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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第四章 落日

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第八十四話 告白 ―The courage and decision―

 刘雨萓リウ・ユィシュエンは自室の机に広げた書面を見つめ、懊悩していた。


『先日の「福岡プラント奪還作戦」での活躍を鑑み、貴君の「レジスタンス」入隊を許可する。なお、志願しない場合は「学園」在籍を継続すること』


 ユイのもとに届いた封筒にはそう書かれた手紙と、入隊志願書が封入されていた。

 入隊するか学園に留まるか、その選択の期日まで、あと一日。

 手紙を受け取ってから六日間悩んでいた少女はまだ、結論を出せていなかった。

 中国から来日したばかりの頃ならば、こんな選択は迷いもしなかっただろう。『レジスタンス』の本部でパイロットとして戦い、【異形】への復讐を果たす――それが彼女が祖国で努力を重ねてきた理由だったのだから。

 しかし今は違う。彼女はA組に愛着を抱きすぎてしまった。

 共に作戦を行ったのは期末試験の一度だけ。過ごした期間は二ヶ月程度。それでも、そこにいる人たちの温かさを彼女は愛してしまった。

 日本に来たばかりで緊張していた彼女の手を握ってくれた、カナタ。人懐っこい笑顔で迎えてくれたマナカ。共に戦い、楽しい時間を共有した、たくさんのクラスメイトたち。

 A組は最高のチームだった、と誇張抜きでユイは思う。

 カナタとレイ、それからマナカが中心となって結束し、勝利をひたむきに目指す彼らがユイは大好きだ。

 だから、放っておけないという思いを未だ捨てきれていない。

 今のA組は中心であった三人がいなくなったことで、以前のような活気はなくなった。ユキエやカオル、ヨリの声かけで一応は皆が訓練に参加できているものの、本調子でない者は多い。

『レジスタンス』が即戦力となる自分を求めているのは分かる。だが、はっきり言ってカナタらの抜けを埋め合わせるだけの戦力を持たないA組を置いていくのも、躊躇われた。

 

「……こんなことで悩むなんて、わたし、甘い」


 彼女はそう、日本語で独りごちた。

 たった二ヶ月ですっかり日本に染まった自分に苦笑しつつ、それも悪くないですよね、と付け加える。

 

「そういえば……」


 この手紙を貰ったのは果たして自分だけだろうか、とユイは今更ながら思い至った。

 レイの事情を『レジスタンス』がどれだけ把握できているかは分からないが、彼は一応動ける身であるので同じ文書が送られていてもおかしくはない。

 少し話してみよう――そう決めて、少女は席を立った。



 学園の寮は男女でフロアが分けられているが、フロア間の行き来に制限はない。それは日々の訓練で締め付けているぶん、夜間くらいは自由にさせてやろうという校長の意向だ。

 階を一つ降りた廊下を歩くユイは、すぐにレイの部屋の場所を知らないことに気づいた。夜十時を回って人通りも少ない廊下を見回し、知っていそうな人を探す。

 

「お、ユイじゃん。なんかキョロキョロしてるけど、どしたの?」


 と、そこで後ろから声をかけてきたのはシバマルだった。

 浴場から帰ってきたところらしく髪を湿らせている彼に訊かれ、ユイはその訳を話す。

「おっしゃ、任せとけ」と腕まくりするシバマルに、そんな張り切ることでしょうか、と内心で呟くユイ。

 彼女の疑問もいざ知らず先導して歩いていくシバマルは、それから前をまっすぐ向いたまま訊ねてきた。


「あのさ、ユイ……このあと、ちょっと時間ある?」

「時間、ですか? わたしまだお風呂入ってないので、長引くようなら明日以降に――」  

「い、いやっ、すぐ終わる用だから! その、ちょっと話したいことがあるだけで」


 なんてことない口調のユイに対し、シバマルは食い気味に返してくる。

 彼にしては珍しい気の逸った様子にユイが首を傾げる最中も、頭を掻く少年は彼女のほうを見ようとしなかった。


「着いたぞ」


 突き当たりまで来てようやく足を止め、シバマルはユイを振り返る。

 部屋前の表札には確かに「月居・早乙女」の名前が入っており、間違いはないようだ。


「ゆ、ユイ。あのさ……中庭で待ってるから、レイ先生との話終わったら来てよ」

「分かりました。あ、レイさんとのお話、そんな時間かからないと思います」


 そう言葉を交わし、シバマルが元来た道を引き返していったのを確かめてからユイは部屋のドアを叩いた。

 

