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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第八十話 魅入られたもの ―Queen and manservant―

 理智ある【異形】がワームホールより出現させた、複数体にも上る『第一級』の襲撃。

 そして似鳥アキラ、瀬那マナカ両名の裏切りによりもたらされた多くの被害。

 作戦失敗の要因として挙げられた二点について、精査できる情報はあまりに少なかった。

 一瞬にして対象を別の場所に転移させる魔法。これまで開発された魔法に類似するものが一切ない【異形】のそれは『第一師団』の空挺設備ではろくに解析できず、ワームホールがどこに繋がっていたのか、魔法の発動者はどこにいたのかも判明させられなかった。

 二点目についても似鳥アキラは逃亡、瀬那マナカは死亡しており、真相の手がかりに近づいたといえるのは月居カナタただ一人であった。

 しかしカナタは心神喪失にまで追い込まれ、物言わぬ人形と化してしまった。そんな彼から情報を引き出すことは当然叶わず、『レジスタンス』は真相の究明を断念せざるを得なくなった。

 御門ミツヒロ空軍少将は似鳥アキラ大尉の叛意に勘づいていたが、彼が【異形】に関与していた以上の情報は持っていなかった。

 気づいていながら見逃したことを告白したミツヒロは、少将から中佐への降格処分を受けた。

 彼の行為は裏切りの幇助ほうじょであるという声もあったが、優秀なパイロットを手放すわけにもいかない『レジスタンス』としてはそういう処分に留めるほかなかった。

 

「……御門少将、下がりなさい」


『レジスタンス』首脳陣が集う『円卓の間』にて行われているのは、各師団の高級将校たちからの報告と、青年の咎を裁く簡易的な軍事裁判。

 提出された報告書を陸・海・空軍の各大将らと共に確認し、ミツヒロの処罰も手早く決定した月居カグヤの表情は一見、冷静さを崩していないように思える。

 だが、彼女に近しい富岡やシズルは、その最高司令としての仮面の下で母親としての彼女の顔が苦渋に歪んでいるのだと察していた。

 一礼して席に着くミツヒロを見やるカグヤの横顔にある憂い――それを取り払えるだけの言葉を持つ者は、この会議室のどこにもいない。

 

「では、今回の会議はこれで終わりにしましょう。冬萌大将、ミラー大将、マトヴェイ大将……あなたたちは明日の首相との会合に同席してもらうことになるから、そのつもりで」

 

 厳粛に頷く剛毅木訥ごうきぼくとつな陸軍大将、蓄えた顎鬚を掻き毟る海軍大将、隠そうともせず溜め息を吐く空軍大将と、その様子は三者三様。

 一致しているのはただ一点、敗戦の報告への憂鬱だ。

 会議が解散となり、ひとり足早に退出していく司令を追おうとする者はいない。

 常に彼女に付き従っている富岡も、今回ばかりは部屋の隅に佇んだまま自らの所在を迷っているようだった。


「……いいんですの、付いていかなくて?」


 咥えた煙管に火を点け、紫煙をくゆらせながらマトヴェイは富岡に流し目を送る。

 カツ、とブーツを鳴らす足を止めた女装の麗人に、老紳士は掠れた声を返した。


「……お嬢様は慰めの言葉を嫌うお方です。下の者わたしなどに哀れまれても逆効果でしょう」

「彼女を女王様に仕立て上げたのは貴方でしょうに、おじ様」


 遠慮などかなぐり捨てた辛辣な口調で言い、マトヴェイは不快感をあらわに唇を歪める。

 そんな彼に富岡は何を反駁することもなく、眼鏡の下から黒い眼差しを青年に向けるのみだった。

 普段は軽薄な態度のマトヴェイが纏った剣呑な雰囲気に、冬萌大将やミラー大将らの視線は否応なく集まる。

 無言で対峙する二人。先に折れたのは、マトヴェイだった。

 やってらんない、彼はそうこぼしながら長い赤髪を揺らす。


「――ミツヒロ! 話があるわ、さっさと来なさい」

「は、はいっ、すみません!」


 彼のほうを見もせずにつっけんどんな声を飛ばすマトヴェイ。

 気まずい空気に身を縮めていたミツヒロはがばっと直立し、早足に上官の後を追っていった。

 それから他の若い将校や【七天使】たちも退出していき、老兵たちが残される。

 長い沈黙の後、最初に開口したのはミラー大将だった。


「……辛さは皆、同じですな」


 慎重に精査し、考え抜いた末に絞り出したような短い言葉。

 皆の気持ちを一言で代弁した海軍の豪傑に、冬萌大将は「うむ」と一言唸った。


「若い命がまた、数多く散った。新進気鋭の【機動天使】の一人は裏切った末に死に、司令の御子息は再起の困難な傷を負った。戦場で失われるものは少なくないと自覚していながら、無力さに打ちひしがれそうになってしまうのは……どうしようもない人の弱さなのでしょうな」


