第八十一話 壊れる世界 ―A fragment of a bird of fly front disappeared, and the sun set.―
依って立つ地面が崩壊するような感覚だった。
決して予期していなかった最悪のシナリオ。
無論、地上で戦って無事に帰れる保証がなかったのは分かっている。それでも、彼らなら必ず生きて戻ってきてくれると思い込んでいた。
その信頼の無責任さを忘れ、一人で涙を流している自分は愚かだ。
彼女の内なる狂気に気づかず、その悲劇を止められなかった自分は無力だ。
何のための才能だ。何のための努力だ。自分は何のために――今まで、必死に訓練を重ねてきたのか。彼や彼女と築いた関係は、過ごした時間は何のためにあったのか。
――また、守れなかった。
姉や仲間たちを犠牲にして自分は生き延びた。
大切な人を見捨ててまで生き延びんとした己の醜さと、「敵を倒して生き残る」選択を取れなかった己の弱さを早乙女・アレックス・レイという少年は呪った。
二度と同じ過ちを犯さない、そう誓ったはずだった。
なのに――また、失った。
自分に未来を見せてくれた少女。
これまで深く関わることはなかったものの、クラスの中心で頑張る姿はずっと見てきた。クラスメイトの士気を高める言葉選びができ、皆の状態を逐一把握できる広い視野を持つ彼女はパイロットとして心から尊敬していた。快活な笑顔や弾む声は自分にとって眩しすぎるものだったけれど、銀髪の彼の隣でそれを見ていると不思議と安心できた。
その笑顔はもう二度と見られない。クラスの中心だった彼女はもう、還らない。
遺体すら回収できなかったと聞いた。爆発で木っ端微塵になってしまったのだ、と。
都市に戻ってきたのは彼女の機体、【ラファエル】の首から下のみ。『レジスタンス』の者たちは「幸いなことに吹き飛んだのは頭部だけで、胸の「コア」はほぼ無傷だった」と言っていた。それを聞いてレイは必死に反駁を抑えなければいけなかった。
――彼女が死んだというのに、何が幸いなのか。
握った拳が怒りに震えた。しかしその怒りも、他の者からしたら裏切り者に対するそれとしか見られなかった。
瀬那マナカは人類の敵になり、そして月居カナタとの戦いの果てに自害した。少女は「裏切り者」で、少年はそれと戦い抜くも燃え尽きた「英雄」として処理された。
マナカが死に、同じく「裏切り者」であるアキラが姿をくらました以上、真相の深掘りなどできるはずもない。二人についてそう認識されたことに異議を唱えるつもりも、レイにはない。
だが、レイには信じられなかった。嘘だとしか思えなかった。
瀬那マナカは太陽のような少女だった。誰からも愛され、クラスを引っ張っていってくれていた彼女に人を攻撃する理由などなかったはずだ。
レイに希望を抱かせてくれたのはマナカだ。
カナタと同じ夢を見たいと思わせてくれたのはマナカなのだ。
希望ある未来を共に行こうと決めた。あの日――三人で『レジスタンス』の研究所を見学しにいった時、モノレールの中で改めて言葉にした。
人が笑顔で暮らせる世界。皆が平穏に生きられる未来。
しかし彼女が放った爆撃と光の剣は、【異形】らが人類を蹂躙したのと同じ惨劇をもたらした。それは彼女が目指したものに真っ向から反する行為だった。
きっと何かそうせざるを得ないわけがあった。そうでないと辻褄が合わない。
だが、真相を語れるであろう唯一の人は、黙ったまま何も応えてくれない。
何度も名前を呼んだ。何度も手を握った。何度もその目を見て話しかけた。
なのに、思いは届かなかった。
彼の瞳は虚ろだった。目の前にいるレイを視認できているはずなのに、それが誰だかさえも分からなくなってしまっているようだった。
学園の養護教諭にして元軍医の沢咲アズサ女史によると、彼は強い精神的ショックを受けて急激な脳の萎縮を起こしてしまったのだろうということだった。
『コア』を通じて脳に干渉すれば治療の手立てはあるかもしれないが、現在の医療では脳について未だ不明な点も多く、すぐに回復させるのは困難だろうとも彼女は言っていた。
