第九十八話 乱される心 ― "I can't be obediently."―
「さあ、皆さん! 試験ももうすぐです、今日も頑張って訓練、乗り切りましょうね!」
華やぐ笑顔で皆を鼓舞するのは、ユイである。
彼女は先の『福岡プラント奪還作戦』での指揮経験、それから自身の明るい人柄を買われて二年B組の「リーダー」に選ばれていた。
レイがリーダーを務めていた頃とはまた異なる穏やかな雰囲気の中、今日も訓練は平常通り行われていく。
試験を一週間後に控えたこの日のメニューは、【異形】との集団戦シミュレーション。
五人ひと組の「小隊」を六つ組み、各小隊で複数の第二級【異形】との戦闘に臨む。
クラスが編成されてからまだ二ヶ月も経っておらず、以前の一年A組のようなまとまりもみられていない現状、少人数でも結束を強めておきたい――それがユイの狙いだった。
(軍隊なら無理やり言うことを聞かせることもできる。けれど、ここはあくまで『学園』。軍隊という大きな規模ではなく、三十人単位のクラスで何もかも行わなくてはならない環境では……必然、個々人に求められる仕事の質は高くなる。それを可能な限り効率化するには、やはり連携力を高めるべき)
戦闘は一小隊ずつ行い、出番でない者はそれを見学するという形をユイは取っていた。
他人の戦いを見ることで気づきを得、それを今後の戦いに活かす。そうして生まれた新たな姿を他人が見、また学ぶ。そういった成長のループをユイは期待していた。
どの生徒も現状、よくできているとユイは思う。一年次の四度の試験をくぐり抜けているだけあって、練度はなかなかのものだ。
だが――練度だけなのだ。
「おらおらおらァッ! 散りやがれ、ゴミが!」
【イェーガー・ドミニオン】パイロット、来栖ハルが吼える。
スタジアムのフィールド内に群れなす『狼人型』と『子鬼型』たちを鎖鎌で引き裂き、鮮血を纏って舞い上がる漆黒のSAM。
倒したそばから新たな個体群がワームホール――『ベリアル』が発生させたのと同じもの――から出現し、ハルは舌打ちしながら目を鋭く細めた。
彼の眼下の土のフィールドには、【異形】たちと四機の【イェーガー】、そして討たれた多くの屍がある。
「邪魔なんだよ、雑魚ども! どいつもこいつも、うざってぇ!」
敵も、味方も、全てがハルにとっては邪魔者。
戦場など自分が好き勝手暴れられれば、どうなったとしても構わない。
「おい、来栖、何を!?」
「なっ……私たちは味――」
上空より舞い降り、すれ違いざまに鎖鎌で敵味方問わず切り裂いていく【ドミニオン】。
仲間であるはずのパイロットたちの悲鳴が上がる。その残滓はハルの頭の中に反響し、仄暗い悦楽を生んだ。
怪物たちの血の匂いと、SAMの『魔力液』の匂いが鼻腔を満たす。それは彼にとって、麝香のごとき官能的なものだ。
「あはぁっ、あははははぁっ! もっと、もっと裂いてやる! 邪魔者はみーんな、僕の餌になればいい!」
血が飛び散り、肉が踊る。一つ、また一つと屍が重なっていく。
愕然とその殺戮を見つめる生徒たちに、言葉はなかった。
その様は正しく悪鬼。ヒトの姿を逸脱した化け物。
ワームホールより現れる【異形】の数が上限数に達するまで、ハルは戦いを止めなかった。鮮血と肉片のこびりついた鎖鎌は替えのものを含めて何個も打ち捨てられ、屍の山に刃を突き刺している。
「はぁ、はぁっ…………」
赤髪の少年の鼓動は肋骨を激しく打ち、興奮と劣情が結びついた股ぐらはぐっしょり濡れていた。
肩を上下させるハルは汗ばんだ前髪を両手で掻き上げ、荒く息を吐く。
絶頂を経て潮が引くように身体が落ち着きを取り戻すにつれて、彼は深い自己嫌悪に駆られていった。
(くそっ……また、抑えられなかった。薬は飲んだのに、こいつに乗って『血』を感じると……『獣』になっちまう)
何故自分がそうなってしまうのか、ハルは知らない。
「知らなくていい」と銀色の髪の女は言っていた。おそらくは同じ【ドミニオン】パイロットのアキトやフユカも知らない。ナツキだけは自分たちの事情を把握しているようだったが、彼はハルたちが何度聞いても口を割ることはなかった。
訳の分からない声が頭の中に何度も響いたり、戦いの中で衝動を抑えきれなくなったりする。
自分はおかしい人間なのか――繰り返し、答えを求める。
だが、誰も教えてくれない。来栖ハルはいつだって独りきりだから。アキトやフユカはよく分からない奴で、ナツキはあくまで文字通りの「保護者」に過ぎず、皆が頼るような家族は顔すら知らなかった。
(誰か、僕を……)
顔を上向けなくてはいけないのは何故か。握った拳が震えるのは何故か。声さえ喉につかえてしまうのは何故か。
「あなたたちには笑顔が似合うんだから」。彼らを拾い上げてくれた銀髪の女性は、いつもそう微笑んでいた。
だが、今は――。
「来栖さん、何なんですか、あなたは?」
問いかけてくる刘雨萓の顔が、モニターに映し出される。
その目は人が人に向けるものではなかった。醜い獣を見る目。嫌悪感を隠そうともしない、軽蔑の眼差し。
(訊きたいのは、僕のほうだ。僕が一番――僕のことが、分からないんだから!)
