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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第四章 落日

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第九十話 歌姫との再会 ―"I go visit."―

『学園』では二年次にパイロットコースとメカニックコースに別れ、それぞれ新たにクラスが編成される。

 レイが属することとなったクラスは、パイロットコースのA組。

 入学式の翌日、始業式の朝に『学園』から送られてきたメールに添付されていたファイルには、二年の各クラスの名簿と担任の名が記されていた。


「また矢神先生ですか……あの人、実のところちょっと苦手なんですけど。そういえば君は、彼とちょっと打ち解けた感じでしたよね」


 スマホをベッドの上に放り、パジャマも全部脱ぎ捨てて、レイはベッドを抜け出した。

 ボクサーブリーフ一枚でぺたぺたとクローゼットまで出向き、制服を引っ張り出す。

 今はここにいない同室の彼へ以前のように話しかけながら、彼は何と返すだろうと言葉を夢想した。

『そ、そんなことないよ』と苦笑いするか。『ま、まあね』と頷いてみせるか。そのどちらか以外はあまり思いつかない。


「君も同じクラスになりましたよ、カナタ」


 また後で会いに行って報告するつもりだが、レイは今すぐにでも伝えたい気持ちを抑えきれず呟いた。

 全30名の新たなクラスのメンバーはレイとカナタ含め、多くがA組の主要パイロットで固められていた。それはカナタが戻って来やすいような配慮、ということなのだろう。

 ユキエやカオル、カツミ、シバマルやイオリ、リサ、さらにはヨリやイタル、サキも持ち上がりで同クラスになっていた。

 長い間引きこもってきて自然な感じに教室へ戻れるかレイは正直不安だったが、見知った名前の数々に安心感を抱く。


「ボク、頑張りますからね。カナタ、瀬那さん、アスカ姉さん、皆」


 着替えを済ませ洗面台の前に立ったレイは、冷水で顔を洗い、決然とした面持ちで鏡の中の自分を見つめた。

 さっとかした髪を撫でつけながら首を動かして、色んな角度から新しい髪型を確かめる。

 昨日カツミの実家の美容院で手入れしてもらい、腰に届きそうなくらい伸びていた髪はばっさりと切った。

 少し癖のある金髪を肩のあたりまでで切り揃えたレイはその毛先を指先で弄り、まだお披露目前だというのにはにかむ。


「姉さん――ボクはボクとして、『早乙女・アレックス・レイ』として前に進みます。だから、どうか見守っていてほしい。姉さんが見られなかった世界を、知りたかった戦う理由を、ボクは掴みにいきます」


 ポニーテールと髪留めに別れを告げたレイは、そんな決意を宿した眼差しで前を見る。

 姉の遺品であった古びた髪留めは今、父の家の仏壇の前に備えられていた。


「――よし」

 

 身支度を終え、必要な荷物を揃えて玄関へ。

 ドアノブに手をかけたレイはそこで振り返り、微笑んで一言いった。


「行ってきます」



 食堂で朝食を済ませ、まだ始業時間まで余裕があったレイは一人、中庭に足を運んでいた。

 芝の上に桜の花弁が舞い散り、描かれた緑とピンクのコントラストに心を浮き立たせる。

 歩いて踏む芝の柔らかい感触や、風に吹かれて奏でられる葉擦れの音を彼は楽しんだ。澄み渡った蒼穹を見上げ、差し込む日差しに目を細める。


「……気持ちいい」


 暗く閉ざされた部屋から解放されて以来、レイの感覚は前よりずっと鋭敏になっていた。

 景色、感触、音、匂い、味。そういったものの一つ一つが触れられるのが当たり前ではない、特別なものに感じる。

 こういう感覚も、「慣れ」とともに薄らいでいってしまうのだろう――そうぼんやりと思う彼は胸いっぱいに緑の匂いのする空気を吸い込んで、思考を感覚へと溶け合わせていく。

 桜の木の下に足を投げ出して座り、太く逞しい幹に背中を預ける。

 父親の大きな腕に抱かれるような、或いは母親の優しい胸に受け止められているかのような安心感が胸に染みわたり、少年を一時の微睡みにいざなった。


「……レイ。……レイ」


 どこかから自分を呼ぶ声がする。

 レイを呼び捨てにしている人物は、存命している限りではたった一人。

 ――カナタ。


「……レイ」


 確かに聞こえる。だが夢でもない気がする。少年の笑顔は像を結ばず、ぼけた写真のように不鮮明だ。

 これは夢ではない? ならば――


「カナタ!?」

「あら? 起きましたのね、レイ。ですが、わたくしはカナタではありませんわよ」


 がばっと飛び起き、顔を上げたレイの視線の先にいたのは銀髪の少年ではなかった。

 桃色の髪をそよ風に揺らす、小町と呼ぶに相応しい顔立ちの少女。

 勘違いされても口を尖らせずくすりと笑う皇ミコトを前に、レイは羞恥に耳まで赤くなる。


「な、何で、皇女様がこんなところに……」

「この学園に初めて足を運んだ時から、この中庭はわたくしのお気に入りでしたの。丁寧に手入れされた芝、色とりどりの花が咲く花壇、そこに集まる小さな虫たち、鳥のさえずり、ベンチにかける穏やかな人の笑顔……素敵だと思いませんこと?」


