第八十八話 父との決着 ―I go to meet.―
涼やかな微風が吹き抜ける『レジスタンス』本部の門を潜り、レイはユイとイオリを伴って銀髪の少年へと会いに行った。
背中まで伸びた金色の髪を流して歩く小柄な美少年の姿に、すれ違う人の視線は否応なしに吸い込まれていく。早乙女・アレックス・レイの近況については組織の者たちも人づてに知るところであり、彼の登場は当然、皆の驚きを誘った。
すっかり慣れた足取りで、ユイたちはカナタが一人で眠る『メディカルルーム』へとレイを案内する。
『レジスタンス』本部は塔のような外観をしており、頂上からは地上へと繋がる巨大エレベータ――通称『頂への階段』――がある。少年が保護されている『メディカルルーム』は、高さ100メートルを超す塔の中腹あたりだ。
「月居、入るぞ」
ノックの後にそう声をかけ、イオリは少年の担当医から預かったカードキーをドア脇の読み取り機にスライドさせた。
無機質な電子音が小さく鳴り、ドアが開く。イオリとユイが先に部屋へ入っていく中、レイは望んで来たはずなのに立ち竦んでしまった。
――これまで悲しみに暮れて引きこもるだけだった自分を、カナタは責めるかもしれない。早乙女・アレックス・レイという人間の弱さを目の当たりにしたら、彼は失望するかもしれない。
そう思うと、会うのが怖くなった。カナタが今、まともに話せる状態にないことは聞き及んでいるが、それで安心できるならレイは引きこもってなどいない。
「ほら、早乙女」
振り返ったイオリに手を差し伸べられて、葛藤すること数分。あの少女の歌を思い出して勇気を振り絞り、一歩、踏み出した。
既にカナタの側の丸椅子にかけていたユイは「レイさんが来ましたよ」と密やかな声で言って、レイへ席を譲った。
約八ヶ月ぶりに見る少年の姿は、レイの記憶とはかけ離れたものとなっていた。顔はやせ細り、元々色白だった肌は日にさらされていないせいか更に青白く、髪も伸びて少女のようになっている。
目を閉じて穏やかに寝息を立てている少年の手を、レイはそっと握った。
温度の低い骨ばった手に触れて、静かに名前を呼ぶ。
「……カナタ。聞こえて、いますか」
返事はない。だが、ぴくり、と少年の手は一瞬だが応えるように動いた。
それで十分だった。今は、それだけで――そこに確かに生きていて、声を聞いてくれているだけで、レイは嬉しかった。
「ボクは馬鹿だから、こんなに長い時間引きこもってしまいましたが……本当は、ずっと会いたかった。君の側に、こうしていたかった。君の優しい笑顔を、また……」
滲む雫を指先で払って、レイはカナタの寝顔を目に焼き付ける。
それから長い時間、彼は少年の手を握り続けていた。
――また会いに来ます。
そして穏やかな笑みを浮かべて告げ、レイは視線を上げてイオリたちを見やる。
カナタに思いは伝えた。次にやることは――A組の他の皆に顔を出すことだ。
「では……学園に戻りま――」
そこまで言いかけて、いや、とレイは思い直す。
学園の皆はいつだって会える。今ここにいるならば、他に会うべき相手は別にいる。
早乙女アイゾウ博士。魔法学の権威にして、レイの実父である人。
完璧主義の父親は、引きこもって時間を浪費したレイを良くは思っていないだろう。元々、姉を失わせた件でアイゾウ氏はレイへやり切れない怒りを抱いているのだ。引きこもった彼への風当たりは以前以上にきつくなっているはずだ。
だが、それを理由に逃げるわけにはいかない。
戦場だけではなく、人付き合いも同じだ。逃げたって何も変わらない。
決着をつけるのだ。微妙な距離のまま過ごしてしまった、父との関係に。
「……君たちは先に戻ってください。ボクは、父さんに会いに行ってきます」
*
早乙女博士とのアポは存外、簡単に取れた。多忙である博士のスケジュール表は常にびっしりと埋まっており、今日この日に会えたことは誇張抜きに奇跡にも等しかった。
レイが通されたのは、研究室の並ぶフロアの一角にある応接室。
彼が先にそこに立って待っていると、ほどなくして白衣を纏った早乙女博士がやって来た。
上座のソファに父が掛けるのを待ってから、レイはその対面に座る。
「……時間が空いていたとはいえ、それも長くない。要件は何だ、レイ」
対面して初めての言葉は、そんな無味乾燥なものだった。
父と最後にまともに話したのは約四年前、姉が亡くなってすぐの頃。あれ以来、疎遠になった父との関係を修復したい――そう意を決してレイはここに来た。
だが目の前にある渋面を見て、それは無理なのではないかと思わずにはいられなくなる。
父は長女を溺愛していた。その弟であるレイはいつだって二の次だった。誰にでも好かれる明るい人柄の姉と、気難しく他人と馴れ合おうとしない弟。そのどちらが愛される子か、深く考えずとも分かることだ。
