第八十九話 胡蝶の歌姫 ―A gentle war.―
そして春休みが明けた、新暦21年4月5日。
入学式が行われるスタジアムには既に多くの上級生や教師が居並び、新入生たちは緊張の面持ちで土のフィールドに立つ月居司令の話を聞いていた。
彼女の演説の内容は当たり障りのないものであった。『レジスタンス』は貴君らの飛躍を願っているだとか、厳しい試験を乗り越えて卒業を目指し、人類の生活を守るために『レジスタンス』に入隊してほしいだとか、そういった感じの話だ。
既に昨年も入学式に参列している三年生の中には、退屈のあまりこっそりと欠伸するものもいる。
だが、式に関しては自由参加となっている上級生たちの多くがそんな退屈さを味わってまでここにいる理由は、たった一つ。
新入生から選抜された優秀なパイロット二名で行われる、SAM戦闘のエキシビションマッチである。
「楽しみだな、レイ先生!」
「え、ええ。ボクは昨年戦う側でしたから、何だか新鮮な気分です」
月居司令の演説が終わり、司会を務める生徒会の少年が試合の開始をアナウンスした途端、会場の熱気はにわかに増していく。
興奮に弾む口調で左隣の席から声をかけてくるシバマルに、レイはフィールドに視線を向けたまま落ち着いた声音で言った。
「もしかしたら新しい【機動天使】になりうる人材が出てくるかもな。しっかり見とけよ早乙女」
レイの右隣に掛けるイオリは双眼鏡を目に押し当て、SAMの入退場するゲートを注視している。
そんなにしっかり見なくても、出てくるのはどうせ【イェーガー】でしょう――とレイが突っ込みかける中、高らかな口上と共に対戦する二機が姿を現した。
『青コーナー、入学前の適正検査では驚異のシンクロ率85%を叩き出した新星! 小学時代から機械弄りが大好きだという彼は、入学前にして【イェーガー】の自己流改造レシピを何十と作り上げたメカニックの卵でもあります! ――『純真なるメカニック・ボーイ』、九重アスマくんの登場です!』
ハイテンションな司会の紹介と同時に颯爽と乗り込んできた【イェーガー】の姿は、会場の者たちの視線を一手に集めた。
通常機の黒とは異なる真紅のカラーリングに、五指の代わりに巨大な螺旋機構が取り付けられた右手。左手は普通の形状だが、手の甲に一つの青色のオーブがはめ込まれた手甲を装着している。四肢は通常機より一回りほど太く、軽量さを削ってパワーを高めたデザインとなっているようだ。
「入学前から改造機を準備できていたとなると、彼の親は『レジスタンス』のSAM開発部所属の方なのでしょうか。ボクも色々なSAMを見てきましたが、あんなものは初めて見ましたよ!」
「うはー、あのドリルかっけー! ガントレットもごつくて痺れるぜ!」
「とはいえ流石にでかすぎやしないか、あのドリル? 【イェーガー】の出力だと、ちょっと取り回しが悪そうにも見えるけどな」
口々に感想を述べていくレイ、シバマル、イオリ。
子供っぽく客席から身を乗り出す三人に対し、前の席の女性陣――ユイやユキエ、カオルたち――は呆れた面持ちになる。
疑問を呈すイオリと「かっこよければいいんだよ!」と熱い口調で反駁するシバマルの間に挟まれるレイは、彼らの言葉も上の空で登場した赤き【イェーガー】に夢中になっていた。
『続いては赤コーナー、こちらはかなりの大物選手です! 蝶のように舞い、蜂のごとく刺す可憐な戦い! それを見せつけるは、遍く人々を魅了する美しきあのお方! 『胡蝶の歌姫』、皇ミコトさまです!』
その名を呼ばれ、ゲートから勢いよく飛び出してくる漆黒のSAM。
パフォーマンスなのかフィールド上をぐるりと一周してから所定の待機場所へと舞い戻り、砂煙を上げながら優美に一礼してみせる。
獰猛な獣を思わせる【イェーガー】には決して似つかわしくないその所作に、観客たちは若干狼狽していた。しかし、スタジアム内縁部のモニターにそのパイロットの顔が映ると、違和感は興奮へと昇華されていく。
『皆さん、聞こえておりますでしょうか。わたくしは、皇ミコトです』
