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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第七十七話 マオの真実 ―Egoist, heroine of tragedy or--―

 全ての魔力は出し尽くした。

 この戦場にはもう、瀬那マオの【ラファエル】に出来ることなどありはしない。

 憎んでやまなかった大人たち、汚い眼差しを送ってきた男たち、マオに一切の関心を持たないどころか軽蔑の目で見下してきた女たち――それらを黒い炎で焼き尽くせたにも拘らず、しかしマオの胸に満足感や達成感の類は沸き上がらなかった。

 それは何故か? 答えは明白だ。

 彼女にとって敵は世界の全て。自分以外のあらゆる人間が、殺し尽くしたい対象なのだから。

 今回殺したのはその一部に過ぎない。マオと同じ都市で暮らしながらも彼女のことを救わなかった人々全てに報復しなければ、彼女の怒りは収まらないのだ。


『新東京市』を崩壊させること、それが彼女の最終目標だ。

 今回の襲撃で負わせた被害は人類側の痛手となり、その損害をカバーし終えるまでに次の一手を打つ――【異形】の『共同体』の首脳陣が打ち出す戦略と、彼女の願いは一致している。

『お姉ちゃんは十分やったよ』とチュウヤが言うように、作戦としては上手く運んだ。

 それなのにやり切れなさが残るのは何故なのか。頭の隅に引っかかる「違和感」のおおもとは何なのか。

 自身の魔力を全て消費し、非常用電源での自動運転に切り替えたマオは黙考するが――すぐにその答えにたどり着いた。


「……月居カナタ……!」


 そうだ。あいつだ。

 彼の言葉がマオを惑わした。

 最後に彼が発した台詞――あれは何だ。

 瀬那マオにとって世界の全ては敵であるはずだ。殺し合う相手であるはずだ。しかしカナタはそれを否定した。

「君は世界の全てに嫌われているわけじゃない」、そう言って。 


(嗚呼、もう……)


 考えたくなどない。

 誰にも救いを与えられなかった悲劇のヒロインとしてのアイデンティティを壊されてしまうことが、今の彼女にとっては何よりも恐ろしいことだった。

 彼女は自分が大嫌いだ。嫌われて、無視されて当然の人物だと思い込んでいる。それでも自分の存在は主張したくて、「力」を振るった。それ以外の手段は知らなかった。


『っ、お姉ちゃん!』


 微睡みに落ちていく少女の思考は、弟に叩き起こされた。

 驚倒と警戒を綯い交ぜにした鋭い声に、瞼を引きちぎる。

 何があった――顔を上げる先には、こちらを見下ろす白銀のSAMがいた。


「なんで……なんで、死んでないのよ!?」


 その機体は無傷だった。あれだけの光の奔流に呑まれながら、平然とそこに佇んでいる。

 理解できない。あれは瀬那マオの最大の攻撃だ。彼女の持てる魔力全部を注ぎ込んで放った、必殺の一撃だった。あれに巻き込まれた者は例外なく爆発して死ぬ、それが道理であるはずだった。

 にも拘らず、何故。


「ま、マオさん。き、君にはもう、戦う力は残っていない。そ、そうでしょ?」


 訊いてくる少年にマオは何も返さなかった。

 理解の埒外にいる少年に対し、彼女の思考は停止していた。魔力の欠乏が頭の回転を著しく遅らせていることも、それに拍車をかけた。

【ラジエル】の周囲に漂っているのは、銀色の光の残滓。

 それが【アポカリプス・レイ】によるものではないと、マオは直感的に悟った。彼女の攻撃を防いだ、少年の魔法――あれは、その発動跡なのだ。


(【異形】の魔法にあんなものはなかったはず……まさか、土壇場で自ら新たな技を生み出していたのか……!?)


