し話してみたところ、
『いいね!伊達政宗ゆかりの場所は有名だよ!せっかくだから真理も仙台で史跡巡りしてみればいいよ』
と凄い勢いでまくしたてられる。この間、母親が不思議そうに見ていた事に気付いたので場所を移動する。
「ところで亜季は何か用事があったの?」
そこから本題に入るように訊ねると、彼女から意外なというか場合によったら『トンデモ』な提案がなされる。
『仙台で三人で一緒に飲もうよ!いい店知ってるからさ』
その『三人』のうちのもう一人が同じく仙台の『加藤智広』である事をわたしはどう捉えるべきなのだろうか?亜季はもちろんわたしが彼と付き合っていた事は知っているし、智広にしてもこの間仙台駅で会った時に『三人で』という事を強調していた。
もしこれが昨日の時点だったらわたしはテンション次第では断っていたかも知れない。ただ、この日のわたしは『怪現象』の事を真面目に相談できる人を探していたのも確かで、結果的にこの提案を受け入れるような『流れ』になっていたと思う。そして驚いた事に亜季は「その日の夜」に仙台で飲もうと言うのである。その場合、日帰りが難しいと思ったわたしに、
『わたしの自宅に泊まっていきなよ!』
という提案は結構魅力的でもあり、その条件だと三人での飲みも意外とすんなりイメージすることが出来た。通話を終え、居間に戻り両親に、
「今日仙台いくから」
と告げると目を丸くしていた。と言っても、仙台と言っても実際上は大した距離でもなく何よりこの連休はあまりにも長すぎたようで、
「そうね、遼平(弟)も帰っちゃったし、確かに家にずっといても何もする事ないもんね」
と母は頷いていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夕方の4時、多くの人が行き交うが仙台駅前の目立つ所で待ってくれていた『酒井亜季』の姿を見つけたわたしは嬉しさもあってそちらに駆け寄る。
「亜季、バッチリ決めてきてるじゃん!今日飲みだよね?」
「三人で飲むの久しぶりだし、せっかくだから」
「智広は?」
「まだだよ。店で待ち合わせになってる。時間まだだいぶあるから、ちょっとこの辺りまわろうよ!」
「学生時代思い出すね!」
特に欲しいものがあったわけではないけれど、駅付近の書店で物理学の書籍を手に取ってみたりしていた。あの『怪現象』の参考になりそうな書籍ではなさそうだった。




