第九十六話 動き出す『尊皇派』 ―The too straight sense of justice―
蓮見タカネと名乗った男に握手を求められ、わけが分からぬままイオリはそれに応じた。
当惑するイオリにタカネは微笑んでみせ、艶のあるよく通った声で話し出す。
「困惑するのも無理はない。このような無認可のSAM工場など、本来存在し得ぬものなのだからね。しかし……『時代』はそれを求めているのだよ。『人々』と言い換えてもいいかもしれないね」
未起動状態で並んだ小型SAMを腕で指し示し、貴公子然とした男は語る。
鈍い光を宿した黒い瞳を少年へ真っ直ぐ向け、彼は言葉を続けた。
「今の『レジスタンス』は腑抜けているのだ。特に上層部……政府との橋渡しを務める外務部はね。彼らは政府や工業を司る企業と密接に繋がり、軍需による発展を目指そうとしている。彼らが真に望むのは【異形】の征伐ではなく、果てなく続く【異形】との戦いだ。戦いがあれば多くの武器や戦車、SAMが売れ、儲かる。……簡単な話だよ」
半永久的な軍需産業による発展。【異形】さえ滅ぼさなければそれが実現するのだと、タカネは言った。
しかしそれは、果て無き戦いに幾多の兵を駆り出して成り立つもの。人の犠牲の上にあるカネなど本当に享受すべきものなのかと、彼は少年へと問いかけた。
「そ、そんなの……」
イオリの父兄は【異形】との戦いで皆、命を落とした。
軍需産業での儲けを延々と続ける方針では、同じように苦しみを抱える者が増えるだけだろう。
――到底、受け入れられない。
頷く少年にタカネも力強く首を縦に振り、力説した。
「【異形】を滅ぼし、人の平和な世を取り戻す! それが本来の『レジスタンス』の目的であった。しかし今はどうだ? 組織の上層部は腐敗し、司令までも人々の幸せよりも自らの目的を優先するようになってしまった。そんな彼らを変えるために、我々『尊皇派』がいるのだよ」
『尊皇派』。
もちろんイオリもその派閥は知っている。だが、学生の自分が政治の世界に関わることなどないと思っていた。
しかし、その思想を持つ者に現実を突きつけられ、彼は選択を余儀なくされる。
いや、そもそも選択肢は初めから一つしかなかったのだ。
『尊皇派』の機密である無認可のSAM工場を目にしてしまったならば、もう、後には引けない。
「……変える、というのは……何で? まさか、このSAMたちを使うとでもいうんですか……?」
「それは最終手段だ。無論、我々はミコト様のお力を借り、言葉で訴える道を採るつもりだよ。しかし、それが通用しなかった折には実力行使しかない」
拳を固く握って断言するタカネに、イオリは返す言葉を持たなかった。
一学生でしかない自分が足を踏み入れてはならない領域にいる気がする。正直に言うと、彼は今すぐ何もかも見なかったふりをしてこの場から逃げ出したかった。だが、そんなことは決して許されないのだとも、分かっていた。
「……知らなければ良かった、そんな顔をしているね」
「政治家さんには全部、お見通しですか」
「まあね。人を相手に主張を戦わせるのが我々だ。敵の顔色も味方の顔色も窺い続け、目を鍛えねば生き残れない世界……そこに私はいる」
視線を落とすイオリの肩に手を置き、タカネは強い口調で言った。
そして彼は、少年へ一つの問いを投げかける。
「君は、責任を負うことが怖いかね?」
責任。
それを負ってくれていたのは、常に自分ではない誰かだった。
父親、母親、兄たち。末っ子の自分はいつだって守られていた。
学園に入学しても、クラスのリーダーとしてレイやユキエが先頭に立ち、作戦の全てを担ってくれた。イオリが現場指揮官的な役割を持つこともあったが、最終的に責任を負うのは「上官」のレイであった。
(怖い、のか? ……いや、それもよく分からない気がする。だって……)
この恐れは責任それ自体へ向けるものではない。重い責任を背負ったことがない、その「未知」への不安だ。
「……怖くないといえば、嘘になるかもしれません」
「では、その怖れに抗う勇気はあるかね?」
勇気。
それが自分の中にあるのか、少年は自問する。
浮かぶのは父の顔。兄の顔。そして一緒に戦ったレイたち仲間の顔。彼らは勇気を以て敵と戦った。
ならば自分は? 七瀬イオリという男は、勇気を以て立ち上がれるか?