「レイさん、起きてますか? わたしです、ユイです」


 周りに配慮して控えめにしつつ、それでも芯の通った声で呼びかける。

 一ヶ月半ひきこもり続けている彼が反応してくれることは、正直期待していなかった。だからユイは、数分待っても何の返事も寄越さないレイに苛立ちはしなかった。

 彼が起きていて話を聞いてくれていることを信じて、ドアに背中を預けたユイは話し出す。


「先日、『レジスタンス』から手紙、来ました。わたしに入隊を求める旨のものでした。【機動天使】パイロットとして、『第二の世界』ではなく現実世界で戦え――そんな『レジスタンス』側の主張はもっともで、以前までのわたしだったら迷わず志願書にサインしてました。でも……いまA組が必要としているのは自分なのではないか、そう思えて仕方ないんです」


 最近のユイはユキエと共にレイが作った特訓メニューをアレンジし、各生徒の指導に全力を注いでいた。

 実地での経験をさらに重ねた彼女がそこで重視したのは、「集団戦」の先鋭化。

 宇多田カノンの部隊が見せつけた高機動戦闘の再現を目標に、ユイは状況に合わせて陣形を自由自在に変えながら戦うスタイルを確立せんとしていた。

 しかしそれも、ユイが抜ければ実現が遠のいてしまう。

 だが同じく地上での『レジスタンス』部隊の戦いを目にしたレイならば、彼女の代わりとなりうる。

 ユイはそのことを淡々と話した。

 もし代わりを引き受けてくれるなら、ドアを叩いて合図してほしい。最後にそう付け加え、彼女は回答をしばし待った。


(……扉一枚がこれほど分厚く感じるなんて)


 背中に伝わる冷たい感触は、少年と自分とを隔てる境界線。

 その温度に、閉ざした心の扉の鍵を持つのは自分ではないと、ユイは悟ってしまった。

 やはり「彼」ではないかと。レイと最も深く結びつき、誰よりも絆を育んだ「彼」こそ、その鍵を握っているただ一人なのではないか――そう思わずにはいられない。

 結局、レイは何も言ってくれなかった。

 ただ寝ていただけかもしれない、と一言で片付けられるほどユイは能天気な人間ではない。

 もっと彼と距離を縮めておけばよかった、戦友ではなく「友達」として接すればよかった……そういった後悔が胸の奥底から湧き上がってくる。


「また、来ますね。クラスのこと、カナタさんのこと、話したいこと、たくさんありますから」


 そう告げて、少女はレイの部屋の前から去った。

 腕時計に目をやると、時刻はもうすぐ十時半に差し掛かろうとしている。足早に中庭へと向かうと、芝生に寝転がってシバマルは夜空をぼうっと見上げていた。

 彼はユイが声をかけてようやく気づいたらしく、「おう」と照れくさそうに笑う。

 噴水や花壇で彩られた広めの中庭に今いるのは、ユイとシバマルの二人きり。

 少年の隣に腰を下ろしたユイは、同じ空を見上げながら言った。


「すみません、遅れちゃって」

「いいって、レイ先生と話してたんだろ? おれだってあいつのことは心配だし、色々言ってやりたい気持ちとかは分かるから」

「わたしなんかよりもずっと、あなたはレイさんと近しい距離でしたからね。あなたの声にも応えてくれないと聞いて、分かってはいたつもりなんですが……」


 膝を抱えて顔をうずめるユイ。

 そこでふと、触れた温かい感触に彼女は顔を上げる。

 上体を起こした少年が自分の肩に、そっと腕を回してきていた。彼の高めの体温を肌で感じながら、それを拒むこともなく、ユイは自分から話を切り出した。


「シバマルさん……わたしに用があったんですよね。本題、入りましょうか」


 彼の腕がぴくりと動く。

「そ、そうだな」と緊張を纏うシバマルの横顔を見つめ、ユイは睫毛を僅かに伏せた。

 シバマルがこれから何を言おうとしているのか、察せないほどユイは鈍感ではない。先ほどは自意識過剰かもしれないと思い直したことだが、彼の頬の紅潮を間近に見て確信できた。

