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新年度になった社会は何となく慌ただしい。配属になった新入社員の男性というのか男の子というのか、その人の名前が宮島漣くんと言ってビジュアル的にもイマドキの雰囲気を漂わせているから部署の女性陣はちょっとだけ色めきだっているのも影響しているのだろう。彼の教育は山内君が担当になって、少し話を聞いたところによると素直でいい子だそう。実は人見知りをするタイプな皆川さんは少し距離を置いて様子をうかがっているような節もある。
新しい人が入ってくれば当然『人間関係』はより複雑になる。思惑という程のものではなくても、誰が積極的に関わってゆくか、誰が主にフォローするかなどは暗黙の了解的な事があって、わたしは何かとお節介を焼いてしまうタイプなので今回もそれが期待されているかも知れない。というような事を意識して仕事をしていると少し気疲れもあり、先輩から何気ない感じで「どうしたの?」と訊かれる場面もあった。『リラックス』という言葉と共にその時貰ったペットボトルの微糖のコーヒーが思いのほか身体に沁み渡り、やっぱりここはいい職場だなと感じた。
高度な事を考えようとしても、結局は自分が出来る範囲でやれる事をやるという事に落ち着いてしまうもの。たまたま会議で使う資料を作っていたのもあって文面など質の良いものを心掛けた。理系出身だと文章表現が拙い人もいるような気がするけれど、ブログを継続している効果で文章を考えるのは苦にならない。周囲からもわたしの作る書類はスッキリしていて読み易いとお墨付きをもらっていて自信にもなっているのだけれど何の因果か午後に山内君から、
「真理さん、これ新人君が作った文書」
と印刷したものを手渡された。いきなりだったのでびっくりはしたけれど、
「真理さんの目から見てどう?」
と説明されて意図が理解できた。文面、グラフの配置、句読点の打ち方など精査すると数点気になる事があったので山内君に伝えた。文章表現の方でもっといい語句が浮かんだのと、並べる順番とか。
「確かにそうだね。俺は結構良いんじゃないかなって思ったけど、こういうのは真理さんに見てもらった方が早いと思ったんだ。ありがとね」
間接的にでもアドバイス出来てとりあえず自分も貢献できたかなと思えたので、それ以降はそこまで意識する事が無くなっていつの間にか平常通りの感覚に戻る。夕方になり帰宅準備を始めていたところ宮島君が颯爽とこちらに近付いてきて、
「佐川さん、お疲れ様です」
と言いながら満面のスマイル。
「宮島君もお疲れ様。どう?慣れてきた?」
「いや、まだ全然です。でも何となく分かってきました」
「分かってきた?」
「はい。もっと色んなことが出来る様にならなきゃダメだという事が分かってきました」
「ふふふ。宮島君、面白いね!」
本当に爽やかな感じでわたしにそう言った姿がとても印象に残った。自分が入りたての頃にこういう雰囲気ではなかったとは思うけど(主にテンションが)、彼のお陰で大事なことを思い出させてもらったような気分。
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平日はあまりテレビを見る事は無いけれど新年度から始まった新しい番組をチェックしてみたり、新しいドラマで琴線に触れそうなタイトルを検索してみて、とりあえず一つだけ録画予約をしてみる事に。俳優さんが番宣の為に出ているバラエティーで学生時代の思い出を語っている場面を見ながら、
<世代的に同じくらいの人だなぁ>
と思った。同じ世代の人が社会で頑張っているのを見ると自分も頑張ろうと思う、よくありがちな効果から想像が発展していって、
<もし頑張ろうと思った人の頑張りを別な同じ世代の誰かが見て連鎖してゆけば…>
なんて変な事を考える。『風が吹けば桶屋が儲かる』の風味もある発想だから理論的な話だけど、もしそういう『流れ』が社会に起こったりしたら『世代』というのは案外バカにできない言葉だなと思う。わたし達の世代は何となく『震災後』という感じで、悟り世代に近い部分があるような気がする。それでも社会的な成功を掴みたい気持ちは何処かにあるし、仕事だけじゃないところにある充実も欲しい。
わたしがこのまま生きていったとして、その先には何があるのだろう。『誰が』いるのだろう?
その問いは目を背けようとしても、時々わたしの中にやってくる。昴君との出会いで何となくある所からの広がりが見えてきているような気もする一方で、そのたどたどしく不確実な繋がりを頼りに本当にどこかに辿り着けるのか、という事はわたしには想像できていないのが本音。それでも一つ言えることは、昴君の動画にコメントを残している自分は、その自分のコメントは、思いのほか『フレンドリー』だという事。
自分でも不思議に思えるその柔らかな気持ちは、女性だから男性だからという括りを超えて普遍的に望まれているもののように思える。
<柔らかな気持ち…>
浮かんできた表現を噛みしめるようにアプリに打ち込む。何故か『需要』という言葉まで一緒に浮かんできて、
「そういうのは絶対に需要がある…」
と呟いてしまう。でも絶対的にそれは無理な事なのだ。偽りではなく、心からのもの。心という曖昧なものでもそれが本心からのものなのかは分かる、少なくともわたしは分かると思っているし、偽ろうとしても偽れない本当がある。心からの言葉は冷めがちなわたしの心を温めてくれる。多分、わたしが求めているものはそういうところにある何かだと、分かっていたとしても、今のわたしには何を頼りに進んで行けばいいのか時々分からなくなってしまう。
その夜、わたしはベッドの中でドラクエ7を起動してあるアイテムを獲得できるか挑戦していた。ドロップ率128分の1くらいなら、わたしの運でも根性で手に入れられるような気がする。