 レイはミコトの顔を何故だか見られないまま、小さく頷いた。

 静かに彼の隣に腰を下ろし、ミコトは言葉を続ける。


「中でも一番好きなのは、この大きな桜の樹。わたくしたちよりもずっと長い時を生きているこの樹の下にいると、お父様やお母様に抱かれているように安心できるのです」

「……そ、それ、ボクも同じこと……」

「あら、そうでしたの。気が合いますわね」


 共感されて心から喜び、笑う少女。

 その温かさが彼の大好きな少年と重なり、レイの胸を切なく締め付けた。


「お顔を見せていただけますか、レイ? わたくしは、あなたを真っ直ぐ見つめて話したいのですわ」


 制服姿の一少女として、ミコトはそう申し出た。

 ぎこちなくも確かに顔を向けてくれたレイに、彼女は目を弓なりに細める。


「あ、あの、ミコトさん……二週間くらい前、この桜の樹の下で歌っていたのは、ミコトさんですよね?」

「二週間ほど前? ……ええ、そういえばそうでしたわね。でも、何故それを?」

「ボクの寮の部屋、この中庭に面していて……それで、歌が聞こえたんです」


 それからレイは、予め伝えようと思っていたことをそのまま言った。

 あの歌に自分は救われたのだ――そう聞いたミコトは、空を翔ける青い鳥を目で追いながら口ずさむ。


「あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた 真夏の青空 冬枯れの黄昏 いつだって笑ってた」


 紡がれる短いフレーズにレイは聞き惚れた。

 透き通ったその声が届ける歌は、乾いた大地に恵まれる水のように少年の心を癒していく。


“いつかまた会えますように”

 わたしの言葉 君は首を傾げてたね 

“いつだって会えるよ” 

 懐かしくまだ遠い 思い出の笑顔

 巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ

 今はこの胸に あなたの温度を思い出して


「……どうでしたか、わたくしの歌は?」


 歌い終えたミコトはレイに向き直り、彼の手を取って訊いた。

 レイはそのしっとりとした余韻に浸りながら、微笑して答える。


「良かったです、とても。あの……この歌は、なんてタイトルなんですか?」

「この歌はわたくしが作ったものなのですが、実は、まだ決めていないのです。夢だとか、再会、祈りだとか、それっぽいキーワードは浮かんでいても、上手くまとまらなくて。……そうだ、レイ、あなたがこの歌に名を付けるならどのようなものを考えますの?」


 急にそんなことを訊ねられて、レイは困惑してしまった。だが期待の眼差しを上目遣いに送ってくる少女を無視するわけにもいかず、腕組みしつつしばし黙考する。


「そうですね……『Ich möchte dich sehen.』、とか?」

「え、あー……あの、恐れ入りますが、どういう意味か教えていただけませんか?」


 小首を傾げるミコトに「ちょっと直球過ぎましたかね」と思いつつも、レイは教えてやった。


「ドイツ語で『あなたに会いたい』という意味ですよ」

「ありがとう存じます、レイ。よろしければ、発音も教えていただけますこと?」

「『イヒ メヒテ ディッヒ ゼーエン』といいます。ドイツ語の発音は文字をそのままローマ字読みすればいいものも多いので、英語やフランス語なんかと比べても分かりやすいほうなんですよ」

「そうでしたの。……ふふ、レイは先生みたいですこと」


 えっ、と少年の口から声が漏れた。

 前々から駄犬シバマルに「先生」の渾名で呼ばれてはいたが、初対面のミコトにまで言われてしまうとは、自分で思っているよりもずっとレイは「それっぽい」らしい。

 人に何かを教えることなど、引きこもって外界を拒絶していた頃には出来なかったことだ。氷が溶け、自分らしさという芽が顔を出せた――雪を溶かす太陽の役割を担ってくれた少女を前に、レイは感謝の言葉の代わりに「そうかもしれませんね」と笑った。

 と、その時。

 キーンコーンカーンコーン、と間延びしたチャイムが二人の時間の邪魔をした。


「あらっ、いけませんわ。もうホームルームが始まっている時間です」

「ほ、ほんとですね。ああっ、ボクとしたことが初日から遅刻してしまうとは……!」

「わたくしが時間を取ったばかりに……申し訳ございません、レイ」

「いえ、そんな謝るほどのことではないですよ。それより、ミコトさんのほうこそ急がなくては。教室まではボクが案内しますから」


 腕時計に視線を落とした途端に慌て出すレイとは異なり、ミコトは落ち着き払った口調で頭を下げた。

 昨日のエキシビションマッチの時もそうだったが、彼女の慌てふためく姿は見たことがない。

 その凪いだ心こそ彼女が人を惹きつける要因の一つなのだろうと分析しつつ、レイはミコトの手を引いて校舎へと急ぐのであった。

 