艶めく桃色の髪を流し、前髪の左上側に蝶を模した髪飾りをつけた、大きなアーモンド型の青い瞳が綺麗な少女。彼女は精緻な人形のような、或いは優れた絵画の世界から飛び出してきたような、そんな浮世離れした美貌を有していた。
聖母のごとき微笑みを湛え、コックピット内から手を振るミコトの声に、レイははっとする。
今も目を閉じれば思い起こせる、悲しいほど美しいあの声だ。
自分を救ってくれた歌の紡ぎ手が、同じSAMパイロットとして目の前に現れた。
ごしごしと目をこすり、何度も瞬きしてもモニターの少女は消えていないし、発されるその声が掻き消えることもない。
あまりに美しすぎて幻覚の類だったのではと思えたほどの彼女は、確かに現実に存在したのだ。
「あの人が……あの人が、ボクに歌を聴かせてくれた」
胸の内から熱いものが込み上げてくる。今すぐにでも彼女に会いたい、そして感謝の思いを伝えたいという渇望がレイを突き動かさんとする。
思わず立ち上がったレイを見上げ、「マジ?」と強ばった笑みを浮かべるイオリ。
「マジです」
「お、おう……そりゃ心動かされるわ。あんな綺麗な声、他に知らないぜ俺」
半信半疑のイオリだったが、大真面目にレイが答えると流石に信じざるを得なかった。
周囲がざわめく中、彼らはミコトの声を一言一句聞き漏らすまいと耳を傾ける。
『わたくしは生まれてこの方、皇族という身分に属し続けていました。ですが……僭越ながらパイロットとしての能力を買われ、この学園へ入学してからはそれも変わることになります。戦場にあるいは貴賎ではなく、軍隊としての上下関係のみ。それはわたくしが皇族であろうと変わらぬことです。ですからどうか、先生方、生徒の皆様は、わたくしを「ミコト」とお呼び下さい。それが不敬だとか、そのようなことはわたくしが誓って、誰にも言わせません』
胸に手を当て、スタジアムの観客席を360度見渡しながらミコトはそうお願いした。
それからひと呼吸置いて、言葉を継ぐ。
『わたくしは皆さんと同じ視点に立ち、同じものを見て、知り、共有したいのです。そのことをどうか、心に留めおいていただければ嬉しいですわ』
皇ミコトは高慢な支配者ではないと、この場にいた誰もが疑うことなく理解させられた。
心の壁を透過して染み渡っていくような魔力が、彼女の声にはある。
『司会者さん、わたくしの話は以上ですわ。お相手となる彼に、出番を振ってあげてくださいな』
『え、あっ、はい! えー、九重アスマくん、何か言うことはあるかな?』
モニターに映る顔が少年のそれに切り替わる。
だが急に話を振られてもなお、彼はしばらく下を向いてコンソールを弄っていた。
司会者に何度か声をかけられてようやく、九重少年は顔を上げる。
あどけなさと怜悧さが同居した整った顔立ちに、お洒落に無頓着なのがひと目で分かるボサボサな黒髪。
ぱちくりと瞬きする彼は首を傾げ、司会者へと訊ねた。
『あー、えっと、「頑張ります」でいいですか?』
緊張感ゼロの声音で言ってくるアスマに、司会者のみならず観客たちも呆気に取られる。
そんなことも全く意に介さない少年は『じゃあ、始めましょうか』と呑気に笑い、操縦桿をくいと動かした。
左腕の巨大なドリルを空へと掲げ、相対するミコトへと誇示してみせる。
『その鋼、強そうですわね、アスマ。ふふ、ですがわたくしも負けず劣らず強いですわよ』
『楽しみましょうね、皇女様。思いっきりぶつかって、お互いインスピレーションを得られる戦いにしましょう!』
微笑むミコトに、ワクワクを抑えきれぬ様子でとびきりの笑顔を向けるアスマ。
周囲からどう見られるか完璧に計算した立ち振る舞いの皇女様に対し、職人気質なロボ好き少年は完全に自分たちの世界にのめり込んでいた。
試合開始を前にして静かなざわめきが広がるスタジアム。
ミコトが聞くのは自らに与えられる声援と、彼女を品定めするギャラリーの声。
アスマが聞くのはただ一つ、自らが手がけた機械の立てる起動音だ。
そして――司会者の号令で、二人の戦いは火蓋を切る。
『試合開始ッ!!』
ダンッ!!