 この場で最も若い黒人の将は天井を仰ぎ、嗄れた声で呟いた。

 富岡は身動ぎしない。呼吸の音さえ立てない。彫像のごとく佇む老紳士を一瞥し、子を持つ父として冬萌大将は言う。


「富岡どの……カグヤ司令が幼少の頃から彼女に付き従い、カナタくんも小さい頃から見守ってきたあなたの思いは理解できます。子と孫、その両方に悲劇が降りかかったような状況は何より辛い。……けれども辛い辛いと言うばかりでは、何も解決などしませんよ。時間が辛さを押し流してくれる――そう言っていられるほど、我々に余裕はないのだから」

 

 辛くとも前に進み続けなくてはならない。どれほど失敗しようが、そのために政府や市民から叩かれようが、【異形】に抗う組織が『レジスタンス』以外にない以上は戦い続けねばならないのだ。

 富岡という男は月居カグヤに()()()()。故に彼はカグヤが表舞台に立っている間は隠居など許されない。否、カグヤが生きている間、といったほうが正しいだろう。

 彼はカグヤの秘めたるものを――『ブラックボックス』を知っている者の一人なのだから。


「……気遣いを感謝いたします、冬萌大将、ミラー大将。しかし……富岡めが憂いているのはお嬢様やお坊ちゃまのことではないのですよ。わたくしが憂うのは『未来』……お坊ちゃまの心が凍りついた後の、『彼ら』との関わりです」


 その台詞の意味を両大将は捉えきれなかった。

 彼らはカナタが【異形】との対話を求めたことを知らないのだから、当然だ。

 カナタ自身もそのアプローチについては前期期末試験の『巨影型』戦を共に戦った面子――レイ、ユイ、カオル、カツミ、イオリ、そしてマナカ――にしか語っていない。

 学園に忍ばせた『諜報員』であるカオルからその情報を得ていた富岡は、カナタが動くなら相応の根回しをするつもりでいた。

 女王と王子の忠実なる従僕として役割を果たさんとしていた富岡だったが、運命の歯車は動き出す前に錆び付いてしまった。これでは彼にやれることは何もない。

 彼は所詮、召使いなのだ。自分にはこういう生き方が相応なのだと、彼は長い人生の中で身に染みて分かっている。

 今の富岡の心情は辛さや憂いよりも、落胆、と表現するのが最も的確だろう。

 

魔導書ゴエティアに記されしシナリオを遂行するには『駒』が不可欠……お坊ちゃまの代役を用意する必要がありそうですな。しかし……)


 最初に期待した『駒』の女はカグヤや富岡の理念に真っ向から対立し、既に追放されている。

 こちらから関係を断った手前、今更呼び戻すこともできまい。

 上司の足元ばかり見ている雌猫カオルは論外だ。他の子供たちもカナタほどの「適正」を持ってはいない。少年の次点に優れていた少女は、この世から去ってしまった。 

 

「……新たな【機動天使プシュコマキア】の選定が急務になりますな」 


 老紳士はそう独りごち、歩き出す。

 その背中には既に先ほどまでの暗く沈んだ様子はなく、次なる目的に向けて生気を滾らせる男の執念のようなものが浮き出ていた。



 大将たちですら真意を見通せない老紳士の向かう先は、『レジスタンス』基地の最深部であるSAM訓練場に繋がる廊下。

 自分のすぐ後に会議室を退出した両大将を撒いたのを入念に確かめた上で、彼は自身とカグヤ、そして追放された女だけが鍵を持つ「とある隠し扉」を開いた。

 解錠し押し開けた鉄の扉の先にあるのは、最深部のさらに地下へと続く螺旋階段である。

 人の熱を感じ取って点灯するオレンジ色の光芒が、男の影を壁に描く。

 規則的に打たれていた足音はしばらくして鳴りやみ、次いでギィーッ、という鉄扉が開く音が響いた。

 白い照明がそこに足を踏み入れた男を迎える。


「……先にいらしていましたか、お嬢様」


 この空間の照明も赤外線を感知して点く作りとなっている。それが先んじて点いていたということは、つまりそういうことだ。

 SAM訓練場をゆうに超える広さの、円形の地下空間。

 床や壁は岩盤が剥き出しとなっており、中央の巨大な『支柱』とコロシアムのごとく壁面に等間隔に並ぶ『柱』以外に目立ったものはない。

 極太の『支柱』にはそれをくり抜いて作られた台座があり、そこには一機のSAMが鎮座していた。

 無数の黒いコードに繋がれて眠っている純白のSAMの前にカグヤは立ち、それを見上げていた。

 

 そのSAMの名は、【輝夜カグヤ】といった。

 富岡がカグヤ当人と重ねて名付けた、『レジスタンス』が創りし「眠れる獅子」。

 人の魔力を際限なく喰らって力を増し、最終的にはパイロットを使い物にならなくする呪われた機体。

 危険すぎるあまり封印されていたこの機体の前に、カグヤは度々足を運んでいた。その様はいつか来る戦いの時に備えて覚悟を改めているようにも、その機体の白が放つ美しさに見とれているようにも見えた。