――答えは一つ。既に、決まっている。
「あります。いえ、なくてはいけません」
実直で、愚直で、どこまでも曲がることのない正義感。純粋すぎて恐ろしいほどのそれが、彼の芯にはある。
そして政治家であるタカネは、それが何よりも「利用しやすい」性質であることを熟知していた。
同じことをミユキも見抜いていた上で、彼に接触したのだ。彼の孤独に共感し、心も身体も慰め、想いを鷲掴みにして引き込んだ。
哀れな七瀬少年は、自分がいいように使われるだけの道具だということにも気づけない。
人は生まれながらにして悪である――その思想が芽生えるだけの土壌が、彼の身の回りには殆どなかった。
優しい両親と兄たちに育てられ、いじめられることもなく真っ直ぐに今までを過ごしてしまったのが、彼の最大の不幸だったのだろう。
「……では、力を貸してくれるな?」
訊いてくるタカネにイオリは少しの間を置いてから、頷いた。
『尊皇派』が何をしようとしているのかは分かった。だが、そのためにイオリ自身が何をすればいいのかは、まだよく分からない。
訊ねようとしたイオリの肩にミユキは手を置き、言った。
「協力してくれている子はあなただけではないのよ。……アスマくん!」
名を呼ばれ、作業員の一人が顔を上げる。
ボサボサの黒髪で整った顔の、小柄で若い男。作業中に怪我でもしたのか右頬に絆創膏を貼っている彼は、作業を中断し、億劫そうな足取りでイオリたちのもとへやって来た。
「この人が協力者ですか? なんか、あんまパッとしない顔ですね」
「なっ……君、一年の九重アスマだろ。年上に向かってそんな口の利き方――」
「年上とか年下とか、この世界では関係ありませんよ。力があるかないか、それだけです。そして僕はあなたより力がある。SAM造りの才能がね」
九重アスマ。今年度の入学式のエキシビションマッチにて、皇ミコトと対戦した少年だ。その二つ名は、『純真なるメカニック・ボーイ』。
どこが純真なんだとイオリはツッコミたくて仕方なかったが、ミユキやタカネの手前、冷静さを欠いてはならないと思いとどまる。
「お兄さん、名前は?」
「七瀬イオリ。これでも【機動天使】の四人と一緒に戦った、元一年A組のパイロットだ」
仲間の名を挙げて自分の付加価値にしなくてはならない現状が、イオリには悔しかった。
しかしそれは表情に出さず、抑揚を殺した口調で名乗る。
「ああ、そうだったんですか。じゃ、ちょっとは役に立つかもしれませんね。僕と不破さんで手がけた機体は、並みのパイロットに扱えるものじゃないんでね」
一応期待しているらしく、上から目線ではあるがイオリを認めるアスマ。
どうにもいけ好かない奴だと思いつつ、イオリは彼から視線を外してタカネに問うた。
「あの、蓮見さん。俺は何をすればいいんですか?」
「単純な話だよ。君のパイロットとしての力、素質を不破さんは見抜き、買った。君に求められているのはそれだけだ」
イオリは押し黙った。
パイロットの役割は戦うことだ。――だが、何と?