 チュウヤはカナタが何をしてのけたのか、正しく理解していた。

 マオの光の波濤はとうが【ラジエル】を呑み込まんとした時、機体の周囲をまゆのように覆って守った黒いオーラ。

 破滅の光に対する、守護の闇――分厚い心の壁を持っていた少年だからこそ生み出せた、悪意を阻む意思の壁であった。


「ま、マオさん……さ、さっき最後まで言えなかったことを、言うよ」


 互いに非常用電源にシフトし、緩やかに降下していく二機。

 マオと向かい合ったカナタは、未だ赤い光を灯す【ラファエル】の眼を真っ直ぐ見据えて開口した。

 

「ぼ、僕は、君と一緒にいたい。た、たとえ君が僕のことを嫌っても……僕は君を想うから」


 マオにいま話しているカナタの表情は見えていない。

 だが、それでも彼女は彼が微笑んでいるのだと分かってしまった。

 自分が眠っている間、マナカへ彼が何度も向けた優しい顔。マナカが愛し、マオが羨望した、無償の愛。

 ――やめて。

 マオの黒い炎が訴える。この身は絶えない炎に焼かれているべきものなのだ。決して温かな腕に抱かれるためにあるものではない。

 マオにそんな資格はない。マオは誰からも愛されるべきではない。マオはずっと一人で、誰にも救われないままでいるべきなのだ。

 そうでないと――この復讐の、殺戮の意味が失われてしまう。彼女が目覚め、力を得た意味が、何もかも。

 

「あんたが好きなのはマナカでしょ? あたしなんかじゃない。あんたの感情はただの憐憫で、傲慢に過ぎないのよ」


 月居カナタは偽善者だ。

 瀬那マオが「可哀想な女の子」だから、無責任に助けたいなどと適当なことを言っているだけ。

 そんなものは独りよがりの善意だ。善行をしている自分が可愛いだけなのだ。

 その目は殺処分されそうになっている動物に人間が向けるそれと同じだ。瀬那マオは哀れな獣のように、下に見られている。


「あたしは瀬那マオ。あんたの知っている瀬那マナカとは正反対の、汚い女なのよ。あたしの真実を知ったとして、あんたがそれでもさっきと同じことを言えるとは思えない」


 大人たちの玩具。何度も何度も慰みものにされた、使い古しの人形。最高司令の息子たる月居カナタとは決して釣り合わない、汚れた少女。

 それが瀬那マオだ。それが偽らざる彼女の姿だ。

 彼女は全てを叫び、少年に晒した。

 マオの過去を知った少年はきっと、顔をしかめるだろう。あるいは身を引き、視線を逸らすかもしれない。たくさんの男たちの欲望に濡れた少女は、彼にとっておぞましい何かに映るだろう。


 ――その、はずだった。

 

「ま、マオさん……!」


 少年は少女の名を呼び、そして――腕を伸ばして、彼女の手を取った。

 SAMのごつごつとした鋼鉄の手に、人の血は当然通っていない。だが、不思議とマオは温かみを感じていた。それは魔力液エーテルが運ぶ熱なのか、それ以外の何かなのか、彼女には分からなかった。


「なっ……何で、触れるのよ……!」


 少女の唇が震え、様々な感情が混ざり合った声が漏れる。

 困惑、驚愕、怒り、嫌悪……それらの感情の中に紛れている、胸が締めつけられるような気持ちの名前を、マオは忘れていた。

 包み込んでくれる手。そこには敵意も悪意もなく、純粋な愛情だけがあった。


「離し、なさいよっ……! あんたなんかに、あたしの何が分かるっていうのよ……!」


 心に湧き上がってくる形容しがたい感情が、怖かった。

 腕を滅茶苦茶に動かして少年の手を振りほどこうとするも、できない。

 何故だか力の入らない腕に、彼女は小さく舌打ちする。 

 ぽつり――膝に落ちた水滴は、ほかならない彼女の目元から溢れたものだ。

 

「あんたなんか……あんたなんか、嫌いよ! 大っ嫌いよ! なんであたしに関わろうとするのよ! なんでマナカじゃなくてあたしに手を差し伸べてくるのよ!」


 マオにはカナタが分からない。

 何も言わず、ただマオの言葉を受け止め続ける彼の真意が見えない。

 これは何の打算なのか。打算っぽくないのが打算なのか。マオを手篭めにして利用しようとでもいうのか。

 ――冗談じゃない。

 瀬那マオは孤独なのだ。「孤独なマオ」がいたからマナカが生まれた。「誰にも救われないマオ」がいたから代わりにマナカが幸せを掴もうとした。「黒い炎に焼かれるマオ」がいたからマナカは善良で平和主義の少女になった。