沢咲女医の言葉を信じるなら、カナタはいつか回復する。だがそれがいつになるかは分からない。数ヶ月後かもしれないし、五年後、十年後、あるいは五十年後になる可能性だってある。
なぜ――答えの返ってこない問いを、レイは何度も瞼の裏の闇へ投げかけ続けた。
ベッドに蹲り、布団を頭から被って耳を塞ぐ。
聞こえてこない寝息を聞きたくなかった。夜中にこっそり見ていたスマホの光を意識したくなかった。何をやり取りしているのか時折こぼす小さな笑い声も、思い出したくなかった。
同じ部屋で寝ていた相棒は、ここにはいない。
彼は『レジスタンス』本部、『メディカルルーム』の一つに移送されていた。脳波を測るためのヘッドセットを常に装着し、点滴を打たれながらベッドに横たわり続けている。
「どうして……どうして、いなくなってしまったんですか。ボクは君さえいれば何でもできた。君とならどこへだって行ける――そう、思っていたのに……」
比翼の鳥の片割れはいなくなった。
希望を目指し蒼穹へ飛び立つ前に、その翼はもがれてしまった。
鳥たちを導く太陽も、同時に沈んだ。
もう、レイは飛べない。闇の中を一人きりで飛んでいけるだけの勇気は、今の彼にはない。
堪えていた嗚咽が漏れ出る。せき止めていたはずの感情が何度目ともしれない決壊を起こし、彼の布団を湿らせた。
*
夏休みが終わり授業が本格的に再開される、9月1日の朝。
七瀬イオリは普段より早起きして身支度を済ませ、食堂に足を運んでいた。
向かったのは料理を受け取るカウンターの脇に併設されている、手作りのパンやおにぎりといった軽食が売られているコーナー。
そこに足を運ぶのが習慣となった黒髪の少年を迎え、食堂のおばさんはニコリと笑う。
「イオリちゃん、おはよう。毎日偉いね、友達のご飯を受け取りに来るなんて」
「おはようございます、おばさん。昼間は任せっきりですから、朝と夜くらいは俺が来ないと」
「それでも偉いよ、あんたは。引きこもりの友達に対して普通そこまで親身にしないよ。大概が愛想つかして疎遠になったりするもんさ。よっぽど特別なんだね、あんたにとってのその子は」
憂いを帯びながらも笑ってみせるイオリに感心するような口調でおばさんは言った。
あんぱんとジャムパンを見比べて迷っている少年は、その言葉に「ええ」と頷き返す。
「あいつは俺に、戦う理由を思い出させてくれた。強くなりたいっていう俺に付き合って、遅くまで特訓に付き合ってくれた。それなのに……俺はあいつにまだ何も返せちゃいない。だから、少しでもいいからあいつの助けになりたくて……」
マナカが死に、カナタが目覚めなくなってから、レイは寮の部屋に引きこもるようになってしまった。
夏休み中の訓練にも参加しなくなった彼を責める者は、クラスの中に誰ひとりとしていなかった。彼とカナタ、マナカとの仲は皆が知るところであり、彼が受けたであろうショックの大きさも理解していた。
彼のために毎日食事を部屋に届け、声をかけているイオリも気持ちは痛いほど分かる。
だから彼はレイを無理に部屋から出そうとはしなかった。
喪失の傷を癒すには時間が必要なのだ。それが何ヶ月、あるいは何年になるかは定かでないが、たくさんの時間が。
「そのパン、半額にしてあげるよ。ついでに野菜ジュースもタダでつけてやる。友達思いのいい子には、サービスしてやらにゃあね」
「ほ、ホントですか!? ありがとう、おばさん!」
破顔一笑するイオリは会計を済ませると、すぐに引き返してレイの部屋へ直行した。
レイの朝は早い。それに今日は学校が始まる日だ。
もしかしたら――そんな期待があった。
扉を叩くと、やはり昨日までと同じく反応があった。だが扉一枚隔てたレイの声はいつにも増して弱々しく、切羽詰っているようにも聞こえた。
「なあ、早乙女。たまにはさ、部屋、入れてくれよ。ドアの前に食事置いて帰るだけってのも味気ないし、お前の可愛い顔も長いこと見てないなーって思ってさ」
冗談めかした軽い口調で言うイオリ。変に重苦しくなるよりはこのほうがいいだろう、と判断してのことだったが――
「……なんで、笑えるんですか。マナカさんも、カナタもいないのに……なんで……!」
レイの声が嗚咽混じりだったことに、彼が声を張り上げてようやくイオリは気がついた。