弟だけが生き残り、姉は死んだ。それが逆だったら、と父が母に話しているところを、ある夜にレイは聞いてしまった。最初は聞き間違いなのではないかと思った。だが、続く話の内容はそれが決して聞き間違いでも幻聴でもないことを如実に語っていた。
『レイと姉が側にいたのなら、レイが身代わりになれば姉は助かっていたのではないか』
『レイのほうが死ねば良かったのだ』
『命を懸けて姉を守っていれば、初めてあの子を褒められたものを』
この人に自分は愛されていない。そう強制的に理解させられた。
だからレイは自分自身を殺そうとした。姉のように髪を伸ばし、メイクをし、女性ものの服を着て、「レイ」の面影を消し去ろうとした。そうすれば父の興味を引けるかもしれないと、13歳の少年は純粋に期待していた。愛されていないなら愛されるようになればいい、そんな単純な思考だった。
だが父親は、レイの変貌を目にして言ったのだ。
「気持ち悪い」と。
父が口にしたのは、その一言だけだった。
レイは何も言い返さなかった。彼自身、薄らと分かっていたのだ。どれだけ姉に似せた格好をしても、所詮は偽物。偽物が本物のように振る舞ったところで、本物を熟知した者からしたら違和感が際立つばかり。酷似しているはずなのにどこか違う。「不気味の谷」に片足を突っ込んだようなその姿に、父だけでなく母までも拒絶反応を示した。姉のおふざけで彼女の服を着せられた時は「あら可愛い」だなどと笑っていた母親までもだ。
それ以来レイは、メイクも女物の服を着るのも止めた。だが姉の遺品である髪留めと、それを使うための長い髪だけは切れなかった。
母親の態度はそれで以前通りに戻った。だが、父親は変わらなかった。彼は愛情などまるでない、怒りや憎しみさえも覗かせる瞳だけをレイに向けていた。
だから、レイのほうから身を引いた。自宅から学校に通うのを止め、学生寮を使いたいと両親に申し出た。両親はそれに疑問を呈すことも、引き止めることもなかった。
父が日本へ転属となり、その数年後にレイも来日することになったが、異国の地でもその関係性は変わらぬまま。
離れ続けていたほうが互いに楽だと、これまでは思っていた。しかし、早乙女アイゾウという人はこの世でたった一人の、レイの父親なのだ。ちゃんと話せばレイのことを理解してもらえるかもしれない、許してもらえるかもしれない、愛してもらえるかもしれない――その可能性がゼロであると、果たして断言できるだろうか。
月居カナタに「対話」することの意味を考えさせられたレイは思うのだ。思いを伝えることさえせず、何もしないでより良い未来の「可能性」を諦めてしまうのは違うのではないか、と。
ならば一度だけでいい――きちんと向き合って話そう、とレイは決めた。
「父さん……今のボクを、どう思いますか」
漠然とした問いかけ。
早乙女博士は少しの間を置いた後、眼鏡をくいと指先で押し上げて嗄れ声で言った。
「……よくやっていると思う。月居司令や富岡氏の眼鏡にかなうほどのパイロットとなったお前は、冠絶した人材だと胸を張って言えるだろう」
「そう、ですか」
「ああ。お前はそれが聞きたいがために、わざわざ私のもとを訪れたのか?」
腕時計に視線を落としながら訊いてくる父親に、レイは言葉を詰まらせた。
違う、とは言えなかった。
確かにかつての姉のように、父親に褒めてもらいたいという願望がなかったわけではない。それでも本当に求めることは別にある。
「――SAMパイロットとしてではない、早乙女・アレックス・レイとして、ボクに名前をくれたあなたに聞きます。父さんは……ボクのことをまだ、恨んでいますか。憎んでいますか。気持ち悪いと……思っていますか」
たとえその答えで傷つく可能性があろうとも、レイは訊かずにモヤモヤした感情を引きずりたくはなかった。
父からどれだけ酷い言葉を浴びせられても、友を失った痛みと比べれば些末なものだ。受け止める覚悟は、できている。
他人と向き合うのは怖い。それでも、再び立ち上がって彼を待ちながら戦う道を選んだのなら、それも避けては通れないことだ。
――勇気をください、カナタ。
きっと彼なら、あの柔らかい笑顔で背中を押してくれる。そう信じて、レイはその澄んだ青い目で父親を見つめた。
眼鏡の底の黒い瞳が、微かに揺れる。
彼の切実な眼差しに僅かに気圧されたかのように、アイゾウ氏の肩が一瞬ぴくりと動いた。
「……父さん」
「正直、お前のことがあの頃はよく分かっていなかった。アスカが死んでから彼女になりきるように女装を始めたお前を見て、頭がおかしくなったのかと思った。男のくせに女の格好をするなど『気持ち悪い』と、あの時は言ったな。だが……お前が引きこもり始めたと聞いてから、私はお前について考えるようになった。鏑木くんがね、ふと言ったのだよ――『父親なら、何かしてやれることがあるんじゃないですか』と」
アイゾウ氏はバツが悪そうにレイから目線を逸らしながらも、淡々と独白を始めた。