「レイ先生ですか? おれは知らないけど、いおりんは?」

「朝に食堂で見かけて声をかけた時は、元気そうだったけど……」


 ホームルームで出席を取る矢神キョウジにレイの所在について訊ねられ、彼と親しい仲のシバマルとイオリはそう答えた。

 始業日という節目であっても普段通りの白衣に無精ひげを伸ばした姿のキョウジは、ユイへと視線を遣る。だが彼女も特に知らないようで、首を横に振るのみだった。

 

「去年の夏からずっと引きこもってたんだろー、あいつ。最近部屋から出れるようになったらしいけど、いざとなって怖気づいたんじゃないのー?」


 と、その時くくっと笑みを漏らして言ったのは、赤髪で小柄な男子生徒だ。

 元一年B組――湊アオイが担当したクラスだ――の、来栖くるすハル。アオイがキョウジに託したファイルには彼について、『パイロットとしては非常に高機動な戦闘を可能とする優秀な少年であるものの、やや子供っぽく、協調性に欠ける』と記されていた。

 SAMの『コア』は人の心の欠落という「凹」に入り込む「凸」のようなもの。故にそのピースが綺麗にはまるパイロットには精神的な問題を抱えた者も数多く、指導者を悩ませることも多々ある。

 優秀な子たちを多く受け持てるというのは教師として誉れ高きことではあるが、キョウジはハルの早速のその発言に溜め息を吐きたくて仕方なかった。


「……来栖くん、そういう発言は控えたまえ。彼は心の傷を乗り越えてようやく立ち上がったところなんだ。背中を押すことはすれども、揶揄するような真似は良くない」

「そんなこと言っても、あんたは教師として大したこともやれてなかったと聞きますけどね。あの湊アオイもそうだったけど、この学園の教師ってホント、生徒のこと全然見ないダメ教師じゃん?」

「来栖くん――」


 嘲笑する赤髪の少年の言葉はキョウジの胸に深く突き刺さる。

 確かにキョウジはレイに何度も声をかけはしたものの、彼を再起させるまでには至らなかった。レイやカナタのこと、人類を裏切ったマナカを送り出したことで追求された責任、それにカグヤへの心配も重なって、生徒たちのことをよく見てやれなかったのも事実。

 返す言葉もないキョウジにハルは冷ややかな視線を向けることさえせず、ポケットから携帯ゲームを出してそれで遊び始めた。

 あんたの話なんて聞く意味もない、そう主張するように。


「っ……」


 机に座っている生徒らが思う以上に、教壇の前からは教室が隅々まで見渡せる。

 だから、分かるのだ。このクラスが、昨年度のA組と比べて荒れているということが。

 来栖ハルだけではない。窓辺でずっと空を見つめている少女、イヤホンを着けて音漏れも構わずにロックを聞いている少年、本を片手に頬杖をついてうつらうつらといった様子の少年もいる。どれも到底、人の話を聞く態度にはそぐわないものだ。


「――すみません、遅れました!」


 そこで異様にも思える空気を切り裂いたのは、ドアを開けて開口一番に謝罪した少年だった。


「えっと、君は……」

「早乙女・アレックス・レイです。おはようございます、矢神先生、皆さん」


 ポニーテールを止め、肩口まで伸ばした長髪にイメージチェンジした中性的な少年の姿に、キョウジは目を見張る。

 装いを新たにした少年に皆の注目が集まる中、彼はその視線に怯えることもなく毅然と前を向いた。

 クラスの皆を見渡し、凛然とした表情でレイは口を開く。


「ボクの事情については皆が知るところでしょうが、そのために変に気を使ったりはしないでください。【機動天使】に選ばれ、地上を見たパイロットとしてボクはここで出来ることをやる。ですから、ボクのことは『元ひきこもりのレイ』ではなく、『【メタトロン】パイロットのレイ』として見てほしいのです。よろしくお願いします」


 覚悟は決めた。弱さは捨てた。相棒にして親友である彼を待ちながら戦い抜くと、誓った。

 レイの言葉をクラス全員がまともに聞いていたかと問われれば、否であった。しかし、彼をよく知る元一年A組の者たちは深く頷いており、他にも彼の決意表明に感嘆したような者も多くいた。

 教室の雰囲気が変わったことに胸中で安堵しつつ、キョウジはレイに席へ着くよう促す。

 たった一つの空席を残して、二年A組というクラスはこの日、始動するのであった。

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