第九十三話 決闘、メタトロン VS ドミニオン ―The war which isn't given up.―
二年A組の生徒たちと共に二機の決闘を見守るキョウジ。
観客席で腕組みしている彼の視線の先、蒼穹が今回の試合の舞台であった。
「そぉら、食らえぇッ!!」
獰猛な笑みを浮かべ、叫び散らすのは来栖ハルである。
真紅の体躯から半透明な赤色の羽根を広げ、飛び立った彼は【メタトロンmark.Ⅱ】へいきなりの肉薄を仕掛けんとした。
振りかぶられる鎖鎌。しなる鎖が伸びて迫るなか、レイは目を細めてその軌道を観察する。
(荒削りな振り方――練度ではこちらが上!)
弧を描きながら頭上から振り下ろされる鎌を見切った一瞬で躱し、すれ違う。
【イェーガー・ドミニオン】の赤いボディを尻目に彼は息とともに気合を吐き、魔力を溜めた。
「はぁッ――!」
その間、わずか一秒にも満たない。
五つある円環状の【mark.Ⅱ】の浮遊ユニットのうち一つに魔力をチャージ、そして放つ。
空を切って突き進む灼熱の砲撃。命中した対象を例外なく焼き殺す一撃は、狙いたがわず【ドミニオン】の左胸を背中側から撃ち抜かんとした。
「へっ、そんなの!」
吐き捨て、振り返ることなく緩やかに旋回していこうというハル。
防御行動を取らない彼を怪訝に思う暇もなく、レイは眼下より打ち上げられるビームに対応せねばならなかった。
「僕にはねえ、効かないんだよそんなの!」
ハルの嘲笑にレイは舌打ちし――それから、自身の翼を掠めたビームの熱量に目を剥いた。
この熱さをレイは知っている。知らないはずがない。
放たれたビームの魔力反応を機体のセンサーが分析し、その結果はすぐにモニターに表示されるが、レイには見ずともそれが知れていた。
「ちっ、まさか――!?」
「そう、そのまさかだよ、チビ野郎!」
深く息を吸い、再度【太陽砲】を発射する。
その光線がぶつかろうとした寸前、【ドミニオン】はくるりと反転して背中を向けた。
そして、その鈍く光る甲虫の前羽のごとき羽根の表面で受け――そして、跳ね返す。
「【ドミニオン】の羽根はビームなんか通さない! 【太陽砲】くらいしかまともな武器がないお前は、僕に勝てないのさ!」
――そんなのありですか! と、レイは内心で盛大に天を仰いだ。
もちろん『レジスタンス』に関わる者として、その技術は喜ばしいものではある。だがこの戦闘においては違う。
早乙女・アレックス・レイは勝ちたいのだ。
心の氷が溶け、再起して初めて迎える戦いを勝利で飾りたい。それで、カナタを喜ばせたい。彼にはプライドよりもまず、その思いがあった。
「勝てない、ですって? 寝言は寝て言いなさい!」
「うるせえチビ野郎! ぶっ殺すぞ!」
「っ、あなたもチビでしょうが!」
ハルの罵倒をそっくり返し、レイは【太陽砲】の射出を止めて彼との間合いを広げようと速度を上げる。
追ってくる【ドミニオン】を機体後部カメラからの映像をもって確認しながら、彼は黙考した。
(【太陽砲】を無効化しただけで勝ち誇るような器なら、『使徒』に任命されるには足らない。砲がなくともボクには魔力と、魔法がある。あの強気な姿勢は、それすらも防いでみせるのだということでしょうか)
だがすぐに思考を打ち切り、レイは徐々に縮まりつつある彼我の距離を意識する。
【メタトロンmark.Ⅱ】の前身機との最大の差異は、その体躯の大きさだ。かつての分厚い装甲は飛行のために大幅な軽量化が図られ、機動力を手にした代わりに耐久性は著しく下がっている。
当たり所が悪ければ、あの鎖鎌一発で沈みうる。
(相手は未知の機体。とにかく仕掛けないことには、何も知れない!)