『レジスタンス』の魔法開発部の長としてではなく、「父親」としての自分を改めて意識するようになったと彼は話す。
部署は違うが交流のある鏑木博士から指摘されて、ようやく気づけたのだと。
「これまで私は父親としての自覚が足らなすぎた。研究者として日夜邁進し、優れた者を見つければ積極的に引き入れ、共に研究に没頭する……それは『レジスタンス』に務める一研究者としては、優れた姿勢だったと言えるだろう。しかし、父親としては三流以下であった。研究者としての優れた資質を覗かせていたアスカばかりを贔屓し、お前に構ってやることもろくにしてこなかった。子供にもう少し接したらどうですかと母さんに言われても、そんなことに時間を割いている時間などないと一蹴した。そのためにお前を傷つけてしまったことにも気づけずに」
父が姉ばかり贔屓していた理由は、レイが思っていたものとズレていた。
性格の差ではなく、自らの後継となりうる才能の有無。結局、早乙女アイゾウという男の本質は、どこまでも研究バカだということだったのだ。そのために家庭さえも投げやりにしてしまうほど。
「父さん……今のボクは、まだ『気持ち悪く』思えますか……?」
背筋を伸ばし、レイは切り込んだ。
アイゾウ氏はその問いに、静かに首を横に振る。
「親として恥ずかしいことだが……お前が家にいた頃よりも、【メタトロン】のパイロットとなってからのほうがお前のことをよく見るようになったと思う。広報部の新聞記事に載せられた写真や、試験の際の映像に映っているお前の姿を見て、私は驚いたものだ。私の前では決して見せたことのなかった笑顔で、お前は生き生きとしていた。その長い髪も、アスカの髪留めも……それでお前がお前らしく笑えるなら、私に否定する権利などありはしない。そう思うようになった」
父親としての無自覚が招いた息子とのすれ違いと、後悔。
その過ちから逃げまいとアイゾウ氏はレイを正視し、謝罪した。
「お前が私と母さんとの話を盗み聞きしていたことには、感づいていた。『レイのほうが死ねば良かった』と、実験動物を見比べるような調子で発言してしまった私は、父親失格だ。その言葉はきっと、お前だけでなく母さんまでも傷つけただろう。そのことにさえ理解が及ばず、数年もの間過ちに気づくこともなかった私は、人間失格だ。――すまなかった、レイ」
深々と頭を下げる父親に、レイはかける言葉を見つけられなかった。
あの魔法学の権威である早乙女アイゾウが、一学生である自分にうなじが見えるほど頭を下げている。その光景がいやに現実離れしていて、溜飲が下がるよりも先に困惑してしまうくらいだった。
一分以上も頭を下げ続けた後、アイゾウ氏はたった一人の息子を見つめて言う。
「あんな言葉を吐いた私が何を言っても、お前は聞き入れないかもしれないが……私は父親として、これからお前を愛していきたい。『レイ』という無二の息子と真正面から向き合っていけたらと、思っている」
「父さん……ありがとう」
自然体な笑みを浮かべ、レイは父親へ頷きを返した。
今までがダメでも、これから築けばいい。人間関係なんて、そんなものだ。
冬を越えれば春は訪れる。雪解け水は堆積した汚れを優しく流し、洗ってくれる。長い眠りから覚めた早乙女・アレックス・レイの新しい歩みは、彼の一歩を祝福する歌声と共に始まったのだ。
「また時間が空いたら、お前に連絡する。アスカの仏壇にも顔を見せてもらいたいしな」
「ええ。……では、そろそろ」
「ああ。だが、その前にお前に知らせておかねばならないことがある。よく聞け」
解散を促すレイに頷きつつも、アイゾウ博士は最後に息子へ一つ、告げる。
その知らせに金髪の美少年は大きな青い瞳を見開き、唾を飲んだ。
「……それは、本当に?」
「ああ、そうだ。【メタトロン】の大型アップデート――【ラジエル】と【ラファエル】の抜けに対応するための、改良型のデータが完成した。実機として搭乗できるようになるのはまだだが、『第二の世界』での実装は間もなく行われる。引きこもり明けで体力も落ちているだろうが、コンディションがある程度整ったら乗るといい」
共に二度の試験や地上での戦闘を乗り越えてきた愛機の、改良型。
奇しくも彼が再起するタイミングと合致したその完成に、レイはぶるりと武者震いした。
新しい【メタトロン】は果たしてどのような見た目で、どのような能力を有しているのだろう――そうワクワクする自分に気づいて、レイは苦笑した。
昔はSAMなど戦うための道具としか思っていなかったのに、いつからこんなふうに変わってしまったのか。それはよく考えずとも分かる問題だ。どうやら自分が思っていたよりも、銀髪の彼が及ぼした影響というのは深刻なものらしい。
(ボクは頑張りますよ、カナタ。君と一緒に戦える日を、ずっと、待ってますから)
感謝と別れの言葉を伝え、レイは一礼して父のもとを後にした。
確かな足取りで廊下を進む彼は、比翼の鳥の片割れへとそう想いを馳せるのだった。