最初に地面を蹴ったのはミコトである。
登場時の優美な所作を早々に捨て去った彼女は、肉眼では追いきれないほどの速度で【イェーガー・アスマカスタム】の背後を取ろうとした。
通常機よりも重量を増したぶん、アスマ機の機動力は低下している。機動力というアドバンテージをもってすれば、戦いを優位に進められるはず――それがミコトの考えであった。
『早い――!』
少年の視界の端を一瞬にして通過する漆黒の影。
その影は彼の背後のスタジアムの壁に達すると転進、壁を蹴飛ばして弾丸のごとくアスマ機の背中へ剣を突き込まんとする。
『はあッ!!』
『でも、見きれないほどじゃないね!』
戦闘開始と同時に極限まで上昇したシンクロ率を以て、自分の感覚のようにその肉薄を知覚したアスマ。
確かに肉眼では捉えられなかった。だが、視認できないなら第六感というべき直感を活用するまで。
右足を軸に回転ざまに、彼は振りかぶった巨大な螺旋を敵の刃へぶつけた。
『回れよ回れ、螺旋の機構!』
笑みを刻む少年の声が、高く打ち上がる。
ミコトの刃を受けた側から回転を開始するドリル。
それは起動と同時に魔力を帯び、赤い光芒を撒き散らして回転を加速させていった。
『ぐっ――!?』
刃を削る衝撃と魔力の熱に、ミコトは顔を歪めた。
彼女は押し返そうとしてくるドリルの力に逆らわず、その勢いに敢えて吹き飛ばされる。
観客たちの落胆の気配をミコトはまざまざと感じた。しかし、それでいい。これは演目、最終的に目指すべきものはカタルシス。この失態はそれに至るまでに必要な溜めだ。
地に落ちるまでは二秒。そして彼の追撃が飛んでくるまでは、一秒。
コンマ数秒の時間でそう弾き出した彼女の計算は、違わず現実となる。
吹き飛ばされた際に剣は手放した。ミコトは丸腰――のように見える。
『ふッッ!!』
ミコト機が空中で体勢を崩したのを好機と見て、アスマはその隙に食いついた。
「逸りましたね、彼」
観客席のレイが眉間に皺を刻んで呟く。
彼の発言通り、それこそがミコトの狙いであった。
機体能力では何のアレンジも加えていないミコトのほうが劣っている。ゆえに彼女が勝つためには、「技と駆け引き」に頼る必要があった。
SAMに乗る以前から、ミコトは護衛がいない時でも自分を守れるように様々な武術を学んできた。機体スペックのみならずSAMへの知識でもアスマには負けているが、彼女には「戦い方」では決して負けないという自負がある。
崩れたように見える体勢。確かにそれは事実であるが――今この時において、それは問題にならない。
何故ならば、彼女には「魔力」があるから。
体勢が崩れてもなお物理法則を無視した動作を実現しうる、「魔法」があるから。
回る螺旋が台風の目のごとく、赤い光芒の渦を解き放つ。
食らえばひとたまりもなく機体が破砕されるであろう一撃。だがそれを前にしてもなお、ミコトは一切怯まなかった。
敵を限界まで引き付ける。まだ、もう少し、その眼のレンズの奥底が覗けるまで――!
魔力の高まりと並走して速さを増す鼓動。その拍動は肋骨を激しく叩き、吐き出される呼気も熱を孕む。
『これで終わりだッ!!』
アスマの叫びがミコトの耳朶を打った、瞬間。
ドリルの先端が少女の機体に触れんとした直前、漆黒のSAMは舞い上がった。
『蝶のように舞い――』
重力を無視して機体を空へと跳ね上げるのは、【斥力魔法】。
最大出力で打ち上げられたSAMはアスマの螺旋をすんでのところで躱し、舞姫のように空中で両腕を広げる。
『蜂のごとく、刺します!』
開いた【イェーガー】のあぎとに覗けるのは、青白い魔力の塊。
小さなその種は眼下のアスマ機へと投下され、迎撃のために上向けられたドリルに着弾する。
刹那、冷気の奔流が熱されたドリルに纏わり付き――その極北の風は鋼鉄が帯びる灼熱を一気に塗り替えていった。
それだけではない。風はアスマ機を中心にフィールド全体を巻き込み、それが撫でたあらゆるものを凍りつかせていた。
『なっ……!?』
動揺を初めて露にしたアスマ。凍てつきだして勢いを徐々に削がれていくドリルを前に、彼は整った顔を台無しにするほど歪めた。
足元ごと地面が氷漬けになったために、まともに動くこともできない。この状況を打開するには魔法を使うほかないが――。