それでも言いたいことは言えない。
弱みを見せたらそこで蹴落とされてしまう。やっと手に入れた誰かに認められるための力を、手放さなくてはならなくなってしまう。
だから、ハルは。
「うっせぇな、ブス女! よそ者のくせに偉そうな口ききやがって! 僕がどうしようが僕の勝手だろうが!」
強い言葉で、張りぼての自分を示すのだ。
自分こそ【ドミニオン】のパイロットに相応しい存在であると、知らしめるために。
「あなた、何を……! わたしたちはクラスで一丸にならないと勝てないんです! だから皆で協力して、訓練を頑張っているんです! あなたがしたことは、その努力を踏みにじるようなことなんですよ!?」
「だったら? 力がないからろくに抵抗もできずに僕の手にかかったんだろ? そんな雑魚、最初からいないのと同じさ。強い僕の足引っ張る雑魚なんて、さっさと学校辞めちまえば――」
――バンッ!! と、銃声が轟いた。
遅れて、機体と痛覚がリンクしているハルの脇腹に痛みが走る。
怒りに声をわななかせたのは、SAMをフィールドに実体化させていたシバマルだった。
「おい、お前……ふざけんなよ! そんなこと、言うんじゃねえよ! ユイも、おれも、他の皆も、卒業目指して必死に戦ってきたんだ! それを、辞めちまえだなんて――おれたち雑魚がツッキーやレイ先生と同じ場所に立つためにどれだけ頑張ってきたか、知らないからそんなこと言えるんだろ、なあ!?」
その大音声にびりびりと空気が震えた。
脇腹から広がっていく痛みを歯を食いしばって堪え、ハルは笑う。
「知ったとしても同じだよ。雑魚はいらない、僕の結論は変わらない」
「てめえっ!!」
「おい、やめろ犬塚! お前が斬りかかっても勝てない!」
冷笑するハルに剣を抜いて飛び出そうとしたシバマルを、イオリが羽交い締めにして制止した。
パイロットとしての実力も機体の性能でも敵わない、残酷なまでの力量差。
頭に血が上っていたシバマルだが、それを言葉で示されて我を取り戻す。
「ユイさん、どうします? この空気だと、訓練も……」
「しかし、試験前です。まだ模擬戦できてない小隊もありますから……」
レイに訊かれてユイはそう答える。しかし彼女も当然、この状況を見て逡巡していた。
その時彼女に通信を繋げたのは、黒髪で眼鏡の少年だった。
「彼の行動の全ては『保護者』である私の責任です。自制を効かせられず身勝手な振る舞いをさせてしまい、申し訳ございません。このような雰囲気を作らせてしまった私が言える立場ではないかもしれませんが、どうか、訓練を続けてください。それから、ハル、アキト、フユカの三名については、今後このように小隊を組む際、私のもとに編成するよう配慮していただけると助かります」
普段通り無表情のまま、彼は淀みない口調で丁重に詫びた。
頭を下げてくるナツキにユイは、「は、はい……」と半ば呆然とした声で応じる。
ハルに対して『保護者』だというナツキの言葉は、単なる友人関係の中では生まれ得ない重みがあった。一体、彼らはどのような関係なのか――元B組の生徒に訊いてもいまいち見えてこないそれを、ユイは改めて怪訝に思った。
「次は、カオルさんの小隊が出てください。……こんな空気の中ですが、いつも通りやってくださいな」
ユイは努めて柔らかい声音で促し、仕切り直す。
彼女の指示でカオルやカツミら五人はフィールドに出撃、先程まであった屍の山が細かいポリゴンに分離して崩れ去ったそこに機体を構えた。
ワームホールから生まれいでる【異形】たちと彼らの交戦が始まる中、観客席のユイは戻ってきたハル、ナツキ、アキト、フユカの四名を横目で観察した。
ナツキはアキト、フユカの二名もハルと同じく自分の下に置かせてもらえるよう頼んできた。それはつまり、その二名もハルのように暴走してしまうリスクを負っているということなのか。
――それは何故? そもそも、彼らは何? 何故『使徒』に選ばれ、【ドミニオン】を支給され、『保護者』と『扶養者』の関係になっている?