イオリが来る前からずっとレイは泣いていたのだろう。独りきりになった部屋で、誰に守られることなく。
配慮が足らなかった。レイの痛みの大きさを分かったつもりになっていても、本当は何も理解できていなかったのだ。
恩返しのためにしてきたことも、もしかしたら上辺だけの付き合いだったのかもしれない。
自己嫌悪に駆られる黒髪の少年はただ一言「ごめん」と呟くだけで、それ以上何を話すこともできなかった。
「いおりんおはよー。レイ先生、今日はどうだった?」
教室に入ってくるなり先に着いていたイオリに訊いてくるのは、犬塚シバマルだ。
時刻はチャイム五分前。寝坊したらしく寝癖が犬耳のようになっているシバマルを指差してクラスの女子グループが笑い、それでようやく「マジかよっ!?」と彼も気づく。
ムードメーカーである彼が来ることで教室内の温度はにわかに上がった。
だが、「違和感」をかき消すまでには至らない。
マナカとカナタ、レイのいない教室はピースの欠けたパズルのようなものだった。
男女問わず頻りにクラスメートに話しかけていた少女、ヘッドホンを付けてぼんやりとしていた銀髪の少年、読書に興じながらも横からちょっかいをかけてくる駄犬に応じていた金髪の少年――いつもの朝の光景が見られない不自然さは、クラスの皆の表情にどこかぎこちなさをもたらしている。
「今日も変わらずさ。授業も始まることだし、これからは配られた資料とかも持ってってやんないとな」
「優等生のレイ先生だから、来るかもってちょっと期待しちゃったけど……おれらが思ってるよりずっと深刻なのかもな」
イオリから一個前の席に荷物を置き、後ろ向きに椅子に跨るシバマル。
ホームルームが始まるまでの時間を彼と駄弁って潰そうとしていたイオリだったが、そこで登校してきた少女の横顔を見て口を閉ざした。
清楚な印象を与える、艶めく黒いロングヘアーの少女。
冬萌ユキエ。冬萌ゲンドウ陸軍大将の娘にして、クラス委員を務める優等生である。
普段ならば凛と背筋を伸ばしている彼女は今、覇気を失った相貌で俯いていた。
その足取りはしっかりしてはいたものの、纏う雰囲気は明らかにやつれている。
彼女もレイと同じく相部屋の友を失った立場だ。それもレイとは異なり永遠の別れという形で。
にも拘らずユキエが教室に来れているのは彼女の強さか、あるいは相方との関係がレイより薄かったためか。
どちらにせよ、彼女を軽んずる理由にはならない。
何か声をかけるべきかとイオリが言葉を考える中、真っ先に動いたのは風縫カオルだった。
「何しょげてんのよ、優等生!」
白髪赤目の小柄な少女の口調は、驚くべきほど普段と変わっていなかった。
項垂れて席に着くユキエの前に立ち、机をバンと叩く。
その衝撃に肩をびくつかせ顔を上げるユキエに、カオルは荒い言葉で言い放つ。
「カナタくんもレイくんもマナカさんもいない今、クラスをまとめて引っ張っていくのはアンタなのよ、優等生! だから、顔上げな! リーダーっていうのはね、皆の前で胸張っていくもんでしょ!?」
リーダーが落ち込んでいては何も始まらないのだと、カオルは激しい語気で主張した。
傷心の身であるユキエに対しても無遠慮に迫り、白髪の少女は憎まれ役を買って出る。
ショックを受けているのは皆同じ。だが、全員が俯いていてはクラスとして前に進むこともできない。
こういう状況だからこそ誰かが立ち上がり、皆を率いなければならないのだ。
そして、その役割こそ冬萌ユキエが担うべきだと風縫カオルは思う。瀬那マナカとはタイプの違う彼女だが、その聡明さは皆が認めるところだ。夏休みの間の訓練でもユキエは率先して他の生徒たちをサポートしており、他人を育てる力にも長けているように見えた。
パイロットとしても人としても半人前だと自覚しているカオルよりも、ユキエはずっと優れている――白髪の少女自身決して口にしたくなかったその意見を、ユキエは汲んだ。
「……そう、ね。早乙女くんの代わりが務まりきるかは分からないけれど、私、頑張るわ」
ユキエは顔を上げ、そう凛然と言った。
彼女の表情から憂いが完全に取り払われたわけではない。しかし、そこには新たに鋭い剣のごとき覚悟が宿っていた。
