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全国ニュースで桜の開花の便りが届くようになって来て、山形はまだ先だろうなと感じるのはある意味の恋しさと別な意味の趣深さがそこに含まれている。他の地域では散ってしまった後にようやく咲き始める光景は待ちに待ったものだからなのか嬉しさが倍増する。開花の時期は福島も山形も変わらないようでいて、実は結構違ったりするのが個人的に面白いと感じるところ。二本松の霞が城と字面が似ている市内の『霞城公園』は入学シーズンとなると花開いて絶景だし、敷地も広々としているから絶対に見て欲しい場所なのだけれど、雪国しては珍しく雪の少ない冬だったこともあって3月に3月感がないというか、気持ち早めに桜を見に行きたい気持ちになってしまっていた。
そんな3月が終わるという頃、わたしの部署は例外的に新年度からの異動などは特にないようなので新年会も兼ねての『お花見』という話が持ち上がる。桜の様子を伺いつつの日程になりそうだけど、なんとなくちょっと羽目を外したい気分にもなっていて、それはもしかしたら賑やかな場所を求めているからなのかも知れない。久しぶりの同僚とのカラオケの際、皆川さんはわたしの選んだハイテンションな曲に思いのほか仰天していて、
「真理さんのそういう部分って意外っていうか、とても新鮮です!」
と喜んでくれたという伏線もあり、もっとそういう部分を出して言ったらコミュニケーションも円滑になって行くのかも知れない、という案が浮かんできたのだ。
リアルとネット動画とは一概に比較できないものだけれど、再生数の伸びる動画がやっぱりどうあっても明るくて見ている方が元気になれるような内容という気付きも大いにあって、盛り上がって評価されるから本人としても嬉しい、という好循環がそこにはあるような気がするのだ。
<そこまで考えている人は多分いないだろうけど…>
自分の頭だけで考えている展開に苦笑しつつ、書店でファッション系の雑誌の表紙をなんとなく見ている。浮き沈みが多いという芸能界でも、明るくて面白い女性の方が生き残っている、そんな感想を覚えてしまう。それは全然悪い事ではないけれど、今風に言えばその辺りに『ごにょる』ポイントがある気がして、自分でも何だかよく分からない。昔は自分はサバサバ系女子なのかもと思ったけれど、実のところは『あっさり系』で、行き過ぎると『アパシー』という無感動な状態という事もなんとなく意識されてしまう。
『考え出すとキリがないから、考えないようにする』
全然理系とはかけ離れている母がわたしにそうアドバイスしてくれるけれど、考えたくなくても考えてしまう性格は全然直らない。だからこそ考えてしまうような関心事をあまり持たないようにする的な発想をこの間まではしていたのかも知れないなと思う。不意にスマホが震えたので確認するとSNSを介しての弓枝からのメッセージだった。
『ゴールデンウィーク?大型連休?はどうするの?』
これに即座に返信。
『もちろん帰ってくるよ!』
『即答だね(笑)』
『今年は滅茶苦茶休みあるから小旅行みたいなのでもいいと思うんだけどね』
『あー、いいかも』
『でも混む場所が嫌いだから、穴場を探したい』
『あいかわらずですな』
本格的な旅行なら既にホテルとかは予約で一杯だろうし、何より『ゆっくりしたい』願望がつよいので必然的に日帰りで行ける場所という発想に至る。彼氏さんの事はどうなのか分からないのもあって控えめに提案してみたところ、どちらかと言ったら弓枝の方が出掛けたそうな具合。こうして意図せず4月以降の予定はどんどん出来てしまって、やっぱりそうなると折角だから新しい服をいくつか買っておきたくなる。というわけで、好感度MAXの人が表紙を飾る雑誌を選んでレジに持ってゆく。
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そろそろ桜の季節。パスピエで春といえば『開花前線』と『永すぎた春』なのだろうか。パスピエの曲は歌詞が流れるように出てきている気がして、春とか『和』に驚くほどマッチする。わたしもあんな文章が書けたら詩でも書いているのかも知れないけど、それはさておき『永すぎた春』は情念が凄くて聴いていると涙が出てきそうになる。とくにCメロの部分。
何でかは分からないけれど、自分に『永すぎた春』の歌詞に該当するような関係の人が明確にいるというわけではないのに凄くイメージできてしまう。
短いのにずっと印象に残る春。今年はじっくり桜を愛でたい。
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ブログの内容はどうしても春を感じさせるものになってくる。ブログ『innocently』でもパスピエの話は繰り返し投稿していて、アクセス数が伸びるのはやっぱりそういう文字列が入っている時。検索してヒットするわけではないと思うけど、辿り着く人は辿り着いている印象。何年もブログを書いていて未だに発展性はないけれど、ブロガーと言えばアフィリエイトを設置して運営する誰もが読み易いように編集されたブログがまずイメージするようになってきている流れは当然意識する。細々と続けているブログでもネタ探しが大変なのに、読まれる記事を書く人はやっぱりアイディアが凄いなと感じる。