「俺に、人と戦えと……人を撃てと、そう言うんですか」
「叶うならそうしてほしくないがね。しかし、言葉も意思も通じなかった後には、それしかない」
人が人を撃つ。主張を通すために、人を殺す。
そんなことは間違いだ。だが、平和を目指さず【異形】との戦争の継続を願う『レジスタンス』上層部の意向も間違いだと、イオリは思う。
「未来に死にゆく多くの兵士たちと、数少ない『レジスタンス』のお偉方。どちらを選べば犠牲が少なく済むか……七瀬くん、君はそれを理解できないほど愚かではあるまい?」
突きつけられる命の選択。
それは一人の少年が負うにはあまりに重いものだった。責任を負う勇気はあると言ったものの、具体的に何をやるのか提示されてイオリの思考は止まってしまう。
こんなこと、投げ出してしまいたい――。
汗の滲む拳を固く握ったイオリに言葉を授けたのは、ミユキだった。
「大切な人を守りたい。その思いはあなたにもあるでしょう? 私たちはね、未来で犠牲になる兵を一人でも減らしたいだけなのよ。決して、人を殺すためにSAMを作っているわけじゃない」
多くの人を守るために、腐った果実をもいで捨てる。
自分たちは正義のために戦っているのだと、人一倍正義感の強い少年にミユキは訴えた。
(それで、俺みたいな家族と死別する人を、少しでも減らせる可能性があるのなら――)
少年はミユキとタカネ、そしてアスマの瞳を真っ直ぐ見つめ、そして宣言した。
「俺は……やります。それで救われる人がいるのなら、戦います」
『レジスタンス』という体制側への反逆。そのために武器を取れば、その瞬間からイオリは紛れもないテロリストとなってしまう。
それでも、彼は決意した。
大勢の人を救えるなら、自分が悪人になっても構わない。たとえ悪だと言われても、信じた正義を貫いて人を助けられるなら、本望だと。
「よく決意してくれたわ。ありがとう、イオリくん」
ポニーテールが垂れ、項が覗けるまでミユキは頭を深々と下げる。
目的のために何の関係もなかった少年を引き込んだ。その責任は、彼女も最後まで負うつもりだ。
彼を最大限支え、仮に戦うことになっても最低限の戦闘で済ませられるように根回しする。それがこれからのミユキの役割の一つになる。
「……その、デートのことはごめんなさいね。また今度、時間を見つけて出かけましょう。なんならまた野外プ」
「プ、プールとかもいいかもしれませんね! ほら、泳ぐと健康にも良いって言いますし! ね、ミユキさん!?」
彼女が途中まで言いかけたのを、顔を真っ赤にして遮るイオリ。
額に手を当て溜め息を吐くタカネに対し、アスマは何がなんだかといった表情で小首を傾げていた。
「お二人のデートとかはどうでもいいんですけど……七瀬さん、これからあのSAMに試乗してもらえませんか? あなたが共に戦ってくれると決まった以上、僕としてもあなたに合わせて機体をチューンナップするつもりです」
「わ、分かった。乗るだけでいいのか?」
「はい、まずは。大きさが変わると操作性とかも違ってくるので、とりあえず慣らすことから始めましょう。色々注文をつけるのは、その後ですね」
確認されて頷き、アスマは一番手近な一機のもとへイオリを導いていく。
若きメカニックの監督の下で試乗し始めるイオリを横目に、タカネはミユキに改めて礼を言った。
「我々『尊皇派』に手を貸していただけたこと、改めてお礼申し上げます。引き続き色々と手間をおかけしてしまうことになりますが、どうかご容赦を」
「構わないわ。あたしも今の『レジスタンス』や月居司令に思うところがあって、動き始めた口だから。目的が一致しているなら、協力したほうが効率的でしょ?」
「ええ、全くですな」
年若い政治家の男に微笑みかけ、ミユキは追想する。
かつては同じ場所を見据えて共に戦った女。いつしか人よりも【異形】に執心するようになってしまった、美しい彼女。
また手を取り合えるなら、それが一番いい。だが、何度手紙を出しても、何度通信を試みても彼女が応じることはなかった。
道を違え、言葉さえも届かなくなってしまったのなら、もう戦うほかない。
「ミコト様とは、どこまで情報共有できているの?」
「理念は伝えています。しかし、このSAM工場や『最終手段』については、まだ」
「……話を聞く限りでは、優しいお嬢さんなんでしょう? 戦いなんて、きっと納得しないわよ」
「あれは飾りで十分でしょう。真実を伝える必要は、ないはずです。その責を負わせるのも酷でしょうしね」
皇族でさえも利用する対象だと言ってのける豪胆な彼に感心と畏怖の綯い交ぜになった目を向け、ミユキは「ええ」とだけ呟く。
次なるパイロット選定、そして『レジスタンス』内の協力者との接触。やるべき課題を前に彼女は頬をぺしゃりと叩き、意識を引き締め直すのであった。