(彼らとの距離をもう少し縮められれば良いのですが……あんなふうに叱った手前、少なくとも来栖さんはわたしのことを嫌がるだけでしょうね。彼らとの対話ができるのは……)
対話。
【異形】に対してさえもそれを掲げてのけた彼がここにいれば、叶ったことかもしれなかった。カナタの純真な笑みなら、真っ直ぐな瞳なら、彼らの心を開かせることも出来た可能性はあった。
他に出来るとしたら――
「レイさん、ちょっと話、いいですか?」
ナツキを尻目に、ユイはレイを呼んで皆からは少し離れた位置まで移動する。
四人に話が聞かれないであろう距離の席に掛け、ユイは少年へ耳打ちした。
「あの四人のことが気になります。少し、探ってみてはくれませんか?」
「ボクが、ですか? しかし、どうやって……?」
「それは……正直まだ、具体的には考えついていないんですが……あなたなら出来るという気がするんです」
それはあまりに無責任な発言だ。
だが頼れる人物は他にいないのだ。カナタのように「対話」出来る者は、彼と最も長い時間を過ごしたレイだけだとユイは思う。
キョウジでさえ手がかりを掴めなかった、経歴を『抹消』された者たち――その見えざる姿を暴いてほしいと、青髪の少女はレイへの信頼を以て訴える。
「ごめんなさい、ユイさん。ボク、その頼みには応えられません」
しかし、レイは彼女の依頼をはっきりと拒否した。
思わぬ答えにユイは目を見開く。彼女がその訳を問うのに先んじて、レイは自らの意見を表明した。
「他人に勝手に自分のことを探られても、いい気持ちはしないでしょう? これから先もずっと『他人』として付き合うのならば、それでもいいのかもしれませんが……違うでしょう?」
「あっ……」
「やるべきことは彼らのプライベートな情報を暴くことじゃない。話しかけ、関わりを持つ――それだけなんじゃないですか?」
穏やかな口調で諭してくるレイに、ユイははっとする。
ユイはクラスのリーダーとして、現状を形から変えることに固執していた。だがそれでは、事の本質までは変えられない。
連携を強めるのを重視するならば、まず人を見ることから始めるべきだったのだ。指揮官としてパイロットたちに理想の形を押し付けるのではなく、一人ひとりを理解した上で最善のクラスを目指す。それが彼女に求められる姿勢ではないのか。
「ありがとうございます、レイさん。やっぱり、あなたは先生みたいな人ですね」
「……先生だなんて、ボクには身に余る呼び方ですが」
「そこは謙遜せずに受け取ってくださいな。あなたのこと、本当にわたし尊敬してるんですから」
にこっと笑い、ユイは席を立ってクラスの皆のもとへ戻っていく。
その足取りは先程よりも軽く、それを見てレイも安堵に頬を微かに緩めるのだった。
*
そして翌日の昼休み。
レイは弁当を早々に平らげ、教室の片隅でヘッドホンを耳に当てている少年の席に足を運んだ。
かつてのカナタとよく似た、音楽に集中して外界の全てを遮断している彼。
頬杖をついて目を閉じている、左目を前髪に隠した長い茶髪の少年――朽木アキトの肩を、レイは軽く叩いた。
「あの、少しいいですか?」
突然触れられ、アキトは肩をびくんと震わせる。
何度も瞬きするヘーゼル色の瞳は、予期せぬ相手に驚いているように視線を移ろわせていた。
音漏れのする爆音でヘビメタを聴いているアキトにジェスチャーでヘッドホンを外すよう促し、それからレイは訊いた。
「音楽、好きなんですか?」
「…………」
こくり。
視線も合わせず、声すら出さなかったが、アキトは確かに頷いた。
これは好感触か――胸中で期待しつつ、レイは続けて誘いをかけた。
「あの、君に聞いてほしい歌があるんです。君が好きなジャンルかは分かりませんが、きっと心動かされると思います。ちょっと中庭まで移動することになりますが、よければ」
十秒以上の黙考。無表情というより緊張で強ばっているように見える顔で悩んでから、アキトはヘッドホンを握り締めて立ち上がった。
二人して教室を出て行く彼らを目で追い、シバマルとイオリは言葉を交わす。
「レイ先生、おれたちと一緒に食べないであいつとどっか行くなんて……」
「かっかすんなって、ワンコちゃん。いいじゃないか、たまには」