 少年の告白。

 男としてあなたという女性が好きだという、単純なお話。

 失ったものについて考えるよりずっと楽だ――心の準備よりも先にユイが考えたのは、そんなことだった。

 シバマルの告白を受け入れ、恋人になる。そうすればきっと楽になれる。恋で頭をいっぱいにしてしまえば、それ以外のことを思考から追い出せるから。

 クラスのこともレイのことも、カナタのことさえも、愛に溺れればかき消せるだろう。


「あ、あの……お、おれ、お前のこと……」


 緊張に少年の声がつっかえる。

 芝の上に置いた手をぎゅっと握る少年の視線は、逃げることなくユイを向いていた。

 想いを宿したシバマルの瞳は、綺麗だった。真っ直ぐで、純粋で、単純な原石のような目。ユイという少女と結ばれて磨かれるほどに、その瞳はさらに輝きを増していくだろう。

 眩しい、とユイは率直な感想を胸中で呟いた。

 しかし、好意だけを灯したそのイノセンスな目は――「彼」の姿を脳裏に呼び起こす。

 今はいない「彼」の笑顔。「彼」の声。日差しを受けて煌く銀色の髪に、サファイアの瞳。匂いを嗅がれて恥じらう可愛らしい顔も、からかわれて口を尖らせる少年っぽいところも、嘘はついたもののユイと向き合おうとしてくれた強い心も、全部好きだった。

 

「――好きなんだ。一人の男として、ユイっていう女の子が」


 全く誤魔化さないそのままの想いを、シバマルはユイへとぶつけた。

 同じことをユイは「彼」から言われたかった。あの夏の日、二人で出掛けたあの時、蝉時雨の降り注ぐ自然公園の一角で。

 だが、その願いは虚像に過ぎない。目の前で実像として浮かんでいるのは茶髪で犬っぽい雰囲気の少年で、ユイの恋した男の子ではない。

 

「――ごめんなさい。わたし、あなたとはお付き合いできません」


 だから、きっぱりと断った。

 歯切れの悪い言葉を使うのは彼の誠意に反することだと、彼女の心は訴えていた。

 恋を逃げ道にしようと一瞬でも考えてしまった自分を戒めるためにも、ユイは明瞭な口調で彼の告白を断った。

 

「そ、そうか。……お前の気持ちをちゃんと確かめられただけでも、良かったよ」


 俯くことなく、ユイの顔を見つめたままシバマルは笑っていた。

 頭をくしゃくしゃと掻き回しながら立ち上がり、「あー、振られちゃったかー」と空を仰いで声を上げる。

 その表情は芝に座っているユイからは覗けない。

 彼は顔を群青の星空へと向けたまま、変わらぬ爽やかな声音で訊ねた。


「もしかしてユイ、他に好きな人がいるとか? それってもしかして、ツッキーだったり?」

「……は、はい。よく、分かりましたね」

「そっか。何となくそんな気はしてたんだよな。あいつ、実力あるし、顔もいいし……おれなんかよりもずっといいやつだし。ユイだってあいつのほうが好きになって当然だよな、そりゃあ」


 少年の声が震える。嗚咽を堪えるように固く握られた拳にユイは手を伸ばし、そして、その手で包み込んだ。

 振った側の自分が慰めるような行為をするのは、彼のプライドを傷つける傲慢なのかもしれない。それでも一つ年上の女性として、年下の男の子が泣いているのを見過ごせるわけがなかった。

 

「おれは、ずるいやつだよ。ユイがツッキーのことを好きだって薄らと気づいてて、それでツッキーがいないタイミングを狙って告白した。あいつに戻ってきてほしいって思ってるはずなのに、都合がいい、って思っちまって……そんな自分が、心底嫌いだ。大っ嫌いだ」