「……富岡」


 扉が開いた音に振り返ることなく、銀髪の女は呟いた。

 その声音には少しの苛立ちが滲んでいる。ここは彼女が素の自分を曝け出せる場所であり、そんなところに他人が入り込んでくれば不快感を覚えても仕方がない。

 普段は決してここで鉢合わせぬようにしていた富岡だったが、事情が事情だ。

 女王のプライドを刺激しないように、男は事務的に話しかける。


「空いた穴はすぐに埋め合わせる必要があります。お嬢様、新たな【機動天使】の選定を」

「……ええ、ええ、そうよね富岡。私は『レジスタンス』の最高司令だもの、どんな時だって職務に努めなければならないわよね」


 無機質な男の声に反して、女のそれは自棄になったかのように刺を有していた。

 立場をかなぐり捨てて自由の身になりたい――そう思ったことがないと言い切れるほど、カグヤは強い人間ではなかった。

 しかし彼女には悲願があった。何にも代え難い欲望があった。それを叶え、自身を満たしきるまでは司令職を手放すわけにはいかなかった。


「……理解しているわ、そんなことは。『シナリオ』を予定通り進め、私自身の願いも叶えてみせる」


【輝夜】から視線を離し、カグヤは壁面の一角――柱の一本へと足を運んだ。

 その前で立ち止まり、手を伸ばしてそこに触れる。

 柱に埋め込まれているのは大きな強化ガラスの水槽。

 そしてその中に浮かぶのは、冷凍保存された『甲虫カブトムシ型』の【異形】であった。

 女は水槽の表面にぺたりと両手を付け、そこにしなだれかかるように中の【異形】を陶然と見つめた。

【異形】とは人類の大部分を死滅させた怨敵であり、憎み、征伐すべき対象。

 無論、月居カグヤにとってもそれは同じことだ。だが彼女が常人と異なったのは――その敵の中に「美しさ」を見出してしまったこと。

 

 ヒトにはない強靭な肉体。SAMや『コア』を介さずとも魔力を使いこなせる力。殺戮に特化した進化を繰り返し、弱肉強食の世界を生き抜かんという生命力。ヒトの心に原初的な恐怖を呼び起こす、凶悪にして魁偉なる容貌。

 科学者として【異形】について研究し、その姿を解剖していくうちに彼女はそれらに魅入られてしまった。

 月居カグヤは【異形】を支配したい。征服したい。管理したい。

 そうすれば素敵な【異形】たちを自分の目の届く場所に永遠に飾っていられる。美しい彼らの肉体にこの指で触れ、その魔力を肌で感じていられる。


 彼女の目指す先は【異形】のいない世界ではない。

【異形】を完全に人類の管理下に置く世界――それを作るために、【異形】らの反抗さえも押さえつけられる圧倒的なSAMの開発に勤しんできたのだ。

【七天使】も【機動天使】も、全てはそのためにある。

【レリエル】や【ラミエル】の魔法が【異形】を殺さず動きを封じるのに特化しているのも、それゆえだ。

【イェーガー】の獣を思わせる顎やヒトと比較して奇妙に長い四肢も、その設計者が【異形】に魅せられたからこそ生まれたものであった。


「あなたたちがどこからやって来たのか。なぜヒトばかり執拗に襲うのか。気になるところは尽きないけれど……それが解明できなくても私は構わないの。彼らをこの手に収められれば、それでいい」


 年齢にそぐわぬ不自然に若く美しさを保った顔に並々ならぬ生気を宿し、女は嗤う。

 円形の大空間を壁沿いに歩きながら、彼女は各柱に埋め込まれたガラスケースの【異形】たちを等しく愛でていく。

 醜悪な顔をした深海魚に似たもの、巨大な爪を持つ大型のナマケモノのようなもの、生きている間は死臭を常に漂わせるコウモリ型のもの……他にも『狼人型』や『凶鮫型』、『子鬼ゴブリン型』などそれぞれの柱に飾られている種は様々だった。


「ねぇ、富岡……私、綺麗よね?」


 地下空間を一周し終えたカグヤは、入口付近で微動だにせず待機していた老紳士へと訊ねる。

 澄んだ青い瞳に宿る感情は、彼女が幼い頃からずっと変わっていない。

 少女の幼気な欲求に応じてきたのは、いつだって富岡だった。

 彼女の心に棲みつく毒蜘蛛の存在に気づいたその時、彼はその冷たい毒に心酔させられ――一生涯彼女の奴隷であり続けられることに、歓喜の涙を流した。

 男もまた、何かに「魅入られた」者。

 女王の眼差しに身体をぶるりと震わせ、富岡は「ええ」と穏やかな笑みを浮かべてみせる。


「……お嬢様は永久とわに、美しゅうものでございます」

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