「まぁそうだけどさぁ、でも、なんか……」
「来栖はともかく、同じ『使徒』でも朽木が悪い奴とは限らないじゃないか。昨日のことで腹たってんのは分かるけど、あんま引きずんなよ」
誰よりも仲間思いなシバマルにとって、ハルの発言は決して許しておけないものだった。その気持ちはイオリも痛いほど分かる。
だが、その怒りで『使徒』のアキトに関わろうとしているレイを邪魔するのは、クラスの一員として違うと彼は思うのだ。
変えていこうとしているなら背中を押し、見守る。いけないことを誰かがしたら止める。それがクラスメイトに対するいい接し方だろう。
「はぁ……お前は彼女が出来て余裕なのかもしれないけどさ。おれはいつだって欲求不満なんだぜ? これでもクラスの奴らをちょっとでもまとめるために、色々通話アプリとかでアプローチしてたりしてんの。だから、その和を乱したり、関わろうとしない奴らがいると……少し、腹立つっていうか。子供っぽい苛立ちだってのは、分かってんだけど」
二年になって初めて知り合うクラスメイトともシバマルは積極的に関わり、元一年A組のメンバーとそれ以外との橋渡しの役割を率先して担っていた。
「子供っぽい苛立ち」という彼に、イオリは静かに首を横に振る。
怒る気持ち自体は何もおかしくはない。当然のことだ。
それを言葉として吐き出して、整理する。そして、その上で自分に何ができるか考える。イオリがシバマルにしてやるべきことは、その手伝いだ。
「分かるよ、犬塚。その気持ちは。でも……来栖だって無意味にあんなことをやってるわけじゃないはずだ。彼の、彼らのことがもう少し理解できれば……上手く合わせることだって、できるはずだ」
来栖ハルはクラス内で「異物」にあたる存在なのかもしれない。
相手を理解して、互いに傷つけ合わない距離感を測る。月居カナタが【異形】に対して実践しようとしていたそれを、イオリはハルたちとの関係でしようと決めていた。
「早乙女だって動き出したんだ。俺らも、やれることをやろうぜ」
親友の肩に手を置いて、イオリは力強い口調で言った。
眉間に皺を刻んでいるシバマルのいつもの笑顔は、しかし、その言葉でも戻らない。
思った以上に昨日のハルのセリフは、彼の胸に深い傷を抉っていたようだ。特に恋慕していたユイを馬鹿にされたことは、かなり堪えていたのだろう。
と、そこで――。
シバマルの両目を、後ろから伸ばされたほっそりとした手が包み隠した。
「うおわっ!? だ、誰だよっ!?」
「ふふ、さあ、誰でしょうね?」
「そ、その声、ユイだろ!?」
首を上向けるシバマルに、ユイはその手を離してやった。
少年の視界に映り込む少女のあどけない笑顔は、苛立ちに囚われていた彼の心に暖かな光を差し込ませる。
釣られてくすっと笑うシバマルの頬にそっと触れて、ユイは穏やかな声で言った。
「昨日のこと、わたしは気にしてませんから。だから、あなたはいつものように笑っていて。無邪気に笑うあなたのこと、わたし、好きですから」
青い前髪を指先にくるくると巻きつけながら、ユイは照れくさそうに笑う。
そんな彼女にシバマルは顔を満開の向日葵のようにさせ、食いついた。
「そ、それってやっぱり、おれと付き合ってくれるってこと!?」
「んー、何のことですかー?」
「ちょ、誤魔化すなって! そこんとこはっきりしてもらわないと!」
「はっきりもなにも、前に断ったじゃないですか。これからはお友達って、言ったでしょう?」
「でも、あれから半年以上経ってんだぜ? 心変わりがあってもおかしくないよな」
「――あ、あそこにUFOが!」
「えっ、どこどこ!?」
気持ちを改めて訊いてくるシバマルに、何だか素直になれなくてユイは誤魔化しの一手を打った。
窓の外を適当に指差すと、少年は簡単に騙されてそちらへ身を乗り出す。
その姿にイオリと一緒になって笑ったユイは、自分の胸に問いかけなくてはならなくなった。
(彼の言うとおり、そろそろはっきりさせないと……時間が過ぎていくだけで、何も、変えられない)
カナタにまた、会いに行くのだ。
最近はクラスのことで手一杯で見舞いに行けなかった彼のもとへ、引きずり続けた気持ちに決着をつけるために。