 恋敵との真っ向勝負を諦め、彼がいない隙を突いて行動に出た自分は浅ましい男だとシバマルは吐き捨てる。

 猛烈な自己嫌悪に駆られる少年に、ユイはかける言葉を持たなかった。

 少女は少年の側に寄り添って、言葉の代わりに込み上げる涙を堪える彼の背中をさする。

 

「泣きたい時は泣いてもいいんですよ、シバマルさん。わたしはあなたの、あなたたちの側にいます」


 刘雨萓はまだA組から離脱するわけにはいかない。

 これはそのための決意表明だ。レイのこともシバマルのことも、他の皆のことだって「放っておけない」。

 利益など度外視した、感情に委ねた結論。ロジックの欠片もない選択は『レジスタンス』の上層部から鼻で笑われてしまうだろうが、ユイにはそんなことどうだってよかった。

 A組には自分のやるべきことが残っている。そして刘雨萓は、自分だけがやれることを何よりも優先したいのだ。

 自分には何かやれることがあったかもしれない――そうやって後悔するのはもう、嫌だったから。


「……良かったら」


 ごしごしと手の甲で涙を拭い、シバマルはユイを見つめた。

 そして、申し出る。


「これからも、友達として仲良くしてくれないか、ユイ?」

「もちろん」


 聞かれるまでもないことだった。ユイは即答し、彼に微笑んでみせる。

 目を細めた少女につられ、少年もまた破顔した。

 二人は肩を並べ、星空を見上げる。

 いつか、カナタやレイと共にこんなふうに綺麗な星々を眺めることが出来たら――二人がその時思ったことは、奇しくも同じであった。


「……失恋、初めてなんだ、おれ」


 ぽつり、とシバマルが独白するように呟いた。

 ユイは隣に佇んだまま、夜風に青い髪を揺らしながら耳を傾ける。


「というか、誰かに告白するのも、誰かに想いを伝えなきゃ気がすまないくらいの恋をしたのも初めてだった。女の子を見て可愛いだとか綺麗だとか、その……エロいとか思っても、積極的に行動しようとは思えなかった。おれはおれで、女友達は女友達で……そんな、そのままの関係を崩したくなかったから」


 犬塚シバマルは昔から、そのひととなりの良さもあって友人は男女問わず多かった。

 彼は自分から告白することもなく、女の子から告白されてもその都度断ってきた。

 彼女がほしいと騒ぎ、モテる男友達からは童貞としてイジられる。それが自分の「キャラ」だと思い、これまで甘んじてきた。

 自分のせいで誰かを不快にさせたくない。気まずくさせたくない。そのため彼は自分のキャラを守りながら、友人関係に変化が起こるのを極力拒んできた。

 

「でも……ツッキーやレイ先生が抜けてクラスの形が変わっても、ゆきっぺやかおるん、かっちゃんやいおりんたちは頑張ってた。関係性や居場所の形が変わっても、自分がやれることを必死に探してた。そんな姿を見てるとさ……おれってちっさいな、って思ったんだ。振られた後のこと考えて告白に踏ん切りがつかないって、ダサいなって」


 たとえ振られても関係性が崩れないように努力する。失恋の悔しさを飲み込んで、笑顔でいる。叶わなくてもそれをウジウジ引きずらず、切り替えていく。

 そうする勇気を、少年は仲間たちの姿から得た。

 仲間が苦しみながら前へ進もうとしているのに、自分だけ踏みとどまっているのは違うと思えた。


「話聞いてくれてありがとな、ユイ。急がないと大浴場閉まっちまうし、このへんで解散にするか」

「いえ、わたしも感謝しています。私事ですが、気づきを得られたところもありました」


 感謝を告げ、それから「おやすみなさい」と手を振って別れる。

 シバマルもユイも表情は晴れやかだった。

 やるべきことをする勇気、やるべきことをやる決意。それらを胸に、二人は歩みだす。

 彼らを祝福するように、群青の空に一筋の流れ星がきらりと過ぎった。

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