先ほどのように防がれる懸念も当然あるが、レイに「ただ逃げるだけ」の戦いはできない。
『レジスタンス』の観察員が試合の許可を出したのも【ドミニオン】と【mark.Ⅱ】両機の実戦データを取るためだろう。
ならばレイは「積極的な戦い」に臨むべきだ。攻め、守り、ぶつかり合う戦いを演出し、その上で勝利を狙う。
「【テンペスト】!」
レイは浮遊ユニットではなく顎の中に魔力を溜め、反転して暴風の一撃を見舞った。
しかし、翻る【メタトロン】の動きを視認した途端に【ドミニオン】も180度回転。
甲虫のごとき前羽を鈍い赤に光らせ、渦巻く風でさえも受け流してみせる。
羽根の光沢が波紋を描くように輝くのを捉え、来る風を回避しようとしたレイだったが――
「っ……!?」
直進すると予測していた風は、空中で曲がった。
物理法則を無視し、まるで龍のようにうねる空気の流れ。
躱しきれず翼に直撃を食らうレイは体勢を崩し、落下していく。
(まさか、触れた魔法に干渉し、操作できるのですか!? そんなものが……!
)
落ち行く【メタトロン】の姿に観客席のシバマルたちは瞠目し、歯を食いしばった。
「レイ先生!? このままじゃ……!」
「レイさん……!」
胸の前で手を組んで祈るように、ユイは悲痛な声を漏らした。
早乙女・アレックス・レイというパイロットの実力は本物だ。同じ条件で戦えばあの来栖ハルも圧倒できるほどの力が、彼にはある。
だが悲しいかな、「機体の能力」の相性差は搭乗者の才能でも到底覆せるものではないのだ。
『魔力増幅器』もあって規格外の火力を実現できる【太陽砲】が封じられた今、レイには『増幅器』の補助もない魔法しか武器がない。【太陽砲】の火力でさえも通用しなかった相手に、単なる攻撃魔法が通るはずもない。
――打つ手なし。
その一言が観戦する誰もの脳裏に過ぎった。
だが、しかし。
いま地に墜ちようとしている当人のレイだけは、まだ諦めてはいなかった。
「おとなしく吹き飛びな、チビ野郎!」
暴風をモロに食らって【メタトロン】の片翼は損傷し、立て直すのも難しい状況。
それでもレイは顔を上向け、鎖鎌を振り回して飛びかかってくる【ドミニオン】を睨み据える。
――勝ちを確信したその瞬間こそが、人の意識に隙を生む。
月居カグヤの伝記にあったその一文が少年の頭に浮かび、弾けた。
そう、誰が見ても勝利の女神が相手側に微笑んだように思える時こそ、逆襲の時。
そしてそのタイミングは、今だ。
「っ、ボクの、負けで――」
もう少し。
もう少し、ギリギリまで敵を引きつけろ。
あの鎖鎌の銀色の刃先が身体を掠める、その刹那まで。
「――破壊ッ!!」
吼えるハルと墜ちようとしている自らの距離は、あと二メートルを切った。
仰向けに体勢を変え、澄み切った空を見上げてレイは笑う。
ちょうどあの時も――レイとカナタが初めて戦ったあの日のスタジアムも、こんな快晴の空だった。
カナタは自らの魔法でも武器でもなく、吹き飛んだ装甲をレイの項にぶち当てて勝利をもぎ取った。
飛び方だけではない。彼の戦い方も、レイはともに過ごす中で理解した。
ゆえに――。
「飛べ、【太陽の輪】!」
敵に効かないのならその武器の全てが無駄だなどと、レイは思わない。
彼の大切な人は、剥がれ落ちた装甲でさえ利用してのけたのだ。まだ壊れてもいない武器の可能性を諦めるなど、早すぎる。
「なっ――!?」