需要に応えてゆけばアクセスも増える。ビジネスでも全く同じ事なのに、その需要に応えるという事を趣味の中でやろうとするのはとても難しい。オシャレな写真をふんだんに盛り込んだ画像主体のブログの方が見栄えはするけれど、そもそも自分の出して行ける『雰囲気』とは違う。自分の発する何気ない言葉に何かを感じてくれるようなそういう付き合い方みたいなものもあっていいと思う。実現するかどうかは別にしても、理想として、自分の立ち位置を世の中に伝えるという目的がわたしがブログに求めているものだ。一方で弓枝とも相互フォローのSNSは今や『世間』の代わりと言っていい。政治的な、文化的な圧とでもいうべきものをそこかしこに感じ、以前はそこまで詳細に可視化されていない言葉がこれだけ氾濫する世の中になると、身の処し方も色々工夫しなきゃと思える。
「ネット…ネット…」
何となく更新したばかりのブログのカウンターの変化を確認する時間。最近ではブログを相互フォローするのが前提のとあるサービスもあるという噂をどこかで読んだけれど、そこは有料にもできるそう。多様性はあっていいと思う。問題は自分がそれを活かせるかという事。
「あ…少し増えた」
本当に僅かなアクセスの上昇。もうそれで十分かなという気持ちになってしまうくらいの『慣れ』。リアルの方で踏み出す事に決めたのとは対照的に、ネットでは保守的だ。そしてそこからの自然な流れで昴君の動画をチェックし始める。タイトルの後半に『おまけ付き』とあったので期待しながら視聴。前半はドラクエ7の更新で、あるモンスターの職業になる為の『心』が必要という改めて考えてみると不思議な設定が冒頭で説明され、
『どうしてもレアな『モンスターの心』が欲しいんですがドロップ率が低すぎるのがあって、今回はそれに挑戦してみました』
というナレーションが入る。もともと『やり込み要素』の強い作品である為に、確率が厳しく設定されているアイテムがあっても当然で、攻略サイトで調べてみた所昴君は『絶望的』とも表現されているアイテムに挑戦しようとしているらしい。
<うわ…どうなるんだろう?>
『運』に自信がある人なら挑戦しても大丈夫なのかも知れない。『引き』の強さを信じるように動画を見てゆくと、途中から画面の端にモンスターとの戦闘回数の字幕が入ったのに気付いた。
「100!?」
そこで驚いているわたしは、確率的には期待値1になる為に1000回を超える戦闘回数を必要とする事実に更に驚愕する。
「本当に絶望的だよそれは…」
何か姉として弟に『悪い事言わないからやめときな!』とアドバイスする心境になってしまって、恐る恐る見守っていると、カウンターはどんどん膨れ上がってゆく。
『あー…流石に挫けてきた…』
内容からして声が少なめな実況動画だったけれど折り返しの『500』に入った所で『そしてついに!』という字幕が入った。
『よっしゃああああ!!!』
昴君は無事手にする事ができたようだ。これでも全然運が良い方なのだからわたし何と言ったものか。
<わたしはやり込まなくていいかも…>
アプリでの攻略は順調に進んでいるけれどとりあえずラスボスを倒すという目標だ。そして動画の最後に『おまけ』が用意されている。
『今日は一人で二本松神社に来てみました!調べたところによると『御両社』と呼ばれているそうです』
今回はとても見慣れた場所。初詣に行った時の記憶とは違って参拝客はほとんどいない様子が見て取れる。
『御両社と呼ばれるのは『熊野宮』と『八幡宮』の二つが祀られているからで、『熊野宮』の方が二本松に古くから祀られていたそうです。そしてこの前の『粟ノ須古戦場跡』でも話した畠山氏が『八幡宮』を合祀したという歴史があります。そして丹羽氏が歴代城主の守護神だった八幡宮を左に、領民の神様だった熊野宮を右に配置したそうです。下座と上座だとか。それで個人的に昔お世話になった場所がありまして…』
そう言うと境内から正面には向かわず、向かって左隅の方に移動した昴君。なんだろうと思っていると、
『実はここは菅原道真さんも祀られてるんですよ。学問の神様という事で受験の時に願掛けに来たんです』
なるほどと思うような説明。大きくはないけれどその一角はちょっと目立つようになっていて、オーソドックスな神様とは言え、その位置にしっかり祀られているという事は何か意味を感じる。そして昴君、そこで何やら語り始める。
『僕は結構『神様』という存在に興味がありまして個人的には女神様に憧れがあるんですが、運ゲーの時に当たりを引けるようにお祈りしてまして、今回の動画のチャレンジが上手く言っていた場合は神様のお陰だと思います』
つまりその結果が今回の『成功』になっているという事と受け取るべきなのだろう。確率的には1000回挑戦すれば大体引けるところが500回という事は全然悪い数字ではない。
<神頼み。確かにああいうのって神頼みしかないもんね>
何でもそうだけれど、成功を信じて挑戦し続ければいずれは達成できることはある。ダメかもと挫けそうになった時にお祈りをする事でまた気を取り直してもうちょっと頑張ってみて…その結果達成できる、という風に捉えたら天邪鬼だろうか。でも、人間が神頼みをする『心』は無くならないと思う。実際、わたしは昴君のこういう動画の再生数が伸びる事を祈ってしまう。
祈ってしまう。誰に?
『運命』に?それでも同じ事。