その真っ直ぐな眼差しにカオルは笑みを返す。敢えて強い言葉を放ったのがいい結果を生んだことに、彼女は安堵した。
皆が彼女らに注目していた中、チャイムと同時に教室入りしてきたのは担任の矢神キョウジである。
見つめ合う少女二人の様子に男はずり落ちかけていた眼鏡を直しつつ、「思ったより大丈夫そうだな」と呟いた。
「……先生。ホームルームの時間を借りて皆に話したいことがあります。よろしいでしょうか」
「構わんさ。俺からの連絡事項は大したもんじゃないし」
申し出たユキエにそう許可して、キョウジは教壇の前のスペースを少女に譲る。
決然とした足取りでそこに立ったユキエは、ここにいない三人の席にそれぞれ視線を送って瞑目した。それから数秒の間を置いて、呼吸を整えた彼女は話し出す。
「瀬那さん、月居くん、早乙女くん……私たちA組にとっての三本の『柱』は抜け落ちてしまった。私は辛い。三人と付き合いがあった他の子たちも、きっとそうでしょう。でも……ここで立ち止まってしまったら、これまで支えてくれた三人に示しが付かないわ。瀬那さんは私たちを勇気づけてくれた。月居くんはその戦い方をもって行く道を示してくれた。早乙女くんは私たちをパイロットとして育ててくれた。そんな三人が導いてくれた道を、私はこれからも皆と一緒に歩んでいきたい。いま、こうしてここに立っているのは……皆の意志を、確かめたかったから」
ユキエはA組の生徒たち全員の顔を順に見つめながら問いかけた。
いま話したことはあくまでもユキエ個人の意思。それを肯定するのも否定するのも、他の子たちの権利だ。決して意見を押し付けず、選択は個々人に委ねる。
「皆は、どうかしら? 私はリーダーとしては未熟かもしれないけれど……いま言ったことに共感してくれたのなら、ついてきてくれると嬉しい。そうでなかったとしても、言いたいことははっきりと言ってくれると助かるわ。どんな意見も私は拒まない。正直に思ったことを教えてほしいの」
自分をリーダーとして認めてくれるか、とユキエは皆に訊ねた。
カオルは彼女に資質を見出し、ユキエ自身もその期待に応えるつもりでいたが、まだクラス全体の意見は聞けていない。
その答え次第ではユキエの今後も、クラスの形も変わってくる。
教室が静まる中、最初に挙手したのは真壁ヨリだった。
引っ込み思案な彼女は皆の視線に緊張して俯きながらも、明瞭な口調で胸の内を明かす。
「あ、あの……私はユキエちゃんがリーダーになってくれると嬉しいなって、思います。ユキエちゃん、普段はクールで何考えてるか分かりにくいところもあるけど、や、優しい子だから……わ、私みたいな地味な子にもちゃんと声、かけてくれたりするし……」
憧れ、信頼、そして秘めたる好意を眼差しに込めて、胸に手を当てるヨリはユキエを真っ直ぐ見上げた。
次に「俺も賛成!」と言ったのは日野イタル。
ヨリと共に後衛部隊で戦った少年もまた、ユキエに対しては厚く信頼していた。
「俺はさ、ちょっと他の奴らより出来が悪いけど、冬萌はそんな俺のことも見捨てずに色々教えてくれたんだ。自分がよく出来るからって決して傲らずに、俺なんかと同じ目線に立ってくれた。冬萌がリーダーになってくれるってんなら、俺も嬉しいぜ」
それからシバマルやイオリ、リサといった面々も賛成の意を示し、他のメンバーも頷いていた。
最後にユキエは、つまらなさそうに窓の外を眺めているカツミから意見を求めた。
訊かれた不良っぽい少年は、「やりたきゃ勝手にやれ」と唸るように答える。
『プラント奪還作戦』の出立直前、勝利を誓って拳を突き合わせたレイがいないことに、カツミは苛立ちを隠せずにいた。
自分に一度赤っ恥をかかせ、それからも上から目線で偉そうに色々言ってきたいけ好かない奴。それでも実力は本物で、認めざるを得なかった。尊大な態度も女のような見た目も気に食わないが、それでも仲間として信じてやろうと思っていたのに――言いたいことさえ、言えなくなってしまった。
「……ありがとう」
皆からの言葉にそう感謝して、ユキエは微笑んだ。
A組はここから再び進み出す。彼女と共に、今はいない彼らの思いを背負って。