『チッ、これじゃあ!?』
魔法道具――SAMが魔法を発動する上で補助の役割を果たす――であるガントレットにはめ込んだ青玉までもが凍てついて、その機能を麻痺させていた。
『いや、まだだ! 僕にはまだ、あぎとが!』
『――させませんわ』
空中より舞い降りながら口を開き、ミコト機は二度目の息吹を浴びせる。
動けないアスマにそれを回避できるわけもなく、狙いすました一撃はSAMの顎部に直撃した。
接着剤のごとき氷は顎の上下を閉じた状態で固定し、開口を封じる。
動作も魔法も封じられたアスマに突きつけられたのは――チェックメイト。
しなやかな足で氷面に着地したミコトは腰のウェポンラックからもう一本の剣を抜き放ち、相対するアスマへとその剣先を向けた。
歓声のシャワーを全身に浴びる少女はそれに手を振り返すこともなく、対戦相手の少年に真っ直ぐ向き合う。
『これでチェックですわね。アスマ』
銀盤と化したフィールドに立つ、優美なる皇女のSAM。
モニターに映る少女の顔は汗一つかいておらず、その微笑みを崩していなかった。
対するアスマは平静さを欠いた表情で、目の前の機体を睥睨している。
肩で息をする少年はコンソールへ力任せに拳を振り下ろし、ミコトへ訊ねた。
『熱した金属は急激に冷やすことで脆くなる。あなたが僕のドリルを破壊し、メインウェポンを奪うことはできたはずです。なのに――何故!?』
『他人が手がけた作品に傷をつけるのは、無粋なことでしょう? どちらかが動けなくなれば勝負は決したも同じ。そうではありませんか?』
アスマの唯一無二の作品を守り、それでいて勝負を決める魔法をミコトは選んだ。
サッカースタジアムに匹敵する面積のフィールド全面を凍てつかせるほどの魔法を扱える彼女ならば、他に多くの攻撃魔法を会得していたはず。にも拘らず彼女が【氷の息吹】を選択したのは、ひとえに優しさゆえのことだった。
『無論、本物の戦場ではそうはいきませんが……あなたはこれから仲間になる人ですから。禍根を残したくはありません』
『皇女さまなら、もっと苛烈であってもいいのではありませんか。どんな相手だろうが切り伏せる、そんな強さを求める人はたくさんいるはずです。「奇跡」を冠する皇家の者なら、あなたは――』
この会話が会場に垂れ流しになっていることも忘れ、アスマは激しい語気で皇女へ訴える。
声を震わせて彼女の甘さを責めるアスマに対し、ミコトは静かに目を伏せた。
『九重アスマ。ここではわたくしは、「皇女」ではありません』
『そんなの言い訳だ! どこにいたってあんたが皇女だって事実は変わらないでしょう!?』
『――アスマ。わたくしは、ただ一人の人間として……』
悲しげな少女の言葉は、頭に血が上った少年には届かない。
彼の言葉にミコトが反駁しようとすると、会場の中継モニターから少年の映像が落ちた。学園側がこれ以上はいけないと判断してのことである。
『えー、この試合、皇ミコトさま――じゃなかった、ミコトさんの勝利です! これにてエキシビションマッチを終了し、学園長からの閉式の言葉のお時間へ移ります』
戦闘の興奮とは別種の異様なざわめきに会場が包まれる中、司会の少年は一際声を張り上げてそうアナウンスした。
それから式は手筈通り進行され、九重アスマの「不敬な言葉」を除けば特にアクシデントもないまま終わった。
学園の多くの生徒にとって、彼が投げかけた言葉は驚きこそすれ、一週間も経てば薄らいでしまうようなものであった。しかし、教師たちやカオルら『レジスタンス』に近しい生徒には別の話。
九重アスマの主張は『尊皇派』が掲げるものと殆ど同じであり、そういった思想を持つ人間がそれを大多数に発信してしまったことは大問題である。
時間が経てば記憶は薄らぐが、あれだけ目立つ舞台で主張されれば忘れるのも難しい。ふとしたきっかけでそれを思い出され、『尊皇派』寄りの風潮が出来てしまえば――それは『レジスタンス』への確かな打撃になる。
「九重アスマ……あの子、何か嫌な臭いがする」
目を鋭く細めて爪を噛むカオル。
どこか危うさを孕んだ少年の顔を脳裏に過ぎらせ、その「危うさ」とは一体何なのか、彼女はしばし考えるのであった。