ハルの喉から驚嘆の音が溢れる。
【mark.Ⅱ】が落下していく最中も待機状態にしていた円環状の『魔力増幅器』が一斉に飛来し、激しく回転しながら【ドミニオン】の翼へ激突した。
「ぐああああああああああッ――――!?」
同時に【メタトロン】を襲う鎖鎌。
それが彼の左胸を切り裂く直前、レイは自らの左腕を盾に刃を受けた。
真紅の『魔力液』と呻吟の声が迸るが、金髪の少年の瞳の炎は未だ滾っており、獰猛なる戦意を宿して【ドミニオン】へ食らいつく。
腕を切断する刃も構わず、右手でその鎖を掴んで引っ張る。
「このチビ野郎、ふざけやがって!!」
怒りに頭を支配されるハルが喚いた。
武器を奪われまいと鎖鎌の柄を引っ張り返す彼が冷静さを保っていたならば、次に来るレイの攻撃に対処できたかもしれない。
だが、激高してしまった彼には気付けなかった。
レイの【mark.Ⅱ】の僅かに開いた口の中で、小さな火球が噴出の時を待っていたことに。
「ただで倒れるわけにはいかないのでね、ハルくん」
弧を描くように唇を曲げ、レイは言った。
ハルの顔は怒りと驚愕とでぐしゃぐしゃに歪み、その歯はぎりぎりと軋む。
「名前で呼ぶなッ、チビ野郎!!」
喉が張り裂けんばかりの声で叫び、衝動のままにコンソールを殴りつけるハル。
レイが自身に鎖を引き寄せたことで、二機の距離は目と鼻の先となっている。
瞬間、吐き出される火球。
モニター全体に映し出される青き炎に呑まれ、その灼熱に赤髪の少年は痛哭を上げた。
「くそぉおおおッ!?」
全身を駆け巡った火焔がSAMの各部位を瞬く間に機能停止に追い込み、そして。
「ああああああああああああああああああああああああああッッ!?」
爆砕。
轟音と爆風が吹きすさび、彼らが墜ちた地面に巨大なクレーターを抉り込んだ。
「早乙女――!!」
「レイ先生!?」
イオリとシバマルが彼の名を叫ぶ。それを側で聞くユイは、爆発に巻き込まれた少年の苦痛を思って睫毛を伏せた。
墜落は免れないと覚悟して、せめて刺し違えんとしたレイの意思は叶った。
【ドミニオン】も【mark.Ⅱ】も大破し、両パイロットが「死亡」扱いで強制ログアウトになるという形で試合は終わった。
審判を務めるナツキが呆然と試合終了を告げ、それからしばらくスタジアムは静まり返っていた。
その静寂を破ったのは、一人の男の拍手である。
「よく戦った、二人とも」
レイ機の玉砕という衝撃的な結末に言葉を失っていた生徒たちだったが、勝負を称えるキョウジの姿に一人、また一人と倣っていく。
「おれ、途中までずっとレイ先生が負けるんじゃないかって思ってたけど……レイ先生は諦めずに戦って、引き分けに持っていった。それって、すごいことだよな」
シバマルの呟きにイオリとユイは深々と頷く。
窮地に追い込まれても決して諦めず戦い抜いたレイの姿は、彼らを奮い立たせ、さらなる向上心をもたらしてくれたのだ。
(俺も、早く早乙女と肩を並べられるようになりたい。今は欠けてる翼を、俺が埋め合わせられたらいいのに……)
自分に道を与え、常に導いてくれた彼と同じ場所に立ちたいとイオリは思う。
これまでのようないわゆる「師弟関係」ではなく、対等な間柄として。
憧憬のパイロットに追いつきたいと願う黒髪の少年は決意を秘めた眼差しで蒼穹を仰ぎ、言葉なくとも思いが伝わったのか、シバマルとユイも微笑んで同じ空を見上げるのだった。