 と、そこで――「嗚呼、そうか」と。

 自分がここまで頑なにカナタを拒む理由に、彼女は気づいてしまった。

 

「……ばっかみたい、あたし」


 マオはぼんやりと天井を仰ぎ、空虚な笑みをこぼす。

 あれだけ憎んだマナカ。嫉妬したマナカ。消えていなくなればいいとずっと願っていたはずのマナカ。

 だが、その実――マオは彼女を失いたくないと思っていたのだ。

 瀬那マナカという偽りの人格は、日々の辛さからマオを守ってくれた。その明るさでたくさんの仲間との絆を結んでくれた。その行動力でマオの知らなかった色々なものを教えてくれた。

 マナカがいなければ今のマオの力もなかった。閉ざされた人生に光を差し込んでくれたのは、ほかならないマナカだった。

 それなのに、マオは一方的にマナカを恨んで黒い炎に身を焦がした。カナタをも殺そうとした。

 人の優しさにマナカを通して気づいていながら、「悲劇のヒロイン」な自分に酔って、取り返しのつかないことをした。

 

「……あたし、あたしはっ……!」


 マナカが掴んだ幸せと同じものが、欲しかったのだ。

 それでもマナカのようにはできなくて、願望だけが空回りして。

 暴力に頼るしかなかった彼女は、願いの大きさだけをそのままに、それとは正反対の方向へ飛び出してしまった。

 死んだ者は還らない。犯した罪は消えはしない。瀬那マオに許しは与えられない――いや、与えてはならない。


「ねえ、月居カナタ。……あたしを、殺して。あたしはもう、生きてちゃいけないの」


 だから、彼女は罰を求めた。

 徐行での降下を終える間際、ここで墜とされれば死ぬというギリギリの高度でマオは言う。

 だが、カナタは何もしなかった。機体越しにマオの手を繋いだまま、地面に降りるまでそうし続けていた。

 

「なんで……!」


 少女の声は否応なしに震えた。 

 自分には罰さえ受ける権利がないというのか、そう叫ぼうとしたマオに対し、カナタは今にも泣き出したいのを堪えるような声音で答える。


「し、死ぬことで罪が全て清算されるなら、よっ、喜んで殺してあげるよ。で、でも、違うでしょ? きっ君一人死んだところで何も変わらないでしょ? だっ、だ、だったら、君は生きて罪を償うべきだ。ち、ちっ力があるなら、それを人のために活かすべきだ。ひ、人を殺したのなら、そっ、それ以上の数の人を救ってみせなよ」


 普段以上にどもった声は少年の激情の裏返しだ。

 彼だってマオに無条件の許しを与えるわけではない。マオ自身のこともマナカのことも守ってあげたいと思うカナタだが、彼女の罪に対してはやり切れない怒りを感じている。

 それでも彼がその感情を必死に抑え込めたのは、怒りや憎しみといった負の感情に支配されることの恐ろしさを目の前で見て、改めて知ったからだ。

 黒い炎を連鎖させてはいけない。マナカの願った平和を目指すなら、それはカナタ自身がその手で断ち切らねばならないものだ。


「あ、あたしに、そんな資格……」

「し、資格なんてどうだっていいんだ。き、君は軍法違反で確実に死罪になるだろう。で、でもその時は僕が軍に申し立ててやる。き、君がやり直すための猶予を作ってみせる。ま、マオさんの存在に気付けなかった僕にも責任はあるんだ。そのくらいはやらないと、僕が僕を許せない」


 荒唐無稽な我がままを言っているのだとカナタも自覚している。

 だが、それでも彼はそのエゴを貫き通さねばならないと覚悟を決めていた。それはひとえに彼の大好きなマナカと、マオを守るための行動だった。

 戦場にはもう、【異形】の咆哮も兵士たちの雄叫びもない。戦える者がいなくなったそこは、静寂に包まれていた。

 その静謐の中、少年と少女は佇む。

 鋼鉄の手と手を繋いだ二人は、それからしばらく何を口にすることもなく、そうし続けていた。

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